「江添繁和作品展」に寄せて
ギャラリー・ベルハウス企画
「茶碗の詩」他のシリーズ、1960年代の作品(作者30代)
茶碗の詩
(T)
住む処があり 夜寝ることができる。
茶碗に飯が盛られて喰え
紲に支えられ 互いに励まし合い 生き抜くのに必死であった。
あるものは夢と希望。
飯を喰うには茶碗が必要だ
茶碗は特に大事にされることもないが 蔭の伴侶なのだ。
(U)
どうゆうわけか 飯を盛るのに茶碗とゆう。
飯碗、飯茶碗ともゆわない。
擂り鉢型の手のひらに乘る 小型の器だ。
字には石偏がつき 粘土を焼いた陶磁器だ。
日々お茶を飲むには 湯飲茶碗とゆう。
手のひらで握り易い型の器だ。
茶の湯の席に招かれると
こゝで初めて お茶碗と呼ばれる食事用よりは
大ぶりな器が使われる。
面白いのは 大ぶりな 歪な お茶碗が珍重される
結構なお品ですね と褒め言葉をし
由来聞いて 感服したりする。
一期一会・茶の湯を職とする伝統文化がある。
汁物にはお椀といい 木偏がつく
飯も椀に盛って喰った その昔があった。
飯茶碗は 銘々好みのものを選んで愛用する。
日用品だから高価なものは使わない。
幼児には特に可愛らしいものが選ばれ
食事には欠かすことのないものだ。
特に大事にされるわけではないが 生涯使われる。
特に意識することもない 日本の民族文化なのだ。
(V)
人は生まれて百日になると 氏神様にお参りして
お喰い初めの儀式が行われる。
お茶碗に盛られた御飯の祝膳を前にして
人生の門出を祝う。
成長する毎に好みの茶碗を求めて
各自が日々愛用する。
結婚すると夫妻茶碗が揃えられて
二人の人生が始まる。
生涯を通じて茶碗は欠かすことのない
稲作民族日本独特な文化として存続する。
同じ稲作民族のアジア諸国のことは知らないが、
まさか茶碗で飯を喰ったりはしないだろうな。