- - - 外伝1 永遠の青空[ ] |
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始まりの記憶は、柔らかな、白い光。
それ以上の憧れを、僕は知らない。
* * * * *
―――――【正統なる翼】
シーク・ネーヤという名は、翼人の言葉でそういう意味なのだと聞いたのは、いつだっただろう。
僕は島にいた一族を治める長の家に生まれた、最初で最後の【正統なる翼】だった。
それは生まれた時からそうで、それに対して、疑問を感じたことは、今まで一度もない。
幼い頃の記憶は漠然としていて、ふわふわとして実感のないもの……最後に覚えているのは、大きく開いた奈落の穴だけだ。
そしてその後の記憶は……全てが暗い光のない場所のものだった。
見世物小屋という場所に自分がいたことは、後になって知った。どういう経緯で僕がそこにいたのかは、よく覚えていない。その場所で僕は、小さな檻の中にいつも裸で閉じ込められていた。
けれどその檻は―――――僕にとっては自分を護ってくれるものでもあった。
その檻から出される時、それは大勢の人間の前で見世物にされる時と、小屋の男達に乱暴される時だけだったから。
そんな日々の中でもただ僕は……毎日続くその地獄の日々を悲しむのではなく。
昔見た、あの透き通るような―――――空が見たかった。
* * * * *
「ねえ、キミ」
ボロ布に包まって、寒さに耐えていた僕の耳に、その声が聞こえたのは突然だった。
この見世物小屋に女はいない。たまに小屋の男達が連れ込むことがあるだけだ。それなのにその声は自分の間近から聞こえてきた。
「ねえってば」
「……?」
不思議に思って顔を出すと、檻の外に一人の小さな女の子がいた。
僕とたいして歳の変わらない、大きな瞳の女の子は、僕の顔を見てとても嬉しそうに笑った。
「ねえ、ここから出たい?」
「……」
―――――出たい?そんなのは無理だ。
この小屋の男達が自分にどれだけの高値をつけているのかは知っていた。売れなくても見世物にするだけで十分稼げる自分を手放すはずもない。羽を持つ人間なんて……珍しいだけの生き物なのだから。そう思い、僕が小さく首を横に振ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「出たくないの?」
「……」
ここから出る。
そうしたらもう一度、あの真っ青な空が、見れるのだろうか。
僕は……あの空をもう一度飛べるのだろうか。
けれどそれは無理なのだ……自分は一生ここから出られない。目の前の女の子にそれをなんとか出来るとも思えない。
もう一度僕が首を横に振ると、女の子は何故かとても大人びた顔をして、ポツリとつぶやいた。
「……出たいよね?でも出れないって思ってる?」
女の子は大きなその瞳で、僕をじっと見つめた。
その瞳は良く見ると、僕が憧れたあの青空の色をしている。それが無性に切なくて、僕は正直に頷いた。
「あのね……?諦めなければニンゲン、何とかなるものなのよ?」
「……?」
「行こう?」
女の子はそう言って、檻の中に手を差し入れてきた。僕はとっさに身体を竦ませる。僕は汚れているし、人に触れられるのはあの乱暴をされている時だけで、とても怖かったのだ。けれど彼女はそれを気にした様子もなく、汚れた小さな僕の手をぎゅっと握ると、その柔らかで綺麗な手でそれを包み込んだ。
「―――――私が、君に自由をあげるよ」
その瞳は僕が憧れた青空に似ていて。
あんまり逢いたいと思っていたから?青空の方が僕に逢いにきてくれたのか?
それは本当に、僕にとっては何よりも大きな奇跡だったのかもしれない。
* * * * *
まるで魔法を見ているようだった。彼女はその小さな手で器用にも檻につけられていた頑丈な施錠をいとも簡単に外してしまったのだ。そして彼女は何も言わず、そのボロ布で僕を包み込むと、手を引いて小屋の出口へと歩き出した。その動きに僕は急に不安になった。こんなことが小屋の男達に知られたら、彼女もただでは済まない。
そんな僕の不安を感じ取ったのか、彼女はニッコリと笑って見せた。
「心配しなくても大丈夫よ?だって非合法な商売してたのはこの小屋のやつらなんだからね?なんか文句を言って来るなら、こっちだってそれ相応の手段を取ってやるし……まぁ面倒だから全員ヤっちゃってもいいし。当然よね?キミをこんな目にあわせてたんだもの、自業自得ってこういう時のためにある言葉なのよ、きっと」
……半分以上何を言われてるのか解らなかった。ヤっちゃうってなんだろう?
そんなことを考えていると、背後から大きな声がして、僕は身を竦ませた。
「おい!何してる!」
「あ―――――見つかった」
怯えている僕とは正反対で、女の子は普通にそう言った。あせっている感じは全然しない。
「このガキ!そいつをどうする気だ!」
「逃がしてあげるの」
「てめえ!それはオレ達のもんだ!勝手な真似しやがって……」
「何が勝手な真似よ、この図体だけでかいウスラトンカチ共。大体自分で女を捕まえられないからってこんな男の子で欲望満たして恥ずかしいと思わないわけ?そんなもんならちょん切って地下水路にでも捨てて来い!」
ははん!と女の子は何故か自信満々な顔で言い放った。だけど……本当に何を言ってるのか、全然理解できない。
しかし男達にはそれがわかったらしく、顔を真っ赤にして怒り出した。
「このガキ、言わせておけば……!」
懐からナイフを取り出したのを見て、僕は女の子の腕をぎゅっと握った。ダメだ、ここにいたらこの子は殺される。僕は殺されなくてもこの子は確実に殺される。そう思った僕は必死で首を横に振った。すると彼女は余裕さえ感じられる顔で、小さく笑った。
「目、閉じててくれる?」
「……?」
「これから夢を見るの。そう、その布かぶっててくれる?目を開けちゃダメ、見ちゃダメなの。そしたらきっと私、キミをここから自由にしてあげるから」
そう言って彼女は僕が身体に巻いていた布を引っ張って、頭にかぶせた。
「耳、塞いでて」
ポン、と軽く頭を撫でる気配がした後、僕は言われた通り固く目をつぶって、耳を塞いだ。
その後、何が起こったのか……僕は知ることはなかった。
* * * * *
―――――どのくらい時間がたっただろう。
優しく頭を撫でる気配がして、僕は耳を塞いでた手をゆっくりと外した。
「目を開けちゃダメよ?そのままね」
女の子の声だ。彼女は生きてる。
僕は促されるままに彼女に手を引かれて、布を被ったままゆっくりと歩いた。イヤに生臭い臭いが鼻をついたが、今は目を開ける気にならなかった。
しばらく歩いて、女の子が止まる気配がして、僕も歩くのをやめた。
「目、開けて?」
ゆっくりと目を開けて見る。ボロ布が透けて、周りは明るかった。
女の子はそのまま、ゆっくりと僕にかぶせていたその布を取り去った。その瞬間、目の中にまぶしい白い光が何の躊躇もなく飛び込んできて、僕は思わず目をつぶってしまった。
「眩しかったかな?」
ゆっくりと慣らすように目を開けると、そこにはさっきの女の子が、鮮やかな色彩で僕の前に立っていた。
明るい茶色の髪と、こぼれそうに大きな青空と同じ瞳が嬉しそうに僕を見つめていた。
「キミはもう自由だよ?誰もキミを束縛しない」
「……」
「ねえ、名前、教えてくれる?私はね、フィーナって言うの」
フィーナ。
綺麗な響きの名前だ。翼人の言葉ではそれは確か【大気】という意味だった気がする。
僕はあの島を出てから今まで、一度も言葉を話したことがなかった。昔長老達がそう言ったからだ。
【正統なる翼】は翼人以外とは決して言葉を交わしてはいけない。もしもそれを破ったら、大いなる災いがその相手にも自分にも降りかかるのだと。
でも僕の……この目の前にいる女の子は、僕に自由をくれた人だ。
青空の瞳を持った、【大気】という名の人だ。
「……僕は……」
―――――声が震えた。
もしも。
もしも、君に。
災いが……降りかかったら。
「シーク……ネーヤ」
名前だけを呟く。すると彼女はむむっと眉を顰めたので、僕は思わずびくっと震えてしまった。
「しーくねーや?長い名前なのね?」
「え……あ、違う。シーク・ネーヤ」
「シークが名前でネーヤが名字?」
「……名字は……ない」
「じゃあ両方、名前?どっちで呼べばいい?」
どっちで呼べばいいなんて、今まで聞かれたことが一度もない。周りの人間はみんな自分をシーク・ネーヤと呼んでいたし、それが当たり前だと思っていたのだ。戸惑っていると、彼女はビッと僕を指差すとこう言い放った。
「ネーヤにする!」
「……え?」
「シーク、より、ネーヤの方が可愛いからそっちにする。いいよね?」
「……あ……うん」
「私のことはフィーナでいいよ、そう呼んで」
―――――勝手に決められた。けれど腹が立たなかった。それどころか彼女にそう呼ばれるととても嬉しい。
「あ、ねえ?ネーヤは帰るところとかあるの?」
「……ううん……ない」
今あの島に戻っても、そこには誰もいない。一族はもうこの世界には存在しないのだから。
僕は……この世界に一人きりなんだ。そう思うと急に心細くなる。それを感じ取ったのか、フィーナは僕の頭をもう一度撫でると柔らかく微笑んだ。
ああ……この顔がとても好きだ。
そう―――――思った。
「一緒に、来る?」
「……え?」
「行くあてがないなら、一緒に来る?あんまり綺麗な生き方じゃないけど……」
少し言い淀んで、フィーナはそこで言葉を切った。
「だけど、一緒にいよう?」
大好きなあの青空が、優しく細められた。
―――――一緒にいたい。
この女の子と一緒にいたい。
僕に自由と、ここに存在することの意味を教えてくれたこの子の側に。
僕は……僕はもしかしたら……彼女に出会うために生まれてきたんじゃないだろうか?
【正統なる翼】なんて呼ばれるよりも、【ネーヤ】と彼女に呼ばれることが、こんなにも嬉しいなんて。
そう、その時にわかった。
僕は……彼女に会うためだけに生まれてきたんだ。
この青空を、手に入れるために僕は生まれてきたんだ。
もしも。
それでも、もしも。
この出逢いが、君に災いを呼ぶと言うのなら。
僕は……この命をかけて、君を守る。
* * * * *
この時の僕は、彼女の抱えていた闇をまだ知らなかった。
それでも彼女は―――――僕の青空だ。
それだけは、永遠に変わらない、真実。
僕が見つけた、唯一絶対の、真実。
例え闇の中でも……君の瞳はいつまでも、憧れ続けたあの空の色。
―――――その青空に、僕は焦がれる。
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