アメリカン・オデッセイ

By Senator Daniel K. Inouye
原題:Journey to Washington 「ワシントンへの道」 翻訳:飯田春介(HN滝野細道)
米国ハワイ州選出、隻手のダニエル・K・イノウエ上院議員、波瀾万丈の「自叙伝」

そのとき議場は公民権の議論で白熱していた。イノウエ議員の理詰めの追求にたまりかねた一人の議員が叫んでしまった。「この、卑怯者のジャップの子孫めが!」 一瞬水を打ったような静寂の中で、もう一人の議員が立ち上がって震える声で言った。「今、イノウエ議員が君を殴り飛ばしても、ここにいる誰にも異存はない。だが、君に向かって振り上げようにも彼の手は、フランスの戦野で祖国アメリカに捧げてしまったので、もう無いのだ」 人種的偏見が、議場の窓から流れ出て行った瞬間であった。


 私とイノウエ議員が、同議員の自叙伝、’Journey to Washington’の日本での翻訳出版の相談を始めましたのは、大分前の話となりますが、私は同議員が必ずや合衆国上院の院内総務(majority leader of the Senate)になるものと信じ、その時を待っておりました。しかし残念ながら院内総務はミッチェル氏となり、それでは踏ん切りを付けてそろそろ、と思っていた矢先、ある出版社から「ダニエル・イノウエ自伝」なる本が出版されました。驚いて見ますと、まさに’Journey to Washington’の翻訳ものでした。
 それまで私が話をしていたPrentice Halls,Inc.はそのようなことは言っておりませんでしたが、同書はすでに絶版となっていて、いわゆる「早いもの勝ち」の状態となっていました。上院議員も「知ってはいたが、まったく関係していない」とのことでした。版権などはPrentice Halls,Inc.が所有しているので、法的には問題がない訳で、私と上院議員の間では「我々ではなかったが、ともかく日本で<ワシントンへの道>が出版されて良かった」とのコンセンサスができて一件落着を見ました。
 私も原作を何度も読み返し、文章に表れていない背景をなす感情をも、良く理解しているつもりでおりました。所が翻訳本を読むうち、重大なことに気付きました。イノウエ議員の彼の日本の祖先に対する感情が、翻訳者と私では正反対と言ってよいほど違うのです。誤訳というのではなくても、一貫して流れるトーンの解釈によっては反対になってしまうから怖いのです。イノウエ議員の祖父浅吉は、自らの家族が出した火災で類焼した他家への弁償のためハワイに渡って苦役につくこととなります。その前に、家族で逐電してしまえば何のことはないのですが、そうは出来ない事情が説明されるところがあります。
 イノウエ家の先祖は、戦国時代はひとかどの武将で、一敗地にまみれたとき普通なら自刃して果てるところを、妻のたっての願い(翻訳では「女房がよく泣きつくのでほっておけなくて・・・」という表現になっている)を聞き入れ、九州の横山に逃れてそこで礎を築いた、という下りがあって、その伝説を守るため、浅吉が長い遍歴の旅(Odyssey)に発つというのです。翻訳のほうは「折角長い間かかって祖先の恥ずかしい行為が歴史の彼方へ埋もれたのに、借金を返さないとその恥がまたほじり返されてしまう」となっています。私は「イノウエ家の名誉ある歴史は長い間に忘れ去られていたが、こういうことがあるとその名誉が問われ、他家よりずっと見方がシビアとなり、逃げたり借金を払わないでいると、イノウエ家にとって何よりも大切な名誉が穢れてしまう」となります。字句だけ訳すと、誤訳がなくてもこのくらいは違ってしまいます。つまり、
 (1)イノウエ議員は100%アメリカ人なので、日本の祖先の行為、日本的な行為を恥じている。
 (2)イノウエ議員は100%アメリカ人だが、ルーツである日本と日本の祖先に対し、限りない敬愛と誇りを抱いている。
 という前提で、訳出されるものは正反対となってしまうのです。もちろん、上院議員の気持ちは後者(2)で、そうでなければ、私に「再出版」を提案してくるはずがありません。翻訳者は、文中、戦争中の日本の全体主義的なもの、ファシズム的なものを著者が憎悪するところから、全体を誤解することになったのでしょう。
 再出版というのは現状では難しいので、取りあえず私のサイトで公開しようということで同議員の了解を得ました。取り立てた誤訳はなくとも翻訳は変わるということを、ここでは原文、既訳文、滝野訳の冒頭部分を掲載してお目にかけてみます。

原文1
  No one could say how the fire started. One moment all Yokoyama slept and only sounds were the wind and whispered rush of the stream that fell from the mountain and ran hard by thatched roofs of the village. And then a spurt of the flame broke from the house of Wasabro Inouye. There were shouts in the night:"Fire! Fire!"
  Men tumbled from the dark houses and raced for the stream with there buckets. But the easterly wind gathered strength as it blew down the long valley where the village lay, and for all the water the scurrying, sweating men could fling at the flames, they leaped unimpeded from the Inouyes' house to the next house, and then to the one after. Only when the men doused the roof of the third house in the line was the fire's deadly rush halted. And by then three homes lay in smoking ruin.

先行翻訳
  出火の様子は不明だ。出火当時、横山村の人たちはみな眠っていた。聞こえるのは、風の音と、山からおちてきて村のわらぶきの家々のわきを流れている小川のせせらぎの音ばかりであった。するとそのとき、井上和三郎の家からパッと炎があがった。「火事だっ!火事だーっ!」 夜半にどなる声がした。
  男衆は、暗い家からころがるように外へでると、バケツをもって、小川へすっとんでいった。それにしても、東寄りの風は、この村がある長い谷間へふきおろすにつれて、ひどくなるばかりだ。しかも、現場をかけずり回って汗だくになった男衆は、もえさかっている井上の家にぶっかける水はあるのに、井上の家から隣家へ、隣家からまた別の家へと、てんでにとんでいった。そして、一列に並んだ三軒目の家の屋根に男衆が水をかけると、恐ろしい火の手は、やっととまった。だが、そのころには、この三軒の家は、めちゃめちゃになってくすぶっていた。

飯田訳
  どうして火事になったのか、まったく分からなかった。そのとき、横山中は眠りに沈んでいた。聞こえるものはただ、谷を渡る風の音、山から流れ下って村の萱葺き屋根の並ぶあたりで急に瀬を早める小川のせせらぎの音。とつぜん、井上和三郎の家から火の手が上がった。夜の闇を突いて金切り声が響き渡った。「火事だッ!火事だーッ!」
  男たちが暗い家並みから転げるように飛び出してきて、手桶を抱えて小川に走った。だが、この山村の長い谷を吹き下ってくる東の風はその勢いを増し、男たちがあわてふためいて必死になって水をかけて回っても、紅蓮の炎は井上家からやすやすと隣家に舌を伸ばし、さらに次の家へと移って行った。汗みずくの男たちが三軒先の家の屋根を水浸しにしたところで、さしもの火の奔流もやっと食い止められた。しかし、そのときにはすでに、三軒の家が焼け落ちてくすぶっていたのである。

解説
 先行訳文は、議員の祖先の所業を「汚点だ」という観点で全文を訳しているため、その無理が昂じて、theyを男衆と誤解して「井上の家にぶっかける水はあるのに」などと原文にない誤訳をしたため、以下、自叙伝冒頭部分の重要な場面全体が珍妙で滑稽なものとなってしまった。全文を通じて一つ一つ言葉を啄んでつなげる、このような訳があまりにも多い。theyは冷静に読めば勿論 the flames のこと。
 とはいえ、飯田訳にも問題があって、Men を「男衆」と訳すのは論外としても「男たち」でよいのか、女性も含めた「人々」の方が適切ではないか、とか、原文に backets とあるのに「手桶」でよいのか、などは随所にある。原文に忠実に訳すと「人々は暗い家々からまろび出て、それぞれバケツを持って我先にと (race) 小川に走った」、であろうが、明治30年ごろ、本当に山村の村にバケツが揃っていたのか 、race をきちんと訳さなくてよいのか、まろび出るなどという言葉を使ってよいのか、と色々悩んで上訳に落ち着いたが、どれが<適切>かは未だに分からない。誤訳でなくても、形容詞、副詞、接続詞の選択一つで主旨が変わってしまうことが和訳と翻訳の最大の相違である。



原文2
  It had been said that an Inouye founded Yokoyama, 500 years before. Legend had it that he had been a samurai, a worrior who aquitted himself bravely in many spectacular battles during the civil wars. Then, in the most crucial battle of all, his worriors had been beaten. But instead of dying by his own hand as a defeated samurai was executed to do, he had heeded the importunings of his wife and fred with his family into the hills of Kyushu, southernmost of the main Japanese island. And here, in this green valley, he had established the village that came to be known as Yokoyama.

先行翻訳
  井上家の一人が横山村をつくったのは、五○○年もまえの話である。いい伝えによると、その人は侍、それも、内乱時代のたびかさなる壮烈をきわめた戦いで、武勇をふるった侍だという。ところが、こともあろうに雌雄を決するときに、部下の侍はみな一敗地にまみれてしまった。すると、さきの話とちがって、肝心の本人のほうは、負けた侍なら当然やる自決をするどころか女房がよく泣きつくのでほおっておけなくなって、九州の丘陵地帯に家族と逃げこんでしまった。そして、ここ、この緑の多い谷間で、村をつくった。それが、やがて横山と呼ばれるようになったというわけである。

飯田訳
  五百年前、この横山の地に礎を築いたのは井上氏であるとされていた。言い伝えによると、井上氏は武士であり、戦国時代には数多くのいくさで勇猛果敢な働きをした武将であったという。あるとき、もっとも熾烈な戦いで井上軍は敗れさった。敗軍の将は、通常、自刃して果てるのが当時のしきたりであったが、このときは妻女のたっての願いを入れ、一族郎党を引き連れて、本州の南端の彼方、九州の山地に逃れた。そして、ここ、この緑の谷に、後の世で横山として知られるようになった村を築き上げたという。

解説
 この部分が、自叙伝の中でイノウエ議員が祖先をどのように思っていたかを示す箇所の一つだ。先ず an を「〜家の一人」と簡単に訳す神経がわからない。an Inoue は井上の祖先・血統・家計・人々の総称を表わし、日本語でいえば「井上氏族=井上氏」のことである。先行訳の下線の部分はほとんど原文と異なり、「恥、汚点」に繋がるよう、余分の形容詞や副詞などがくっつけられて、あたかもイノウエ議員自身が祖先を恥じて嫌っているかのように仕上げている。しかし原文は単に「横山村の開祖」となった井上氏の由来の説明である。この自叙伝の最後の方に、ダン・イノウエが合衆国下院議員となって横山村(当時は上陽町)に帰るところがあり、まるで開祖の殿様が蘇えりでもしたような歓迎を受け、代々の宝刀を授けられる。ここで、井上家先祖代々の誇りと名誉が回復し、「アメリカン・オデッセイ」が終わりを告げるところがある。まさにアメリカ人であるダン・イノウエが、井上家と「横山村の開祖」である誇りと名誉のために闘ったといえる自叙伝である。ところが、この先行翻訳のような箇所が随所にでてきては、原本全体がスポイルされてしまった言わざるをえない。         

 



                  

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