ずいずいずっころばし

 明治期わらべうた 制作:滝野細道

ずいずいずっころばし
ごまみそずい
ちゃつぼにおわれて
トッピンシャン
ぬけたら どんどこしょ
たわらのねずみが
米くってチュウ
チュウ チュウ チュウ
おっとさんが呼んでも
おっかさんが呼んでも
いきっこなしよ
井戸のまわりで
おちゃわんかいたの
だあれ


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*09/NOV/06

<わらべうた>というのは子供の遊び歌である場合が多いですが、「かごめかごめ」「あんたがたどこさ」「はないちもんめ」など子供のものというには歌詞が難しく、そのため、元の意味、裏に潜む物語、隠し言葉、権力に対する揶揄など、色々類推(邪推?)した結果が発表されているようです。この「ずいずいずっころばし」もご他聞に漏れず、これが本物だ!と様々な解釈がなされています。様々な本物があっても仕方がないですが、そもそも遊び歌というものは、遊び方とリズムが先ににあって、それに言葉遊びとして大人の提言や時代のトピックの戯れ歌などをを被せて行ったというのが妥当で、一部の人が懸命に類推しているように、最初に詩句があってそれに遊びとリズムを乗せた、というのは穿ち過ぎといわざるを得ません。特に「ずいずいずっころばし」の遊び方は、二者択一の場合♪どっちがよいかてんじんさまのいうとおり♪ などと選ぶ方を指し示すのと同様、大勢の子供が輪になったなかで数え歌式に数えて行って<鬼>を決めるあそびなので、歌は複雑な方がいいわけです。それはさておき、この「ずいずいずっころばし」の解釈は色々ある中で<茶壷>を中心としたものが一番多いようです。先ず解釈に従って漢字表記して見ますと

   @ずいずいずっ転ばし胡麻味噌ずい
   A茶壷に追われて 戸っピンシャン
   B抜けたらどんどこしょ 
   C俵の鼠が米喰ってチュウ チュウチュウチュウ
   Dおっ父さんが呼んでも おっ母さんが呼んでも
    行きっこなしよ
   E井戸の周りでお茶わん欠いたの だあれ

@この部分で納得できる解釈をしている人はおりません。単に囃子言葉でリズミカルにしているものと思われます。
A<茶壷に追われて>というのを、この歌のハイライトとしています。<茶壷>は江戸時代、幕府に宇治(都)の一番茶(玉露)を献上する行列を<お茶壷道中>といい、大変な見識でした。博多帯の<献上>同様、<天下御免>の高札を掲げていましたので、たとえ大名行列といえども行列を止め、道を譲らなければなりませんでした。平民が行列の前を横切ったり、失礼な振る舞いでもしようものなら、たちまちお手打ち。唯一つ産婆だけは、『産婆にござります、産婆にござります』と唱えながら道を横切れば大名行列でもお茶壷道中でも行列の方が停止したといいます。何しろ何百何千人という行列が静々と進むのですからどのくらい時間が掛かるか分かったものではありませんので。かくして、遠く西の方よりお茶壷道中が来ることを知ろうものなら、追われるように家の中に逃げ、戸をピシャンと閉めて息を潜める。
B(行列が通り)抜けたら、ドンドコドンとお祭り騒ぎできる。
C(年貢や暮らしの基の)米を鼠が喰い散らかしても、大声で追い払いも出来ず、鼠は大意張りでチュウチュウチュウ。
Dお父さんやお母さんが(行列と何かあって)緊急の声で呼んでも、決して行ってはいけない。
Eこの緊迫の中でお茶わんなんか洗って、ガチャンと音を立てたのは誰?その人が<鬼>、と指を止める。

と、お茶壷行列が通るときの厳しさ怖さを、遊びを通して子供たちに教えたのが、この「ずいずいずっころばし」の歌詞であるとする説が一番多いようです。ただ、この歌は明治中期に出来た歌とされ、過去を揶揄しているのなら別ですが、子供の教育用の遊び歌だったとするとちょっと時代が違うようです。