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共犯
姉妻蕩治

−上−


 コンビニへ飛びこんで買った青いビニール傘が、肌に染みいるような匂いをたてている。

6月の雨はじっとりにじんだ大気となじみあい、うなじや腕の湿りは、雨なのか汗なのか湿気なのか、それさえもどうでも良くなる。
 そしてどうしてここを歩いているのかをほんのわずか忘れられたのが、この雨の功罪だ。
 久しぶりに友人、に逢いにきたこの街は以前、私自身が住んでいた街でもある。

 ドアに吊られた白い貝の響きあう音を、うなじに感じる。
 懐かしい顔と懐かしい店内。彼女も私も誰なのかを忘れているマスター。

「もう、連絡なんてない、って思ってた」

 自分の記憶の穴埋めのために聞き耳をたてるマスターを横目に、彼女がささやいた。まだ時間が早いのか他には、やたらに体格の良いサラリーマンが縦に折筋のある新聞を折目どおりにめくりながら、カウンターに片肘をついて、ビールを飲んでいるだけだった。

「おれだって、連絡するつもりはなかった」
「忘れ物の癖は、あいかわらず、ねぇ」
 眉間をグラスに近づけながら苦笑する。
「ちゃんと仕事してるの?」
 一層グラスへもたれると緩やかにウェーブのかかった髪が肩から流れ、横顔を隠した。
「おやじの仕事、手伝うようにはなったね。仕事とは言えないかもしれないけど」
 髪の奥から、かすれて軽い含み笑いがもれる。
 その笑いの意味を取りあぐねて、私は言葉を切った。

 沈黙の中で、まるでそれが占いの水晶であるように両手で挟んだグラスの、透明な氷を彼女は見つめ続けている。

「家事手伝いみたいなもんだよ」
 もう一度笑うと彼女は、グラスを押し出す。白々しい間があり、ようやくたった今、気がついたように、「同じものですね」とマスターがつぶやく。髪を振り上げるようにうなずいた彼女から、見知らぬ香りが届く。店内は相変わらずの昔よく聞いた音楽が流れているようだが、曲名が思い出せない。

 そう。もう、7年が過ぎた。

 途中でタクシーを降り、空想にふけるようにこの店まで歩いたが、それは7年前の誰かをさがしていたようだった。
 既に店には彼女がいて、それも7年前のあの日と同じだった。カウンターにひじをつき、両手であごをささえながら「遅いわよ」言葉まで同じだった。違うのは、今日の彼女は微笑んでいたことと、私が時間通りに来たことだった。

 彼女は相変わらず、祈るように黙っている。
「息子さん、残念だったな」
 沈黙にこらえきれず、言ってしまい、後悔した。
 スポットライトに、互いに深い影を彫りあうボトルの列を、流れるままの視線で捕らえていた彼女の瞳が止まり、焦点が次第に遠くへ結ばれていく。

 斜めにあごをひくように幾度かうなずきながら、私を見つめ、カウンターに置かれたロックグラスを手に取り、一口含む。
「その話は、して欲しくなかったんだけど」
 髪を振りかざしながら振り向き、彼女が出来る最高の笑顔を私へあびせると、すばやくボトルの列へ目を戻した。

 一瞬にして、息をおし殺すだけの三つの肉袋が出来上がり、カウンターの隣には舌打ちと意味不明のひとり言をくり返し、サラリーマンから酔っ払いへと変異しつつある生物がいる。
 りんご、買ってなかったかな、とぎこちなく言い訳じみた言葉をもらして、マスターが奥へ消えた。

「言ってなかったけど」
 一瞬だけ私を振り向き、氷を見つめながら言った。
「あなたの子だったのよ」

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 ゆっくりと、再び振り向いた彼女の表情で、私がみっともないほど驚いた表情をしているのを知った。こらえきれず、はじけるように笑い出すと彼女は、一瞬スツールから落ちそうになりながら、私を指さし笑い続ける。

「なんて顔してんのよ、だって計算、合わないでしょう」
 そう言って、手首を巻き込み、グラスを挟んだ手の小指で目じりを押さえ、また一口含んだ。
「その顔、久々に電話であなたの声聞いたときにも、浮かんだ」

 私は苦笑いで飲みほし、グラスを置く。彼女につきあったウイスキーだった。私が目で探していると彼女は勝手にカウンターに入り、シンクの下あたりをごとごと音を発てながら、これ?、と一升瓶をかつぎ上げた。

「すごいホコリだなそれ、酢になってそうだな」
「ワインなら酢でもいいのにね。変なヤツ」
「よく憶えてるな」
「レストランでどれだけ、わたし、恥ずかしかったか」
「そんなこと言いたい年頃だったんだよ」
「"お酢みたいなワインはありませんかぁ"って?」
「ワインはほんとに、お酢みたいので良かったんだ」
「"わり箸はありませんかぁ"って?」
「金属の味が嫌いなんだよ」
「まあ、時代も時代だったしね。ところで、ぬる燗?」
「いや、ロックがいい」
「どうしちゃったの、冷酒熱燗は酒呑みの敵、なんて言ってたのに」
「ストレートだと次の日、きつくなってね。ロックならちょっとは水で薄まるだろ。明日が楽なんだよ」
 しんじらんない、とつぶやきながらグラスに氷を入れる。グラスにお酢ともお酒ともつかないものを注ぐ。私に手渡し、スツールへ戻ってくる。

「でも、さっきの言葉、ちょっとは信じられるかな」
「何が」
「ん?お父さまのお仕事、手伝ってるってこと」
「翌日を気にするようになったってか」
「そう」
 また、両手を顎にあてるポーズで、彼女は黙りこんだ。私も黙りこむ。

 後ろをサラリーマンが通りすぎ、ドアを開け、出ていった。

「ツケだろ」
 一瞬私へ振り向いたので、彼女に、そう言う。彼女は簡単にうなずいて、また戻る。

 もう随分前から、レコードの最後の溝を、針が幾重にも擦り続ける音が響いている。
 一周する度に必ずする「コトン」と言う音。

「つくづく」
 彼女が、ようやく口を開きそこで言葉を切った。
「ほんとにな」
 彼女も出会いの皮肉を考えていた。
「まさかあなただなんて思わなかった。電話があったとき」
「俺だってそうさ。まさかおまえが拾ってるなんて想像もしなかった」
「女子高生だったら良かった?」
「馬鹿なこと言うなって。で、携帯拾ったらすぐ交番に届けろよ、勝手に出るな」
 笑顔にしかめっ面を重ねてキスをするように私の前に突き出し、へへへ、と笑って
下を向いた。

 手に取った携帯をよく見ると彼女の携帯の番号だろうか、見おぼえのない数字が登録されている。
 聞こうと思って彼女に目を向けると、横顔にはうっすらと穏やかな笑みだけが残っている。

「あの子はね」
 ほど良い長さの爪でグラスの縁をたたいている。調律をしているような、遠い記憶を取り戻そうとしているような表情。
 グラスの口紅の跡に指をそえながら口を開いた。

「気持ち悪いくらい、あなたに似てたの」
 言葉の返しようがなく彼女が何を考えて、そんなことを言い出すのかもわからず、そのまま聞き続ける。
「童話で。絵の中の美しい黒人青年に恋をしていた王妃が子供を生んだら、その青年にそっくりな黒人の赤ちゃんが生まれたって話。知ってる?」
「知らないな」
 あえて言ってみる。彼女は薄く微笑んで、言葉を続けた。

「それに無理矢理、あの子の養育権をとられたんじゃないし。私から向こうの両親にお願いしたの。あそこはお金持ちだしきちんと面倒を見てくれてるから安心よ」
「え?」
 それは「聞き覚えのない話」だった。彼女の子は死んだはずだった。

 いつの間に戻ってきたのか、ふいにマスターが私たちの前に現れた。それで私は口に出して聞く事をあきらめた。マスターの中指にはファミリーマートのビニール袋がぶら下がっている。
 小さく声をあげた。
「ハズレ」
 マスターが彼女を振り向くと、小さく咳払いし私に視線をあてて、もう一度「ハズレ」と唇でつくり、グラスを押し出した。

 永遠にまわり続けるレコード。飲み逃げした客の残したグラスと新聞。彼女のグラス。
 一旦飲み逃げした客のグラスを持ち新聞を取りあげたが、一瞬間があってからそれを止め、マスターは取りあえずの現実を選択し、彼女のグラスを指に収めると壁のボトルの列へと振り向いた。

「盗聴されてたの」
 突然醒めた口調で彼女は洩らしたが、それは私に多重の問いを負わせる言い方だった。ウイスキーもつきあったのだから、と取りあえず一度は乗っておくことにする。
「誰に」
「わからないのよ」
 で?と私が彼女を見つめ返すと一旦髪をかき上げ、そのままおろし毛先をつまんで目の前に引き出す。そしてそのまま見つめ続けた。


「シンイチの葬式が終わって、引っ越しの整理してたら。シャンデリアの上にちょこんって」
「乗ってたのか」
「そう。カメラに入れる電池みたいのからひょろって、線が出てて」
「発信用のアンテナだろ」
「そう。なんか黒豆の豆モヤシみたいなの。ちょうど弟が手伝いに来てたから見せたら、盗聴器だって」
「どう考えてもシンイチは盗聴、しないだろ」
「そう。でもなんかスッキリしないから、受信機があるんじゃないかって家中、探し回って」
「まさか、家にはないだろ」
「そう、なかったのよ。で、専門の会社の人に見せたら、もう電池が切れてて使いものになるようなものじゃなくて、で、マンションの外から受信しようとしてももともと弱い電波しかとばせない構造のものだから心配はないだろうって」
「買ったんだよな、あのマンション」
「そ、バブルの名残のまだ高いときに。新築で」
「じゃあ、不動産屋か内装屋か電器屋、ってことか犯人は」
「でも、あのシャンデリアに替えたのは、シンイチ」
「じゃあ、シンイチだろ」
「あのねぇ」
 わざととぼけて首を傾げてみせると彼女も結局誰に何を聞けばよいのか、わからない素振りでマスターを振り返った。マスターはレコードをとめにカウンターを出たところだった。

 シンイチの名を彼女の口から聞くのは、久しぶりだった。いや、葬儀か出棺の際、彼女が挨拶をした時に聞いたような気がする。ただ、その名は死体の整理番号のようにしか、私には響かなかった。
 最後に人としてのシンイチの名を彼女が出したのは、7年前、この店で、だった。そしてシンイチと結婚すると聞いたのも、その時だった。
「死因は何だったんだ」
 息を呑み込みながら小さく、え とつぶやいた。
「知らなかったの?」
「知らない。ただシンイチが死んだ、としか電話では聞いてないから」
「誰から」
「シンイチのおふくろさんから」
「・・・そう」
「別にどうでもいいけど。なんでアイツ、死んだんだ」
「シンイチ、殺されたの。両手両足を縛られたまま、」

 彼女は言葉を切り、口調とは裏腹の強いまなざしで私を見た。
 お互い見つめあい、うなずき続けた。

 ようやく音楽がかかり、マスターがカウンターに戻ってきた。そしてすぐ裏のキッチンに消えた。
 私は直感的にすべてを理解した。同時に彼女に対する疑心さえ、私の心の中に生まれた。
 それを一瞬だけれども感じたのか、彼女は夫を失った妻を演ずることにしたらしい。ポツポツと状況を話し始めた。

 しかし、それは私が書き上げ慣れ親しんでいたストーリーとはまるで違うものだった。
 いや、「私が書いたストーリー以前のストーリー」だった。
 私と彼女だけしか知らない、真実。

 何が真実なのか、分からなくなってゆく。そして、どこまでが真実だったのか。作者だった私でさえ、彼女の語り口に騙されていくのが、手に取るように分かる。

 今、彼女によってつむぎだされている「お話」は、私のものだった。

 居場所もないまま、互いに顔を背けながらも「勉強部屋」に集う中学生男女5人の話。
 常にピースの一つが足りずに完成されない空を、見上げている。
 汚しあうことでしか互いを確認できず、日替わりで「生け贄」を辱めていた日々。
 受験が終わった後の別離。
 数年間に渡る、偶発的な再会と別離の繰り返し。
 5人の内の一人の自殺によるグループの消滅、そして本当の別離。
 決してもう、まじわることのない残された四人のその後。
 残された「自殺」の謎とその秘密を握っている、少年と少女。
 殺したのはその少年。

 今、彼女によってつむぎだされている「お話」は、10数年前の出来事のある一点を除いて、現実だった。
 そして彼女がいま、私のイマジネーションと被せたはずの封土をくつがえし、一つの「物語」として完結しようとしている。

 彼女のゆったりとした、けれど確信に満ちた口調によって、隠されていた事実が現実となって私の前に、堅固な骨格と隆起した筋肉をもって、現れた。

 マスターが戻ってきたところで言葉を切り私に振り向いた。
「あなた。もう、作家にカムバックするのは、あきらめてる?」
 その口調は決して疑問形ではなく、どこか判決に似ていた。彼女がグラスを手の中でもてあそびながら、私の答えを待っている。グラスを眺めながら私は、それに自らを投影していた。気がつけば私は、彼女の掌の中に居た。

「いいストーリーだと思うし、推理、というか真実の解明部分なんかは、説得力というか真実味があって、ドキドキするね。何かどっかで聞いたような話だけれど」
「そうじゃなくて、ねえ。わかるでしょう?」
 昔、トルマリンのピアスを贈ったのだが、掌の中の小さいジュエリーボックスを開いた時の彼女の瞳の輝きを、ふと思い出した。
 その時も、うかがい見るものを凍りつかせるような、普段の彼女からは想像もつかない雌獣の微笑み。あの時私はそれを「彼女の悦びのイマージュ」として反応し、暗がりの中ベッドサイドに置かれたトルマリンの、ぼんやりと妖しい光に包まれ彼女を自らのものとした。
 いま、その時よりも、ぞっとするほど美しくそしてぞっとするほど妖しく光る彼女の微笑みに、私が溶かされつつあった。

 シンイチ。
 彼女の話に無防備にうなずき続け、暗に内容を認めたことによって私はいま、私が書かなかった「真実」に包まれていた。そして新たに生まれた謎と。

 彼は、もう10数年前、既に死んでいた。
 自分の心を癒すため、そして不遇の死を遂げたシンイチへのレクイエムだった、あの小説。

 そのプロットに彼女は「真実」というスパイスを散らし、私へサーブした。

「あなたが作ったあのウソの話じゃなくて、本当の話のほうを私にちょうだい」
 微笑みの中の研ぎ澄まされた眼差しが彼女が本気であることを伝えていた。

(つづく)

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