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Survivor Oyoshi
ドブネズミ  1998年1月7日
 寒い正月の夜中。
 コンビニで夜勤のアルバイトをしていた私は、外のゴミ捨て場を荒らすドブネズミの一匹を素手でつかまえた。しかし店の中へ持って入ったところで右手首を噛まれ、ひるんだスキにどこかに逃げられた。

 1998年1月9日
 2日後にまたアルバイトでその店に行くと、店の中を走りまわっていたというドブネズミが、店長「茂紋形郎」と店員「うばすて山」により捕獲されていた。
 私を噛んで逃走したドブネズミに違いなかった。
 噛まれた自分が発病したときのために、私はそのネズミを自宅に持ち帰り、飼うことにする。
 まんが日本昔ばなしの「峠のまご六」に出てきたキツネから、そのドブネズミを「まご六」と名づけた。
 まご六はメスだった。

 野生のドブネズミに噛まれた自分がどんな運命をたどるのか心配だった私は、ネズミ文献を読みあさり、ネズミの知識を徐々に増やしていったのだった。
 しかし結局発病はしなかった。
 ネズミへの深い関心と親しみだけが残った。

 1998年2月
 最初は全然巣箱から出てこなかったまご六も、日がたつにつれ、しだいに私に心を開き始め、私が手わたしする食べ物を口や手で受け取ったり、私が卒論を書くためにカタカタとワープロをたたき始めると巣箱から出て来てじっと聞き耳をたてるまでになった。

 1998年7月7日
 すっかりドブネズミに夢中になった私は、板橋のとある実験動物商からアルビノラット(オス)をもらって来た。
 まんが日本昔ばなしの「七つ山」に出てきた天才猟師の名をとり、そのラットを「九衛門」と呼ぶことにした。

 1998年8月17日
 まご六と九衛門の間に、7匹の子供が生まれた。
 グレーが4匹にブラックが3匹。
 ブラック3匹はすべてメスだったが、そのうちの一匹は「おヨシ」と名づけられた。
 やはり、まんが日本昔ばなしの「万年寺の御好し狸」に出てきたタヌキの名前だった。
 つまりおヨシは正式には「御好し」と書く。

 1999年7月25日
 まだ生まれて1年と少ししかたってないはずの九衛門が死んだ。
 原因は不明のまま。

 1999年8月
 ある日家に帰って来ると、おヨシ以外のすべてのネズミが動かなくなっていた。
 猛暑のせいだった。

 2000年8月17日
 おヨシ2歳。

 2000年11月15日
 かのえさんちの火穂とうちの紫苑の間に12匹の子どもが生まれた。
 そのうちのオス1匹とメス1匹はそれぞれ「ジャキ」「サラ」と名付けられ、その後、父親の紫苑、おヨシとともに暮らすことになる。

 2000年11月26日
 しろうさぎさん邸でラットオフ。
 大阪からやってきたあどべがさんに唐突に土筆の仔をいただく。そのハスキーラットくんは「ストラディバリウス」と名付けられ、のちにおヨシを毛づくろいしまくる。
 ストラディバリウスは名前が長いため、「スー太郎」と呼ばれることが多い。

 2000年12月1日
 ドブネズメールマガジン「NeZuMagazine」創刊。
 ほとんどおヨシのためのメールマガジンだった。

 2001年2月5日
 朝出かける前にネズミどもにエサをやろうとしたが、おヨシだけがケージの入り口にやって来ない。いつもは一番にすっとんで来るのにおかしいなと思いながらケージの底を見ると、走り回るほかのネズミの中、おヨシはいつもの場所で静かに寝ている。
 恐怖。
 呼んでもおヨシはピクリともしない。
 おヨシは二度と起きることはなかった。
 最近顔がぼろぼろになってきたとは思っていたが、昨夜まで元気に走りまわって他のネズミのエサまで奪っていたおヨシが、突然こんなに静かな存在になってしまうなんて。

 2001年2月18日
 我が家には4匹のカラーラットが残った。
 どこか淋しい。


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