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共犯
姉妻蕩治

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「でもなぁ。著作権って問題が、あるからなぁ」
 とぼけた言い方をしつつも彼女に目を合わせることが出来なくなって、相変わらず聞き耳を立てているマスターを気遣いながら、店内を見回しながら言った。

 その時、気がついた。鋭角な三角形の暗がりの中に、光る、緑色の蛍光色。

 それに目がくぎ付けになっていると、彼女が低く笑い声を発てた。
「やっと、気がついたの?」

 携帯電話が通話状態になったまま、置き去りにされた新聞紙に覆われている。

 それが何を意味しているのか。分かるようで、分からない。偶然と思うのは簡単だったが、たった今、彼女はそれを否定した。

 おそらく、どこかでいままでの会話が録音されていたに違いない。

 あの酔っ払いサラリーマンは、店の外で私、或いは私たちが出てくるのを待っているのだろう。よくよく考えてみれば、あれほどスーツの似合わないサラリーマンも珍しい。それにビール一本で酔うのも。
 アスファルトに刻まれた轍に溜まった雨をタイヤが裂いてゆく音がし、振り向くと一瞬、ヘッドライトに照らし出された異様なほど巨大な男の肩が、曇りガラスに映った。
 果たして、彼は傘を持っていただろうか。
 愛情だろうと殺意だろうと、少なくともびしょ濡れのスーツの男に抱きすくめられるのは、あまり心地よいものではないだろう。

「これを、食べて、下さい」
 それまでのぼんやり濁ったまなざしではなく、きつく焦点は合っているのに私の顔を透かして頭蓋骨の内側あたりを見つめているマスターが、うさぎにカットしたりんごを、私の前にすべらせた。
「本日限りのサービスです」
 唇の端がゆがんんだ笑みを私に、そして彼女に向けた。
「ここのマスターがサービスするなんて、珍しいわね。ねえ、食べて食べて」

 無邪気な笑顔の彼女を、もしかしたら初めて見たのかも知れない。中学生の頃からいつもなにかを秘めた笑顔しか、漏らさなかった彼女。
 孤独に裏打ちされた疑り深さと、自分に愛想を尽かしているような悲壮の分泌を、私はいとおしさを材料として勝手に彼女のイメージを造り上げ、10年以上も勘違いしていたらしい。

 また、レコードが最後の溝を永遠にトレースし始めた。
 一周する度に必ずする「コトン」と言う音。
 今度は、マスターはカウンターから出る気配もない。

 取りあえず、このうさぎを片付けないことには、話が進まないらしい。ただ、皮を剥いてから塩水に漬けなかったらしく、茶色に変色してしまっている。
 なのにこのうさちゃんは皿に鎮座する前に、水遊びでもしてきたのか、びしょ濡れだ。少なくとも漬け込まれていたのは塩水ではなかったらしい。そして私がうさちゃんを片付ければ外のもう一人のびしょ濡れに片付けられなくて済むらしい。

「随分、苦いりんごだね」

 緊張のせいか頬の筋肉が痙攣してしまって、うまく噛むことが出来ない。
「じゃあ、もう少し、お話、しない?」
 彼女は皿に残ったもう一匹を私へ押し出しながら言った。

「あなたは、私たちをネタにして華々しく作家デビューしたのよね。それも全て真実ではなく、肝心な所をフィクションにして。それはそれでありがたかったし当然だけど、結局私たちはそのせいで随分マスコミに追いかけられたわ。生活も将来もボロボロにされるくらいに。でもあなたは出版社に守られて、自殺した友人の架空の人生を永遠に作品の中で生かし続ける作家、なんて言われて、のうのうとお気楽な印税暮らし。まるっきり別天地に住んでしまって、本当の私たちも本当にあったことも忘れてしまって。じゃなかったら忘れた振りをして、架空の私たちと作品の中でじゃれあっていたわ」

 こんなに美しい彼女を見るのは初めてかも知れない。

 効いて来てやがる。もう一度、声に出さずに言ってみよう。こんなに美しい彼女は、初めてだ。
 舌がもつれるね。彼女を見るのがこれが最後じゃないことを祈りたいね。

 さてさて。おやすみ、ですむのか、さようなら、になってしまうのか。

 シンイチもこんな気分を味わったんだろうね。恐かっただろうね、不安だっただろうね、でもまだ救われたのは、まさかホントに殺されるとは考えてなかったことかな。それともそのほうが残酷だったかな、あはは。

「散々あなたにいいように使われて、イメージを作られて私たちは仕方なくそれを演じてきたわ。でも、あなたが落ち目になったら、結局残ったのは私たちへの疑惑と中傷だけ。あれだけマスコミに取りあげられちゃ、どんな辺鄙なとこでも、あっあの女、って。人の噂も七十五日ってウソね。知ってる? 私、いまソープに居るんだけど、絞め殺しのマミちゃん、なんてあだ名つけられて。

そう、それでね、そう言った類の事務所がバックアップしてる店なんだけど、そこの店長がやり手でね、店長自身も二人手に掛けてる過去持ってるくらい、なんだけど、その店長がねプロデュースしてくれるって、私を」

「れんちょう?」
 らりる、ってのを久々に思い出したよ、シンイチが親の商売がらみで手に入れ、やってたドラッグ。

「今度はあなたをネタにして、稼いだらどうかって、店長が。ね、憶えてる?」
 憶えてるとか憶えてないとか、いろんなホントとウソがごっちゃごちゃにあふれてなんだか良く分からない。
 でも一番綺麗で可愛かったお前を、ホントに大好きだったオレだった頃の気分に、今、戻っちゃってるよ。あははは。
「今日の午前0時で、時効なのよ」
 そうかそうか、そりはそりは。よかたよかた。シンイチもきっと成仏できるね。

「あの子、事務所に人質に取られたままなのよ。時効前までにあなたが本当の話を書くことを約束してくれないと。サインして実際にあった話を書いて、事務所の財界誌を出してるところから出版できれば、私もあの子もあなたも助かるの」
 そうそう、お前とオレだけのヒミツ。ひみつ、ってなんかエッチな感じで甘い思い出。ああ、きっとスゴイお前のこと、愛してるみたいだよ。ずっとだよ。ウソじゃない。今までウソばっかりついてウソばっかり書いてきたけど。これホントにほんとだよ。だからシンイチも殺したし。あ、これもウソ。ほんとのはなしは、はのへのね。

「ちょっと、マスター! 分量、間違えたでしょ」
「100ccに100グラムですよね」
「馬鹿、10グラムよ」

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 泣き声がうるさくて、目が覚めていく。誰かが私の胸を規則正しく押し動かしているようだ。何か懐かしい匂いがする。

「大丈夫?」
ぼんやりと目の前に顔が浮かんで、それがほんとは一番あいたかった女の顔だったために、よけいに胸が苦しくなる。思わず胸を圧し続ける手を払うと、空を切って、じつは私が泣きじゃくっていたことに気づいた。嗚咽がこんなにも激しいのはなぜだろう、子供の頃以来だ。

「まだ動かないで」
 肩を押さえられた。側頭部に彼女の腿の温かく柔らかい感触を感じる。徐々に色々なことを思い出し、整序されたが、このまま彼女に抱かれて死ぬのはもしかしたら幸せなのかもしれないと思った。

「まだ生きてたんだな」
「当たり前でしょ、あなたには書いてもらわなくちゃならないんだから」
「そういうことだったんだ」
「そうよ」

 どのくらい意識を失っていたのだろう。LPレコードの真ん中辺りの曲が流れている。
「これからね、事務所に行って契約書にサインしてもらわなくちゃいけないし、いま死なれちゃ困るのよ」

 そんなにでかい声で話さないでくれ。頭にガンガン響くよ。
「大体、作家なんてふつう契約書なんかにサインしないぜ。握手会にはするけど、本に」
「いいから、黙ってて」
 小声だけれどきつく彼女にたしなめられ、ひじで顎を押さえられてしまい、話せなくなった。目を開けると微かに彼女がウィンクしたような気がした。

 彼女は私の脇腹に手を入れ、抱き直すしぐさを繰り返す。それがくすぐったくて笑い出しそうになったが、また彼女のひじに顎を締め付けられた。驚いて彼女の目を見ると、微かに一瞬だけ頷いたように見えた。

 彼女の膝枕はちょうど私の目線を時計に向けていた。
 午後10時時47分。午前0時まで時効まであと1時間13分だ。

「まだちゃんとしゃべれないのね」
 いつもの彼女とは、微かに違うトーンで言った。それは推測するに彼女の後ろにはずぶ濡れぴちぴちスーツのサラリーマンもどきが居ることを意味していた。そして水を流す、勢いの良い音が聞こえる。マスターも居るらしい。

 外で車のエンジン音がしている。

「余計なおしゃべりはもういいだろ、さっさとつれて行くぞ」
 例のサラリーマンだ。さっきのよれよれの酔っ払いの芝居の微塵も感じさせない、声だ。

「じゃあ、立ち上がって」
 彼女に脇の下に手を入れられ、立ち上がる。悪い二日酔いに似ている。急に立ったために貧血が起き、吐いてしまった。

「あらら」
 カウンターから出ようとするマスターを手で制し、偽サラリーマンはカウンターに歩み寄ると新聞と携帯を手に取った。おもむろに持ち上げ、手首を振るようにして電源を切る。びしょ濡れのスーツの内ポケットにしまうと、指先ですっと灰皿をつまみ、スナップスローでマスターへ投げつけた。マスターの肩にあたり、後ろの壁に並ぶボトルを砕き、床に落ちて割れた。

「てめぇが自白剤の分量間違えるから、サインする前に時効になっちまうとこだったじゃねぇか」
 ドスの利いた本職の声で怒鳴りつける。
「もう頭ははっきりしてるだろ。もうわかってるだろうが、あんたがお友達を殺した話にうなずいて認めた会話、全部録音させてもらったよ。で、契約するのが嫌なら、いまからでもあんたを警察まで送り届けるだけだ。証拠のテープと一緒にな」
「もう時間がないんだから、返事して」
 彼女が一瞬だけ腕をきつくつかんだ。私の推測が間違ってなければ、上手な言い方をしろ、と言うことだと理解した。
 だが。
「本意じゃないし、無理矢理だけど、脅されちゃ仕方がない」
 風を切る音がして私は再び床に寝ていた。顎の関節が一瞬ずれてまた戻った。
「もういい。あとは事務所で、だ」

 偽サラリーマンがドアを開ける。一旦立ち止まりマスターへなにかを投げつけた。そして親指を突き立てて唇の前とも喉元ともとれる辺りで、真一文字に引いた。封筒から流れ出た札束がのぞいている。

 彼女と共に車の後部座席に押し込められると、急発進した。後部座席の3人が揃ってのけぞった。「うわぁ」と小さく声を漏らした偽サラリーマンの表情にこらえきれず私と彼女が忍び笑いを漏らすと、シートの真ん中に座った偽サラリーマンは足を伸ばして爪先で運転手の頭を蹴り、ちゃんと運転しろ、と怒鳴った。

 煩雑な商店街を通り抜け、下卑た電飾看板に照らされて立っている客見せ用の女達、外国人が多かったが、が視線をこの車に向けるのを感じつつその通りを抜けたところで、車が止まった。

「降りろ」
 新入りなのか、先ほど足蹴にされたのがよほど効いたのか、すっかりびびっている運転手が先に降りてしまった。
「てめぇじゃねえよ、車、さっさと駐車場に置いてこい」
 私も彼女もこの状況だと言うのに笑いをおし殺すのがやっとだった。人間は、こんな時でも笑えるのだなと、感心しながら、すっかりリラックスして事務所へのエレベーターに乗り込む。

 事務所に入るとそこにはどこか見覚えのある顔が待っていた。


 人質と言うにはすっかりその場になじんでいて、大きなソファに座り、コンビニのおでんを食べている。
「ママ!」
 ソファからずり落ちるように降りて駆けよる。彼女の膝に抱きつくと、私を見上げた。
「大丈夫よ、この人は」
 そう言ってゆっくりと偽サラリーマンに顔を向けた。

「店長、もうこの子はいいでしょ、彼を連れてきたんだから」
 懇願のまなざしで叫ぶように彼女が言った。
「まだだ。サインしてからだ」
 おでんの食べかすを脇にずらし、ソファに座った。

「まず契約書にサインしてもらおう」
 店長だった偽サラリーマンは、実はこの会社の代表でもあるのでは? と疑いつつ手書きの契約書に目を落とす。

 19**年*月*日に死亡した****シンイチの本当の死因は他殺であり、その犯人は私*******であり、時効を迎えたいま、その全てを公表しその手段として*****社より書籍として出版する。

 そんな内容のものだった。その下にはパーセンテージで印税の取り分が明記されていたが、そのほとんどがこの事務所の入り口にあった*****商事という社名にあてられていて、3パーセントが彼女、1パーセントが私だった。  

 1パーセントとはあまりに少なすぎる、とも思ったが逆に明記してあることで執筆後も命の保証はされているのかも知れない、と思った。そして、こんな時にも印税の計算をする自分にあきれ返った。

 うながされるままにサインしようとすると、彼女が口を挟んだ。
「こういうものってね、店長、確認の意味を含めてお互いが読み上げてからサインするものよ」
 彼女がどうしてそんな刺激するような言い方をするのか分からないまま、仕方なく私は読み上げたが、店長は腕を組んでソファにのけぞったままだった。

 サインをする。
 店長の顔をゆっくりと眺め、それから彼女を振り返った。彼女は本当に安堵の表情を浮かべていた。それを見て、私も嬉しく思った。

 この表情に出会ったのはこれが2度目だ。あの時から、随分と時間が流れ、一回りしてまた同じ場所に戻ってきた気がする。

 当分は身の回りが騒然とし、蝿が私のまわりをぶんぶんと飛び回るのだろう。
 それでも彼女の顔を見ていると、幸せな気持ちになる。

「これでいいだろ。彼女と子供は返してやれよ」
 店長に殴られ、横っ飛びしている瞬間に、なにか私は勘違いしていたのか?と考えた。
「おいおい、まだ時効は過ぎちゃいねえんだぞ。でかい口叩くといまからでも警察に突き出すぞ」
 そうか、何だか正義のヒーローぶっちゃったからなぁ。いまは、そんなことが言える立場じゃないからな。

 無意識のうちに彼女を見上げる。

 さっきまでの彼女の甲斐甲斐しさはどこかに消え去って、突っ立ったまま無表情で私を見下ろしている。
「じゃ、私たち帰るから、店長、いいでしょ?」
 あまりにもあっさり言われると、やはり耳を疑う。

 女って奴は、やっぱり。

「忘れもんだ」
 店長は子供の黄色い帽子、保育園のものだろう、を彼女に向かって投げ、許可の意味にした。
「おぢちゃん、ばいばい」
 本当に安堵した、たおやかな表情の彼女に手を引かれ、子供が帰り際に手を振った。
「バイバイ」
 私と店長の両方ともが手を振っていた。らしからぬにやけた表情をしてしまったのがばつが悪いと思ったのか、実際には私に向かって手を振っていたことに怒ったのか、テーブルの下で足を蹴られるとばっちりにあった。

「さて、これからアンタには見張り付きで書き上げてもらう。時間は2週間だ。ちゃんとした部屋は用意したから感謝しろ。その代わり、出版したあとに飛びついてきたマスコミ連中に応対するまで、アンタは逃げられないからな。そのつもりでいろ。いま運転手が戻ってきたら案内させる」
 そう言い捨てると、びしょ濡れのスーツを脱ぎ始め、背中には色とりどりの景色が現れた。なるほど本物なんだ。

 その時ドアが開いて、店長と私は振り向いた。ドアからは先ほどの運転手が覗いている。なにかいけないものを見てしまったかのように、それ以上は入ってこない。
 次の瞬間、運転手がすさまじい勢いで部屋へ飛びこんできた。

(つづく)

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