「小さい秋みつけた」解釈 (BGMはアイコンをクリック) 小さい秋と誰かさん この歌の歌詞についてはいろいろ取り沙汰されてはいるものの、作詞者の真意がなかなか伝わって来ない。作品は一旦作者の手を離れたら独り歩きし出すので、どうでもいいようなものではあるが、こういう解釈の仕方が難しい詩になると気になって仕方がないのも、これまた仕方がない。作詞者のサトウハチローはこの詩について、『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた』というようなことを書いている。この言葉は結果的に、詩人らしくこの詩の動機・背景を要約網羅したものなのだが、この言葉に基づいて解釈しても、この自詩紹介の言の存在を知らないで解釈したものは自ずと相違してくるのは当然なので、詩の具体的解釈とこの言葉の関連は後述することとしよう。かくして冒頭の状態にもどるのだが・・・ 先ず、<誰かさん>が誰であるかは分らないので、ひとまず措いて置いて、この詩の根幹をなす<小さい秋>とはどういう秋かを検証しよう。秋にサイズの大小があるわけではないので、<小さい秋>という表現は、藤原敏行の『秋来ぬと目には彩かに見えねども風の音にぞ驚かれぬる』と同じように極めて情緒的な表現であると言える。敏行の<秋>は晩夏から初秋の変わり目の微妙な季節を表現して、同時に夏の厳しさから過ごしやすい秋に移る解放感と、厳しい冬の到来をも思わせる秀逸な表現で、まさに<小さい秋>と表現するのに相応しい。しかし、この「小さい秋みつけた」の<小さい秋>は詩の全体をサッと見てみても、秋の一時期を表わしているものではないことは明白だ。<小さい秋>は詩人の造語であるが、この反語を想定すれば<大きい秋>となるだろう。<大きい秋>は普通誰が見ても一目で分かる自然の真っ只中の秋であるとすると、<小さい秋>とは、普通誰が見ても一目でそれとわかる秋ではなく、何か特定された秋なのだ。してみると、<小さい秋>とは<誰かさんにしか見付けられない特別な一片の秋>、<普通の第三者には見つからない秋>なのである。ここは重要なところで、誰かさんは、普通の場所にいたら普通に感じられる秋の息吹を、普通に感じることのできない<特別な境遇>に居たため、そこでしか感じることのできない物と方法で見つけた<秋の息吹>を、<小さい秋>と表現したのである。この極めて私的な表現をできる者は、この詩を書いている当事者=サトウハチローであるから、<誰かさん>とはハチロー自身か、子供の頃の想い出の中のハチローのことであると断言できる。 普通、童謡に作者自身が姿を見せるのは極めて珍しい。ほかにどんなものがあるか考えてみても、急には思いつかないほどだ。「もずが枯木で」も一人称の詩だが、作者の心情まで吐露しているとは思えない。反対に流行歌では例えば「小雨の丘」のように、モロに詩人の心情を吐露しているものもある。この「小雨の丘」で吐露された心情は、明らかに「小さい秋みつけた」に反映されている。 耳に聞こえた小さい秋(一番) 以上のような理由から、この詩の中核は二番にあると確信する者だが、理解し難いのか、大切と思わないのか、二番についてはほとんどの人がコメントしていない。避けて通っている・・・と言うのは後にして、一番から検証を続けよう。 <めかくし鬼さん>は、普通の鬼ごっこと違って、鬼が目隠しをして子を追いかける遊びだから、そんなに遠くまで逃げてはいけないことになっている。また、目隠し鬼ごっこは、夏や冬の遊びではなく、初春や晩秋の遊びである。夏や冬やその近辺の季節にはほかに様々な魅力ある遊びがある。<かごめかごめ>、<はないちもんめ>、<かくれんぼ>などは人数も必要なことから放課後皆が集まって、晴れた晩秋の夕暮れに広い原っぱで遊び集う子供達の姿を彷彿とする。<めかくし鬼さん手の鳴る方へ>はこの遊びの掛け声だが、<鬼さん>が耳を澄まして聴くようなものでなく、<かすかにしみる>ものでもない。声の呼ぶ方、手の鳴る方へ突進するばかりである。すると一部の人が解釈しているように<すましたお耳にかすかにしみた>のは<鬼さん>ではなく、ましてや逃げ回っている<子>でもないとなると、これは<誰かさん>しかいない。しかも、<誰かさん>はこの遊びには入っていないことになる。<呼んでる口笛>は分からない。もずはギチギチ、ギュンギュンなどと鳴くので口笛とは程遠く、もずがほかの雌を呼んでいる声とも思われない。<呼んでる口笛=もずの鳴声>とは到底肯んじない。さりとて、<めかくし鬼さん>の掛け声でもない。めじろ捕りの口笛でもない、となると遊び声に混じった喧騒の一つと解さざるを得ない。かくして、一番の<小さい秋>とは、【晩秋の夕暮れ広い原っぱの向こうで子どもの鬼ごっこの声や拍手などの喧騒に混じって誰かの口笛やもずの声が遠く小さく聞こえてくる】のを<誰かさん>が<秋だな〜>と感じた秋のことである。<かすかにしみた>というのは耳にしみたことはもちろんあるが、<誰かさん>の心に沁みたのである。 境遇を肌で感じた小さい秋(二番) 二番は何なのだろう?何を言いたいのだろう?確かに解釈は難しい。<北向きの部屋>、<くもりのガラス>、<うつろな目の色>、<とかしたミルク>、<部屋の隙間風>と続く一連のイメージ。<お部屋は北向き>と敢えていうのは、この場合病室を表している。普段は子ども部屋、物置など北側の部屋が、病人が出ると病室と変じるのである。戦前まで、結核など長期療養を余儀なくされた者の病室は家の北向きの外れの部屋とされていた。現在とは反対だが、病をうつさない知恵、冷房などない夏の酷暑を避けるため、直射日光は病気に悪いということもあった。こうした特別の事情がなければ、<お部屋は北向き>などという誠に無粋な言葉を詩のなかに入れる理由が立たない。また、その病室の窓は、外から見られてもいけないし、外を見て興奮をして熱を出してもいけないと、くもりガラスが多かった。このくもりガラスで外が見えないのは、病人にとって外界からの隔絶であり、訣別でもある。昭和の初めの頃、筆者の父は死病と言われた結核を患い、病室に隔離された。父の場合田園の真ん中に小さな一戸建ての療養棟を建ててもらい、その病室が丁度この「小さい秋みつけた」のように、北向きのくもりガラスが窓に嵌められた部屋だった。父が結核を克服し、戦後この家は他の人に貸し出されたが、しばらくポツンと残っていたものだ。この<北向きの部屋>で布団の上に起き上がって、外界への憧憬をもってボンヤリとくもりガラスの窓を見ていると、そこに自分の顔が映って、その瞳の黒目は曇りガラスの影が掛かって<うつろな目の色>になっている。ミルクを溶かし込んだように薄白い幕が掛かっているようにも見える。布団は暖かかったが、熱っぽい体に<わずかなすきから風>が吹き込んでくる。微かではあるがひんやりとして、まさに外界と隔てられた部屋の中で感じられる秋の息吹であり、まごうかたなき外界の<大きな秋>との小さな接触である。二番の<小さい秋>とは【病床に縛られている<誰かさん>が病室の倦怠や焦燥と外界への憧憬のなかで、普段はどうということもない隙間風に見付けた秋の息吹】のことである。一番は耳に聞こえた秋、二番は肌に感じられた秋。 思い出と連想の小さい秋(三番) 「三番は外の景色を見ているではないか」と人は思う。ハチローの家にハゼの木があったのは分かっているし、<はぜの葉あかくて入日色>は現実の風景であると。しかし三番の最初に<昔の昔の風見の鳥(鶏)の>が出てくるのはなぜか、が問題である。誰かさんは二番にある<僅かな隙から吹いてきた秋風>を感じ、病で床に縛り付けられている境遇の自分から、足を固定され、外界で秋風にただくるくる回る風見鶏を連想したのである。そしてこの風見鶏は、サトウハチロー宅から見える所に風見鶏は無かったというので病室から見えるものではなく、<昔の昔の>思い出の中にある、別れた母に手を引かれて行った時に見た風見鶏を連想したのである。ハチローの父佐藤紅緑の女性関係で幼いハチローを残して家を去った母は、よくハチローの手を引いて教会に連れて行ってくれたという。そのとき見かけた風見鶏は、時を経て風雨に晒され、赤いトサカの色が剥げ落ちててトサカだか何だか分からないような姿だったが、ある時、丁度トサカのところに真っ赤なはぜの葉が本物のトサカのように引っ掛かっていたのを見て、深い記憶に留めたのが連想に繋がった。そして、その連想は、病床にある誰かさんに、<はぜの葉と言えば、自宅の庭のはぜの木ももう赤くなってこの入り日にもっと赤く染まっているだろうな>という想像をもたらしたのであった。三番の<小さい秋>とは、【隙間風と病床の自分の姿から想い出の風見鶏を連想し風見鶏に引っ掛かっていたハゼの葉から自宅の赤いハゼの木の葉が夕日に染まってもっと赤いだろうな、と病室で連想したまさに誰かさんしか感得できない誰かさんだけの想像の秋】である。一番は耳に聞こえた秋、二番は肌に感じられた秋、三番は想像(思い出)で感じられた、誰かさんだけの秋。 ハチローの生い立ち サトウハチローは、明治36年(1903年)【〜昭和48年(1973年)没】明治大正の作家佐藤紅緑の子として生まれたが、父の女性関係から父紅緑に反発し、母親には家を去られてしまうわで、稀代の不良少年と呼ばれるほどの放埓を繰り返して、東京市内の全警察署にお世話になったほどだったという。退学・転校、放校は数知れず、とうとう小笠原島の感化院に島流しとなってしまう。そこで福士幸次郎と言う詩人の薫陶を受けて、詩人としてやっていく決心をして、西条八十の門を叩いた。作詞家、童謡作家、詩人となったあとも、無頼の生活は収まらず、どうしてそんな人から、「うれしいひな祭り」、「リンゴの唄」、「長崎の鐘」、「もずが枯木で」「悲しくてやりきれない」やこの「小さい秋みつけた」などの美しい歌詞が生まれたのだろう、といぶかる人もいたようだ。この辺のところはハチローの姉である佐藤愛子の自伝的小説「血脈」にくわしい。しかし、こういう悪ガキ・悪童・不良少年と呼ばれながら、完全に人生を破綻させなかったのは、前出の「小雨の丘」ではっきりしているように、亡き母への追慕・憧憬がハチローの心の中に確固たる一隅を占め、その優しさが人格のバランスを形成していたからであると思われる。放埓の限りをつくした不良少年でありながら、小児の頃から身体は病弱だったらしい。しかし、熱湯で大やけどをして床に臥せった以外、ハチローに長期に療養したという記録はないから、この「小さい秋みつけた」がサトウハチローの実体験に基づくものか想像によるものかは定かではないが、長期の実体験である必要もないだろう。誰しも経験を持つことだが、風邪などで学校を休んで寝ていて、午後下校時となって外を通る子供達の話声ざわめき叫喚を熱っぽい耳に聞くと、堪らない倦怠と焦燥と憧憬を感じるあの感覚を詩としたのであろう。 ハチローの自詩紹介との関係 こうして見ると最初のハチローの言葉、<原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた>がどういう連想に繋がって行ったか一々腑に落ちてくる。詩作をしようと原稿用紙を前に、窓外の赤いはぜを見ていたら、亡き母の面影と、母に手を引かれて行った教会の風見鶏にトサカのようにはりついていた赤いはぜの葉が彷彿として浮かび上がってきた。同時にかつて感じた胸を締め付けられるような秋の感覚が蘇ってきた。これは何なのか?腹這いになっていた布団から起き上がった途端、幼い頃病床にいたときに感じた外界から隔絶した倦怠、焦燥、外界への憧憬が蘇って来て、外を見て赤いハゼを見た時の感覚に同化した。<言い知れぬ秋>の感覚は、自分だけが見、自分だけが感じられる秋の息吹のことだ。この観点から歌を書き上げよう! こうして書き上げられた「小さい秋みつけた」は『病の床に伏している子供が、外界の子供の遊びや自然の遠い微かな喧噪、病室のわずかな隙間からくるひんやりとした風、母に手を引かれて行って見た秋の夕暮の風見鶏のトサカに掛かる赤いハゼの葉の想い出などから、自分だけが感じた秋の息吹、すなわち小さい秋をみつけた』ということであると、私には解される。特別な境遇にいる子供の心を見事に表現した歌詞、それを受けた中田喜直のリリシズムと相俟って後世に残る名曲となった。 2006年9月記/2010年12月改稿 | TOP | 童謡・唱歌・懐メロ | 八洲メロディー・抒情歌 || ピアノ・クラシック | |