SFの館                    飯田春介


[1950年代SFの黄金時代の代表的傑作10編]
 1950年代の米国SF界は、それまでのH・G・ウェルズ、ジュール・ベルヌなどのSF古典以来一時衰退し、ジェームズ・ヒルトン、コナン・ドイル、ロバート・E・ハワード、E・R・バロウズなどの異郷探検SF、ジョージ・オーウェルやホーソンの未来予告SFなどに押し捲られ、スーパーマン、スパイダ−マン、バットマンなどの漫画でお茶を濁していた。わずかにE・E・スミスがレンズマンシリーズやスカイラークシリーズで気をはいていたが荒唐無稽の謗りを免れる事は出来なかった。それが戦後1950年代に、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・ハインラインの輩出と、それに続くA・E・ヴァン・ヴォークト、ポール・アンダースン、シオダー・スタージョン、アルフレッド・ベスター、クリフォード・シマック、レイ・ブラッドベリーなどが出て一挙にSF黄金時代を築き上げ、フィクションの一ジャンルを確立したのであった。
 ここでは、私がその時代の代表と思われる10篇を紹介する。これを読めばSFファンになること請け合い。


1.「宇宙船ビーグル号の航海」
The Voyage of the Space Beagle  1950
A.E.ヴァン・ヴォークト(by A. E, van Vogt)著 早川文庫、創元推理文庫
私の読んだヴォークトの書:「イシャーの武器店」「武器製造業者」「スラン」「非Aの世界」「非Aの傀儡」「宇宙嵐の彼方」「原子の帝国」「地球最後の砦」「宇宙製造者」「時間と空間のかなた」「惑星売ります」
2000.1.26. 87歳で没

 原題はもちろんチャールズ・ダーウィンの進化論の基となった「ビーグル号の航海」。科学者を満載した宇宙調査船ビーグル号は宇宙から宇宙へ、星から星へ調査を続ける途上、様々な宇宙生物に遭遇する。この物語の生物はみな、人間とは似ても似つかぬ姿をしているが、単に怪物をやっつけるヒーロー物語としてではなく、喜びも悲しみも持った生物の視点から語られている。
 物語は四つのオムニバス形式となっているが、中でもケーアルという宇宙生物の側から語られる哀しみは圧巻である。
 ヴォークトはこれ以後、一般意味論の世界に傾注して行ってしまい、「非(ナル)Aの世界」、「非(ナル)Aの傀儡」などの精神世界のSFを語るようになるが、この「宇宙船ビーグル号の航海」は、E.E.スミス、E.R.バロウズなどの宇宙ヒーロー物とは違ったスタンダードSFとなっている。
 第3話「緋色のディスコード」は、船橋から船橋へと自由に壁を抜けられる赤い悪魔のような節足大怪獣イクストル(ixtl)との壮絶な戦いを描いているが、これは後に映画「エイリアン」の原典にもなったとされ、実際に訴訟も起こっている。私も映画「エイリアン」を見た時、真っ先にこのイクストルを思い浮かべた。

第1話「黒の破壊者」
黒豹に似た宇宙生物ケーアル(Coeurl)が、惑星に下りた探検隊を襲い、ビーグル号を乗っ取ろうとする。総合科学者グローブナーと考古学者の苅田は・・・
第2話「神経戦争」
テレパシー、サイコキネシスなどの能力を持った鳥人間との神経戦を通じて得たものは・・・。
第3話「緋色のディスコード」
子孫を残す寄生体を探して宇宙をさ迷うイクストル(Ixtl)。彼は宇宙船ビーグル号に宇宙空間で遭遇し、その内部に卵を産み付けるに格好の寄生体(人間)を見つけ。船に潜入するが、
第4話「アンドロメダM33星雲」
惑星全体の大きさにも匹敵する、巨大な気体生物との死闘


2.「幼年期の終り」
 Childhood’s End  1953
 アーサー・C・クラーク (by Arther C. Clark)早川文庫、創元推理文庫「地球幼年期の終り」
 私の読んだA.C.クラークの代表作:「都市と星」「太陽系最後の日」「2001年宇宙の旅」「2010年宇宙の旅」「白鹿亭奇談」「宇宙島へ行く少年」「宇宙のランデブー1〜4」「2061年宇宙の旅」「前哨」「楽園の泉」「宇宙への序曲」「火星の砂」「地球光」「海底牧場」「渇きの海」「イルカの島」「地球帝国」「天の向こう側」「10の世界の物語」など

 全地球は突然巨大な宇宙船団に覆われ、全ての戦争、闘争、内紛は停止させられ、武器となるものは化学兵器、細菌兵器から核兵器にいたるまで無力化される。そして、統治のために降りてきた宇宙人は、人類の潜在意識の中にある悪魔そのものの姿であった。彼らは、人類愛や地球の平和、武器となり得ない科学の発達や向上心に携わる者たちには、従者のように振舞ったが、宗教や民族を唱える者、暴力や戦争に繋がるような思想はそれが正義を掲げていても苛烈な手段で殲滅された。自由と独立を重んじる米国では抵抗戦線が地下化し、かつては映画や物語では絶対の正義とされた自由への闘争を繰り広げたが、それも徹底的に殲滅されてしまった。
 人類は彼らに対してなすすべも無く統治され、彼らをオーバーロード(上帝)と呼んだが、その名にしては彼らの対応は、人類のリーダーたるべき人々に対しては、相変わらず召使そのものであった。ときには暴君の如く苛烈であり、ときには下僕の如く従順であるかれらの行動の秘密を解き明かそうとした新聞記者は、ついにそれを突き止めるが、監禁されてしまう。
 オーバーロードの世界へ連行された記者は、彼らもまた、巨大な宇宙秩序のひとつの駒にしか過ぎないことを知る。そして、オーバーロードによる地球侵略は、単にただ一つの目的、地球がスターチャイルドを生み出すのを守るためだったのだ。そしてこれがスターチャイルドの幼年期の終わりを告げるものにしか過ぎないことをも知ったのである。

 この「幼年期の終わり」の最初の場面は映画「インデペンデンス・デイ」の冒頭のシーンに使われた。しかし、物語の結末は正反対である。「I.D.」は自由・独立を叫ぶ正義が勝つが、「C.E.」の方は地球が宇宙の中にあってその役割を果たすための正義が勝つ。宗教とか民族とか自主独立などは、宇宙的に見ればとるに足らない単なる紛争の種であって、人類がアウフヘーベンする障害にしか過ぎない、というA.C.クラークの基本理念は、「救援隊」、「太陽系最後の日」、「都市と星」などにも脈々と波打っているのである。


3.「ファウンデーション・シリーズ1〜8」
 Foundation Series  1948〜
 アイザック・アシモフ (by Isaac Asimov) 早川SF文庫「銀河帝国興亡史」
 私の読んだアシモフの本:「宇宙気流」「鋼鉄都市」「裸の太陽」「我はロボット」「ロボットの時代」「夜明けのロボット」「神々自身」「カリストの脅威」原書”Early of Isaac Asimov”、「ミクロの決死圏」「永遠の終り」「宇宙の小石」「火星人の方法」「停滞空間」「夜来たる」「ネメシス」「サリーは我が恋人」「木星売ります」など

 天才歴史心理学者ハリ・セルダンは、歴史と心理を銀河的に組み合わせて分析すると、一定の確率の下に事象が具現化することを発見する。セルダンは銀河帝国に定期的予言を続け、死してからも要望に応じて予言を行うため、巨大なメカ惑星「ファウンデーション」を銀河帝国の援助で設立する。ファウンデーションは、あるときは帝国皇帝と対立したり、全面的に信頼されたりして継続して行くが、これも全て歴史心理学の分析範囲のことであった。ある皇帝は自分の未来を怒ってファウンデーションを破壊しようとするが、それも全て分析済みで、皇帝は予言どおり破滅していく。ノストラダムスの宇宙版である。
 ある時点を境に、ファウンデーションの予言が出来なくなることを歴史心理分析が示していた。その不確定要素は何か?というところからこのファウンデーション・シリーズは始まる。不確定要素、超能力者ミュールの出現により、帝国もファウンデーションも破壊されてしまう。しかし、この不確定要素の現出は予言していたセルダンは、密かに第二ファウンデーションを銀河の隅に設立していて、この第二ファウンデーションは、ミュールの歴史心理をも組み込み、ミュールの滅亡を予言する。ミュールは自分の超能力を駆使して第二ファウンデーションを見つけようと狂奔するが、それも全て第二ファウンデーションの予言していることであったのだ。物語は、第二ファウンデーションはどこにあるのか、から、第一ファウンデーションと第二ファウンデーションの対立へと発展して行く。

 この物語は最初ギボンの「ローマ帝国興亡史」に形を借りた「銀河帝国の興亡」3部作完結となっていたが、二十数年を経て書き継がれ8部作となって、最後はロボットシリーズとも結びついて完結する、壮大な絵巻である。
 アイザック・アジモフはロボットの物語中でロボット三原則を作ったことで有名である。すなわち、
@ ロボットは人間を殺したり傷つけたりしてはならない。
A ロボットは危険を看過することにより、人間を殺したり傷つけたりしてはならない。
B 第一項、第二項に抵触しない限り、ロボットは自分の身を守らなければならない。
 世界条約として、ロボットを製造したらこの思考回路を人工頭脳に組み込まねばならないという原則である。このロボット三原則の隙を突いていろいろな物語が出来ていき、アジモフのレパートリーを豊かなものにしている。


4.「都市」
 City  1952
 クリフォード・D・シマック(by Clifford D. Simak) 早川SF文庫、創元推理文庫
 私の読んだシマックの本:「人狼原理」「小鬼の居留地」「マストドニア」「中継ステーション」「妖魔の潜む沼」「大きな前庭」「宇宙からの訪問者」「超越の儀式」「愚者の聖戦」「大宇宙の守護者」「法王計画」 私の読み損なったシマックの本:「再生の時」「なぜ天国から呼び戻すのか」「神々の選択」「シェイクスピアの惑星」など

 人類も記録のあるものは高々4〜5千年に過ぎない。あったとしても、ロゼッタストーンやパピルス、エジプト象形文字、中国古代象形文字、壁画、副葬品などによるしかない。有史以前にアトランティスやムーなどの高度文明があったと繰り返し語られる。証明されない以上は御伽噺にしか過ぎない。この物語も、人類が宇宙の覇者である事を辞めて、地球から消え去って、後を引き継いだ犬たちが進化して文明を築くが、過去を探れるようになるまで進化するに至る間隙に、人類の痕跡は全て失われてしまったところから始まる。直立歩行した生物の化石や骨格、あるいは巨大な遺跡などは数多く確認されていたが、それがかつて繁栄を誇った生物であり、遺跡は「都市」の跡であるとの繋がりは無かったし、都市の概念はどうしても犬族には理解できなかった。
 ここに、脈々と語り告がれたおとぎばなしがあった。研究犬達は様々な解釈をして、その物語を理解しようとするが決定的なものはない。「人間」と記された生物が直立歩行であり、文明の祖であるようだが判然とせず、作り話であるという勢力の方が強かった。しかし、犬族の中から、人間に奉仕したいという失われた本能を呼び覚ましたりするものが表れたりする。物語と犬族の議論が平行して進むが、ある研究犬が、自分達が作ったと思っていたロボットのジェンキンズが「人間」ジョン・J・ウェブスターのロボットであることを突き止める。その物語は、人類の終焉を表すものであったのだ。

 クリフォード・D・シマックは田園の作家と呼ばれる。彼の作品にはあまり都市生活の匂いがしない。そのシマックが「都市」という代表作を書くようになるのだから面白いが、これも内容は牧歌的な犬の世代から世代へと語り継がれるおとぎばなしなのである。実は私はシマックのSFが一番好きなのであって、「小鬼の居留地」や「中継ステーション」「マストドニア」などは何度読んでも、ほのぼのとすると同時に、新たな感動を覚える。残念ながら日本ではあまり評価されておらず(勿論アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインなどに比べての話であるが)出版が少ない.しかし、SFが嫌いな人にも、アレルギーのある人にもぜひお薦めしたい作家である。


5.「火星年代記」
 The Martian Chronicles  1950
 レイ・ブラッドベリー  (by Ray Bradbury) 早川文庫SF
 私の読んだブラッドベリーの本:「10月はたそがれの国」「何かが道をやって来る」「太陽の黄金の林檎」「刺青の男」「ウは宇宙船のウ(R is for Rockets)」「スは宇宙(スペース)のス(S is for Space)」「華氏451」「よろこびの機械」「メランコリイの妙薬」 私の読みそこなった本:「黒いカーニバル(Dark Carnival)」「I Sing the Body Electric」「The Halloween Tree」

 1999年夏、人類の最初の宇宙飛行士が火星に降り立つ。(2002年の今、このSFの書かれた1950年からすると50年先のファンタジーであったが、既に経過してしまってまだ火星探検は実現していないと言う、この辺がSFの弱みでもあるか) 火星人の妻はテレパシーがあるばかりに、地球人が来るのを着陸前に察知し感応てしまい、宇宙飛行士は嫉妬に狂った火星人の夫の毒蜂銃で殺されてしまう。地球の第二次遠征隊も、誤解に基づく火星人のワナに引っかかり、4人全員殺されてしまう。地球人は一次、二次、三次遠征隊と全く帰って来ないので、火星は余ほどよいところと決め付けて続々と火星にやってくる。地球人は、火星には遠路はるばるやって来たのだから、当然大歓迎されるものと信じている。一方、火星人は有史以来はじめて来た異星人にもまるで関心がなく、関心あるのは自分達の日常の些細なことで、その邪魔をする地球人を簡単に殺してしまう。
 ある地球人が健康保菌者として持ち込んだ天然痘で(これもWHOは既に絶滅宣言を行っているのがSFの辛い所)、感染した火星人はほとんど絶滅してしまう。 手を汚すことなく火星を自分のものに出来た地球人だが、火星には火星の方法があり、なかなかコロニーを築きあげることが出来ず、徐々に衰退していくのを止める事ができない。2005年、地球では全面的核戦争が勃発する。地球は悲鳴を上げて、「地球へ帰れ、地球へ帰れ」・・・・・と。オムニバス26短編による火星の年代記。

 ブラッドベリーのSFはサイエンス・フィクションではなくサイエンス・ファンタジーであると言われている。ファンタジーといっても、ブラッドベリーの描くのはラブクラフトやポーなどの怪奇ファンタジーではなく、「黒いカーニバル」「10がつはたそがれの国」「何かが道をやって来る」に代表される、少年の夢と幻想に満ちた世界であり、そのイメージはメリーゴーラウンドや観覧車などのカーニバルに憧れる少年の心を表している。しかし、背景のトーンはファンタジーであっても、ブラッドベリーの小説はまごうかたなきSFであり、科学的検証に基づいている。ただブラッドベリーのように書いた作家はいない、というだけのことである。SFを荒唐無稽と軽蔑したり、科学的記述で一杯の、自分には難しすぎて入っていけない、という人々にはぜひともお薦めしたい。この作家のものは、間違いなく文学なのである。


6.「タイム・パトロール」 
 Guardians of Time 1955
 ポール・アンダースン (by Poul Anderson)


7.「虎よ、虎よ!」 
 Tiger! Tiger! 1956
 アルフレッド・ベスター (by Alfred Bester) 早川SF文庫
 私の読んだベスターの本:「破壊された男 Demolished Man 」

 25世紀、ジョウントの時代。ジョウントとはテレポーテーションのこと。この時代、これはESPではなく、大脳生理学の問題で、等級、巧拙の差はあるが訓練次第で誰でも可能となっていた。そしてこのジョウントのため太陽系惑星連合の政治経済は激変し、内惑星連合と外惑星連合は戦争状態に入っていた。木星間航路の地球宇宙船<ノーマッド号>は外惑星連合の攻撃を受け壊滅的な打撃を受ける。クズ鉄となって宇宙を彷徨うノーマッド号にただ一人生き残ったガリバー・フォイルは、死に物狂いで命ながらえ、百七十余日暗黒の中で狂気寸前となって救助を待つ。ある時ある宇宙船がノーマッド号の残骸と、その中の生存者の救難信号を認識しながらも通り過ぎてしまう。その船側には<ヴォーグ号>という船名がハッキリ読めた。ガリバー・フォイルは何とか生き長らえて、生涯をかけてこの船に復讐をする決心をする。
 火星・木星間の小惑星帯に漂着して捕らえられたフォイルは、ひたいに[N♂MAD]、顔中にマオリ族ようの刺青を入れられ、恐ろしい容貌の男となるが、その顔のまま小惑星を脱出し、復讐の旅がはじまる。
 <ノーマッド、NoMad >というのは<正気>という意味であり、主人公ガリバー・フォイルのガリバーが[ガリバー旅行記]の主人公と同じ名前であるのにも、大きな意味がある。狂気沙汰に間違いないことでもフォイルは冷徹に進める。また、異世界から異世界へガリバーのようにジョウントして行くのである。 

 ベスターは漫画の原作者として作家活動をはじめた。1930年代〜1940年代はスーパーマン、スパイダーマン、バットマンなどの漫画全盛時代で仕事に事欠くことなく、忙しい日々を送っていたが、40年代後半からアイザック・アジモフ、アーサー・C・クラークなどの本格SFの登場に刺激を受け、書き下ろしたのが「破壊された男=Demolished Man 」であった。この作は大評判を博し、1952年度のヒューゴー賞は、クラークの畢生の作「幼年期の終わり」を退けて、第一席に輝いたほどであった。
 続いて書かれた長編2作目が本書「虎よ、虎よ!」であるが、これは前作ほどは傑作とされなかった。何しろ、無茶苦茶な復讐譚であり、デュマの巌窟王という復讐譚の傑作が先にあることから、評価は低かったのだ。これに失望したベスターは以後10年間SF長編をものにしなかったが、その間皮肉にもこの作品の評判はぐんぐん上がり、いまやベスターの代表的傑作となったのである。筆者もこちらがベスターの渾身の作とする。


8.「夏への扉」
 The Door Into Summer 1957
 ロバート・A・ハインライン (by Robert A. Heinlein)