おぼろ -Oboro-

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その九 闘争

半月  大瀧が同僚とともに昼食を終えて小学校に帰ってくると、校門を入ったところに警察のパトロールカーが駐車してあるのが見えた。
 大瀧はいやな予感がして急ぎ足に職員室に戻った。同僚の教諭もパトロールカーを見てやや驚いたらしく、大瀧について小走りに職員室に入って来た。
 職員室には警官がふたりいた。
 警官のひとりが部屋の中央あたりで椅子に座らされたタロから何か話を聞いている。
「何があったんですか。」
 大瀧はかけ寄って尋ねた。
 タロの話を聞いていた警官がゆっくりと大瀧の方に顔を向けた。大瀧はあわてて自分の身分を述べた。
「私はその子の担任の大瀧です。」
 すると警官は意外なほど落ち着いた声で言った。
「どうもこんにちは。土山おぼろくんが校門の前で見知らぬ男の車に乗せられてどこかにつれさられたということです。この子は目撃者なのでお話をうかがってます。」
 それを聞いたとたん、昼食に出かける前に校門に立っていた若い男のことが大瀧の脳裏に浮かんだ。
<あの男だわ。>

 ボンネットのへこんだ白い乗用車は荒れた山道を走り続け、山頂近くまで進んでいた。
 男はハンドルを操りながら、トランクの中の小学生をどう処分するか考えていた。
 アタッシュボードには野良犬を殺した時のナイフがしまってあるが、またどこかに血のあとを残してしまうのは危険だと思われた。
<手足をしばったまま藪の中にでも生き埋めにするのがいいだろう。>
 男は考えた。
<だがその前にあの小学生には聞いておきたいことがたくさんある。なぜおれのやったことを知っているのか。他にも知っているやつはいるのか。そして、なぜわざわざおれに捕まりに来たのか・・・。>
 車は山頂付近のある場所で止まった。
 静かな場所だった。人気はまったくない。
 立ち並ぶ木々のおかげで昼間なのに辺りは少しうす暗くなっている。
 車道はやわらかい土で、車のタイヤがやや土の中に沈んでいるのが見えた。
 めったに人も車も通らない証拠だ。
 この道を少し進めば、山頂で道は消えてしまう。こんなところに用のある人間はまずいないはずだ。
 それでも男は入念に辺りを警戒してからトランクを開けた。手には用心のため、アタッシュボードから取り出したナイフを持っている。
 トランクの中で、おぼろはあお向けに横たわっていた。両手は男がしばった時のまま背中にまわされ、両足首にもきちんと縄が巻きついている。
 男はまず手に持ったナイフをおぼろに見せた。
 おぼろが少しでも暴れれば突き刺すつもりだった。
「お前はおれがさやをはねたのを見てたんだな?」
 男は低い声で言った。
 おぼろは無言のまま身動きもせず男の持ったナイフを見つめていた。
「他にも見たやつがいるのか?答えろ。」
 男はナイフをおぼろの顔に近づけた。
 おぼろはあお向けのまま目の前のナイフを見つめ、何も言う気配はない。そして無表情だった。
「答えろ。」
 男の声とともにナイフがおぼろの頬に触れた。
 その時おぼろの口が開いた。
 そして信じられないほどおだやかな声が発せられた。
「僕を殺しても校門であれだけの人に見られてれば、すぐにあんたが犯人だってわかりますよ。」
 男はナイフをおぼろの頬に押しつけた。
「お前は死にたいんだな。」
 男は押し殺した声で言った。おぼろの頬から赤い血が流れた。
「おれはすでにさやを殺している。もうあと戻りはできない。お前はもう死ぬしかない。」
 男の声は低く、緊迫していたが、おぼろはそんなことは耳に入らないといったふうに、またおだやかな声を出した。
「このシャベルで雪野さやさんを埋めたんですか。」
 トランクの中のおぼろの横には、土まみれのシャベルが転がっていた。
 それは確かに男がひき殺した女を土に埋めたシャベルだった。
 ふと、男はおぼろが全然おびえていないのに気づき、不思議に思った。そして思わず口にした。
「お前はこわくないのか。」
 男の質問におぼろは静かな声で言った。
「あの赤いクツを取り戻さずに僕を殺していいんですか。」
 それを聞いた男は一瞬の間をおいて、突然笑い出した。そして笑いながら言った。
「お前はそんなことで安心してるのか。甘いよ。おれはたまたまさやを埋めるときにハイヒールが片方ないのに気づいたんだ。あの場所にハイヒールを取りに戻ったのは、あれが見つかったらさやの捜索が始まるのが少し早くなると思ったからだが、別にそんなものは早くなったって実際いっこうに問題ない。今すぐお前は殺してやるよ。まずはおれの秘密を知ったお前が死ぬことが大事なんだ。」
 そうしゃべっている男の持つナイフがおぼろの顔からほんの少し遠ざかった。
 おぼろは言った。
「そうだと思った。」
 その時男はおぼろの片足が持ち上がり、自分の顔に近づいてくるのを見た。そのとたん顔面に強い衝撃を感じて、男はよろめいた。
 おぼろはトランクから飛び出て車の前方にまわりこんだ。
 男は何が起こったのか把握できなかった。
 左の頬が激しく痛み、口の中からなまり臭い液体が流れ出してくる。
<血だ。やつはおれの顔面を蹴ってトランクから出やがった。>
 男はトランクの中の縄をよく見た。
 かたく手足をしばったはずの縄が切られている。切り口はどう見ても刃物で切られたような様子だ。
 すぐに顔をあげて前を見ると、車のヘッドライトのあたりでおぼろが手にカッターナイフを持って構えている。
「そんなものを持っていたのか、ふざけやがって。」
 男は蹴られた頬を左手で押さえ、右手で自分のナイフを構え直した。
<やつはここにたどり着くまでの間にポケットに持っていたカッターでおれがしばった縄を切ったんだ。そして、しばられてるふりをしておれをだましやがった。>
 男はおぼろをにらんだ。
 お互い刃物を手に持って構えている。ふたりの距離は二メートルほどだった。
 相手は小学生だ。男にはすぐにおぼろを押さえつけられるだろうという確信はあったが動かなかった。
 たとえおぼろのカッターナイフに刺されたとしても、小学生の力では自分をしとめることはできないのもわかっていたが、それでも動かなかった。
<この小学生は何かやばい。>
 男とおぼろはじっとお互いをにらみ合ったまま動かなかった。


[つづく]

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