Clover
- - - 第21章 絡まる糸5
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「アイツ、死んじまったってよ」
「いいヤツだったのになぁ」

争いを好まないシュバルツやルシリアには存在しないが、他はどの国にも傭兵が集まる場所というものがある。リトワルトにおいてはそれはもう一つの街のようになっていたし、オデッサやスクライツの港近くにもそれは存在した。

死と隣り合わせの危険な商売だからだろうか。このような会話はあらゆるところで聞くことができる。だからこそ死は身近で、そして大して意味を持たないものにもなりつつあった。

ディシスと共に傭兵になってから、フィーナは南方の様々な国を渡り歩いた。
リトワルトを中心に、オデッサ、スクライツ、ラドリア、アイザネーゼ、フューゲル。
争いの起こる場所には、どこにでも移動した。
それはこの大陸にある国の情勢を知ることができたという点では、意味のあることだったかもしれない。

ラドリアでの仕事を終え、フィーナ達はオデッサにある砂漠の中のとあるオアシスにやってきていた。
砂漠の中にあるとはいえ、その中心には豊かな水をたたえた湖があり、避暑地のようになっている。一見すると平和に見えるこの土地も、砂漠に現れる盗賊達という敵が存在する。その自衛の為に、オデッサでも傭兵は必要な存在だった。

「砂漠の月か……」

明日リトワルトへ戻るというその夜に、フィーナは一人で空を見上げた。
遥か彼方まで広がる砂漠の夜空に浮かぶ二つの月は、いつもよりも大きく見える。
彼女は湖の近くの椰子の幹に背を預けながら、ぼんやりとその光景を見つめていた。

そうしていると彼女は、普通よりも優れた容姿を持つものの、普通の少女にしか見えない。
誰も彼女が死の女神であるなどとは思わないだろう。

乾燥した風の吹く、穏やかな水辺。
ここは不思議な場所だ。火と水の精霊が一緒に存在する、稀有な場所だ。

(こんばんは、竜の姫君)

普段は意識して見ないようにしているが、気が抜けたからか彼女の目に小さな炎の形をした精霊が映った。

「こんばんは、どうしたの?」
(何か考え事をしていたようなので、気になって)
「何も考えてないよ。ぼーっとしてただけ」
(ぼーっとですか)
「そう、まぁ要するに暇なのかな」

ひま、と火の精霊は繰り返す。
その様子が可愛らしくて、フィアルは自然に微笑んだ。

(ギーニャ様が言ってた。竜の姫君は笑った方が可愛いって)
「……何を言ってるんだか、レンのヤツ……」

ギーニャとは精霊の言葉で『王』という意味だ。つまり精霊王本人のことである。
フィーナは四大竜王しか知らない彼の真の名を知る、この世でたった一人の人間だった。
もちろん普段は短縮した名前で呼んでいたのだが。

(いっぱい笑って?)
「無理よ」
(どうして?)
「……どうしてだろうね」

本当にどうしてなのだろう。
笑った顔を作っていても、心の奥底が冷えている。冷静に笑う自分を無表情で見ている自分が隣にいる。そうやって生きていくだけ。ただただ、この生が終わる日を待ち続けている。

自ら死を選ぶことのできない身だからこそだ。
フィーナが死ねば、眠っているアルも共に死ぬ。
けれどフィーナが寿命によって死んだ場合には、アルはその理から解放されるのだ。
だから、待つしかない。
殺されるわけにも、自分で死ぬわけにもいかない。

早く―――――早くその時が来てくれればいいのに。
そうしたらきっと自分は心の底から笑える。





(―――――テーゼ)





フィーナは周りをふよふよと飛んでいる精霊から、ふっと月へと視線を移した。
本当は知っている。
ディシスはノイディエンスタークの情報と一緒に、あの2人を探していることを。

あの頃は幼すぎてわからなかったけれど、今になって思うことがある。どこまでも優しかった兄王子は、何故自分を恨まなかったのだろうか。彼が生まれてから奪われた自由も、人々からの賞賛も、父親の愛情も全てを持っていた妹を。

けれど、大好きだった。
今でもとても好きで、その想いは変わらない。呼ぶ声も触れる手も、そして抱きしめる腕もちゃんと覚えている。





(逢いたい)
(でも―――――逢えない)
(私は……もう)





あの優しかった人に逢える資格など、もう自分にはないのだ。
綺麗に生きることを、自分から放棄してしまったのだから。

目の前を飛ぶ精霊に彼女はまた視線を移した。
そのほのかな炎の光に映された自分は、一体今どんな顔をしているのだろうか。


* * * * *


いつまでたっても消えない後悔がある。
何故自分は、あの友のようにできなかったのだろうかと。

完全に隔離された空間である奥神殿の回廊をファングは歩いていた。
この奥神殿だけが反乱の際に唯一残った建物であり、今ではその前に豪奢な神殿と、神官達の欲の象徴のような大きな屋敷が乱立している。彼等は今やこの小さく忘れ去られたような奥神殿には、近寄ろうともしない。それゆえにこの場所は、かつてもそうであったように、大神官一族を閉じ込める場所として使われていた。

静か過ぎる場所。
まるで―――――時が止まったかのよう。
けれどこの場所に、もうあの懐かしい人々が帰ってくることはないのだ。

主に託されたリュークを守ってこの国を去ったファングは、しばらくの間、北方のシュバルツへと身を隠していた。
冬の寒さは過酷だが、短い夏もある。そんなシュバルツでの暮らしは、ほんの少しの間、彼等に安息を与えるものだった。
全く外の世界を知らなかったリュークと、それに寄り添う魔竜、そして自分は密やかにこのまま身を潜め、いつかディシス達と共にノイディエンスタークへ戻るのだと、今にして思えば楽観的な希望を抱いていた。

しかし、そんな日々は―――――たった2年で終わりを迎えた。

最初から神官達は、リュークを探していた。
―――――フィアルではなく、リュークを。
ノイディエンスタークの全ての民へ畏怖を与える者としての存在を、求めていた。
魔竜がいる以上、リュークがノイディエンスタークの民に好意的に迎えられることはない。

囚われ、この場所に幽閉されてから8年。
本格的に生き残った諸侯の子息達が反乱の兆しを見せている今になって、リュークはついにその存在を明かされた。
ヨシュア―――――という新たな名と共に。

(ディシス)
(お前はどこにいるんだ)

密かに人を使って、彼とあの小さな姫の行方を捜させていたが、良い報告は受けたことがない。
ディシスに限って……と信じたい。例え魔竜がそれを否定する事実を口にしたとしても。

(「この世界のどこにも神竜の気配がないと、ジェイドは言った」)
(「一対であるはずの片方がいないと言うことは、そういうことだ」)

そう言いながらも、リュークが妹姫の生存を願っていることを、ファングは誰よりも知っていた。
少年だった彼が立派な青年に成長したように、かの姫もそうであると信じたい。
そしてその傍らで、あの豪気で奔放な親友は笑っていると。

(お前は私と違って、ちゃんと姫と共にどこかにいるのだと)
(信じているから)

願わくば、どうか。
この牢獄のような場所から、リュークを救い出してほしい。
守りきれずに彼をこんな状況に追いやってしまった無力な自分を責め続けることしか、今のファングにはできない。
ファングにとってリュークは、ディシスと同じように何より大切な息子のような存在になっていた。
息子であり、弟子であり、弟であり、友であり―――――主でもあった。

―――――自由を。

あの優しい青年に自由を。
ただただ、それだけを―――――願う。

昔のように……今度は狭いあんな塔の中ではない、光さす場所で。
兄と妹が仲睦まじく微笑み合うのを、ファングとディシスは少し離れた場所から見つめる。
そんなささやかで、穏やかな幸せを―――――どうか。

ふと足を止めて、ファングは空を見上げた。
もう夜も遅い。二つの月は合わさるように中天に浮かんでいる。

その優しい光を、時を同じくしてフィアル、リューク、ディシスの3人もまた見上げていたことを、ファングは知るよしもなかった。