Antonín Dvořák(アントニーン・ドボルザーク、1841年9月8日~1904年5月1日)は、日本語表記では、ドヴォルザーク、ドボルジャック、ドゥボラーク、ドヴォルザックなどとさまざまな呼び方をされます。様々な国の様々な発音の一つが「これだ!」と採用された結果でしょうが、それじゃあチェコ語のスペル表記で、といっても私のPCでは簡単には<ř>を表現できない始末です。Beethovenにしても英語では<ビーソヴェン>と聞こえるでしょうし、独逸語では<ベートホーフェン>を早く発音すると<べートオウフェン→ベートーヴェン→ベートーベン>と聞こえるのでしょう。筆者も中国では、<ペイフォァン>と呼ばれていました。(^_^;
ドボルザークはチェコのネラホゼベス出身で早くから音楽の才能を発揮していましたが、41歳のときニューヨークのナショナル音楽院に招聘され渡米しました。アメリカの西部開拓も終わりを告げる頃でしたが、先住民族(ネイティブ・アメリカン=いわゆるインディアン)の音楽に触れて衝撃を受け『新世界』を感じて、「交響曲第9番(新世界から)」「アメリカ弦楽4重奏曲」「ユウモレスク」などの作品をヨーロッパのクラシック界に送り込み、それとともに新世界アメリカの息吹をも送り込んだのでした。彼は米国に留まって作曲を続け、弟子も取って、デキシーランド音楽や先住民の音楽の重要性を説き、20世紀アメリカ音楽にも影響を与えました。
今回は交響曲第9番の抜粋としますが、「スラブ舞曲第10番」「ユーモレスク」を別ページとする予定です。 交響曲第9番<新世界より>第2楽章(家路):2分45秒