雨の日は滝に行けないよう(-_-) by 飯田春介
その1: Beauty
Saloon
某有名化粧品メーカーにOO堂という会社があります。製品のブランド名にフランス語や英語を駆使して、国際派メーカーとして事業を展開しています。その直営かどうかは定かではありませんが、チェーン店として
[ OOdo Beauty Saloon] というのがあります。日本語では「OO堂美容室」といったところでしょうか。
英語で「美容院・室」は、 [
beauty parlor ],[ beauty shop ],[ beauty salon ] と表記します。そう、お気づきのとおり、 "beauty
saloon" というのは英語にはないのです。確かにフランス語の lu salon は英語では a saloon
に転化していますが、フランス風の文化の匂いを残した、応接間、美術の展示会、名士会などは外来語としてそのまま salon
で残り、美容院もフランス婦人の文化への憧憬もこめて beauty salon
として現在も使用されています。
外国語を正確に使用するのはまことに難しい。私たちも外国旅行をしたりしますと珍妙な日本語に出くわして、微苦笑もの、といった経験があります。ご愛嬌が多いでしょう。しかし、ものによっては許せない、とか、ちょっと日本人に聞けば済むのにな、というものもあります。そうした苛立ちは、日本の文化を誤解しているものに多いようです。
日本で外国語を使用する場合も同様、ご愛嬌で済む場合とそうでない場合があり、気を付けなければなりません。特に、国を代表するようなメーカーで、製品にも英語を多用しており、国際派を自認している会社が、ちょっと辞書を引けば分かる事を、自社製品に密接していることで珍妙な誤りをおかすというのは許される事ではないでしょう。特に、
Beauty Saloon
というのが私には、何か鞭を持ったオネーサンが待ち構えているようなところのような気がしますので、何をか言わんや、です。
英米人の呟き。「英語をどんどん使ってくれるのは嬉しいが、真似は真似。猿真似の猿も樹からおちた」、と。
2000/10/09
(C)禁転載
その2:Off Course
「オフコース」というグループがありました。わたしはつい最近まで、そのグループ名が「はぐれ者」「アウトロー」「アウトサイダー」など人生の通常の道(コース)を離れた若者たちという意味の、なかなかカッコイイ命名、つまり
”Off Course” だとばかり思っておりました。
”course off”, ”
course out” はありますが、”off course”というのは英語では見掛けません。しかし、”off limits”、”off
season”、”offshore”、”off
year”などは普通の英語としてあり、名前・名称としてはなんとも粋な変革で、和製英語としては十分許される範囲のものと思って、感心しておりました。ところが・・・
ある日テレビを見ておりましたら、下部に
”Of
Course” と英語でクレジットされているじゃあありませんか!「あっ、TVが間違ってやがら、だから気を付けないと恥を掻くんだ!ちょっと注意すれば済むことなのに、折角の粋な名前が台無しだあ」、と、テレビを罵っておりましたが、次の機会にも”Of
Course”とあり、ご丁寧にもカタカナの”オフコース”も・・・。
あ、本当にオフコース=Of
Course だったんだ!これじゃあ洒落にも何にもならない!
Of
course は勿論”勿論”という意味で、本来[オヴコース]としか発音しません。<ブ>ではなく<ヴ>の強い撥音ですので、会話の中で「勿論さ!」と強く肯定する場合などは“Of”を素早く発音しますので、オフコースと聞こえます。が、実際には、Of
Courseは”as a matter of
course”の短縮形ですから日本語で表記するには「オブコース」以外にありません。
人気グループだっただけに残念・・・という私が不粋だったのでしょうか?
米国には Often
を「オフトン」と発音する地方もあるのですから。
現在オフコースは解散してしまい、活躍しているのは小田和正のみとなっていますので、問題は立ち消えです。
【2011年3月の注記】この短文については、多くの批判がありました。曰く「英語では<オフコース>の発音は普通である。もっと勉強してから言え」とか「自ら【オフコース=Of
Course】と名乗っているのだからケチをつけるな」などなどなど、多分「オフコース」のファンでしょうか、うるさいので10年以上放ってありました。最近、TV番組で、「オフコース」の命名は矢張り「Off
Course=はぐれ者」であったことが判明しました。また、戦前の米国映画『モロッコ』の中で、ゲイリー・クーパーの相手役マレーネ・デードリッヒが、「当たり前でしょ!」という台詞をはっきりと「オヴ コース!」と叫んでいました。粋な命名の方で良かったです。(^_^;
その3: Merry
X'mas
「間違ったっていいじゃないか。ここは日本なんだから日本流でいいんだ」
日本流といえば、Night
game のナイター、Gas station のガソリンスタンド、 Office worker
のサラリーマンなど、英語(またはアメリカ語)を日本語に置き換えた言葉、セビロ、ラシャ、パンなど発音に基づく膨大な外来語群。これらは最早外国語の体裁をした日本語となっていますので、どこで使用されても何の問題もありません。しかし、ナイターは「ナイター」であって
Nighter ではありませんし、ガソリンスタンドは Gasoline stand ではなく、サラリーマンは Salaryman
ではありません。
ただ、間違いは日本語でもどこの言葉でも許されません。ケアレスミス、変換ミス、勘違いのミス、思い込みのミスと色々ありますが、許されないのはミスと分かっていて「日本語じゃないんだから」と正そうとしないことでしょう。そんなものの一つに
”Merry X'mas”があります。
”X”はクリスチャンのあいだではイエス・キリストのことを指します。従って、イエスの聖誕祭が ”Xmas”。これは英和辞典にもハッキリ出ておりますから、間違いようがありません。ところがクリスマスが近づきますと、”メリー X’マス”、”Merry
X'mas”がTVにも街中にも氾濫します。
イエス・キリストを省略してどうするの!? Apostrophe
を付けてどうするの!?
テレビを見ていても、同一の局でも番組によってマチマチですが、”Merry
Xmas”としている番組も結構ありますので、ディレクターも分かってはいるわけです。しかし、局としての統一見解とはならないので、分かっているディレクター、分かっていないディレクターによって、何時までもダラダラと”Merry
X'mas”が使用し続けられることになってしまう所以です。
「言葉は文化」ですからお互いに最大限の尊重をしなければなりません。ましてやその言葉が宗教に関係してきますと、「君らだって
”Jesus Christ!”
をバチ当たりな言葉で使っているじゃないか」というのに対し、「お前たちに言われたくないよ!」、と。
基本的には英語なんぞ使わなくても良いわけですから、英語表記を使用するときは「サルの真似」といわれないようにしたいものです。
その4: Punch
me!
昔、「手袋の反対な~~に?」という遊びが子供の間ではやっていました。大きい子は分かってしまうので、相手は小さい子ほどよい。懸命に考えてやっと「ろ・・く・・ぶ・・て・・」、と答えると、とッ捕まえてポカポカと数を6つ数えながらぶつ。それがエスカレートしていって、「手袋巡査の反対な~~に?」に変わって、大きい子でも必死に考えて「さ・・ん・・じゅ・・ろ・・く・・ぶ・・て・・」と答えた途端、ポカポカポカポカポカと36回ぶん殴る。痛みもミジメさも6倍となったわけで、イジメも酷くなっていきました。しかし、イジメにもちゃんと理屈をつけた時代の話。今は理由も何も無く、ボカスカガッツン・・・
英語にも同じような遊びがあって、
"Joe
William and Punch Mee went to river to swim. Joe William was drowned. Who was
saved?" "Punch
Mee!" (「ジョー・ウイリアムとパンチ・ミーが河に泳ぎに行きました。ジョー・ウイリアムは溺れてしまいました。助けられたのは誰ですか?」「パンチ・ミー!」)
と幼い子が答えると"Oh,'Punch
me?'.OK..." (「おや、『オレを殴ってくれ、ってか?』、よしきた・・」) ッてわけで、パンチをお見舞いする。
それが後には、'Joe
William' のところが 'Pinch Mee'
と、兄弟となっていて、どっちを答えても、痣の出来るほどツネり上げられるか、殴られるかしか道が無いと言うお話となったかどうか、定かではありませんが、どちらにしてもイジメに理由があった時代。今は、幼い子が父親のライフルを持ち出して、乱射したりします。
子供の遊びも、戦争の記憶が薄れ、目標を失って行くに連れ、厳しくかつ無差別的になって行くのは「平和ボケ」、「戦争の反動としてのアンチテーゼ」なのでしょうか。
その5: Go for broke!
Go for broke!
という、英語の文法も慣用も全く無視したこの言葉は、白人達に Piginglish
とよばれた日中英語混交の言葉の一つです。ピジングリッシュというのはさしずめ「ポコペン英語」とでも訳しましょうか・・・ Go for broke!
一体どう訳すのでしょうか?行って壊れる、つまり行進して行って散開せよ!と言うことなのか、ぶつかって壊れる、つまり死んでしまえ!と言うことなのか、行って相手をぶっ壊せ!と言う意味なのか?
実はこれは第二次世界大戦中に欧州戦線で最も勇敢に戦ったと言われる、ハワイの日系二世部隊四四ニ戦闘大隊の、突撃の時の言葉なのです。四四ニ部隊は日本の真珠湾奇襲を契機に志願兵としてハワイの日系二世を中心に組織されました。欧州に移送され、パットン将軍指揮下、アルノ川の戦いを始めイタリア戦線の熾烈な戦いを経てフランス戦線に転戦し、ボージュ作戦ではストラスブールを奪回したものの、壊滅的な損害を受け、凱旋パレードでは生還した人数があまりにも少なくてまともな隊列も組めなかったという、伝説の部隊です。しかし彼等は、米国の敵の子孫としての日系人の米国での立場を守るためには、人一倍死に物狂いで戦って米国に忠誠を示すしかなかった、その突撃の合図なのです。
私の知人、ハワイ州選出アメリカ合衆国上院議員ダニエル・K・イノウエもこの部隊の勇士で、ボージュ戦線で瀕死の重傷を負い、生涯隻手となってしまいました。彼にも、Go
for broke!
の意味は分からない、とのことです。自分もしょっちゅう使っていたのに・・・まあ、「突撃ーッ!」と言うような言葉でしょうが、突撃には、Charge! とか Rush
at enemy! Storm! Attack
it! などTPOに応じた言い方があって、この場合不適当でしょう。
ミッチェナーの「HAWAII」などの翻訳でもこの言葉は、「死に物狂いでやれーッ」とか「いてまえーッ」とか酷い時には「ゴー・フォー・ブローク」などとそのまんまと言うのもありました。私はずーと考えて、「壊撃ーッ」という具合に訳しましたが、実際はどのようにしたものか、未だに分かりません。皆さんはいかがでしょうか?
その6:Redei Bikutoria
これはお察しのとおり、Lady
Victoriaの日本語表記。サッカーボーイ=Soccer BoyはSakkâ Bôi、ノーザンテースト=Northern TasteはNôzan
Têsuto。一昔前の競走馬は競馬法により、片仮名の横に必ずこのようなローマ字が付いていました。トキノミノル=Tokinominoru、ハイセイコー=Haiseikôはそのままだからいいようなものの、Lady
VictoriaがRedei
Bikutoria となると、物凄い違和感を感じます。というより、なぜ法律でこのようなことをするのか、憤りすら覚えます。アホもいいかげんにしろ!
これの対象が誰か、ということです。少なくとも日本人や欧米人ではないでしょう。となると・・・・・?
日本語が読めない外国人(欧米人以外の)にも分かるように、といった発想は伺えますが、実態はまことに貧困です。日本語が読めなくともローマ字なら読めるかもしれない、と言うのはいいのですが、日本語も読めない人々は、Lady Victoriaなどは到底読めまいから、いかに英語、仏語などであっても、日本語読みの発音をそのままローマ字化すれば良いのだとする、差別感と傲慢なる押し付け。まさに唾棄すべき馬鹿官僚の貧困なる発想でしょう。
この問題は、大橋巨泉、大川慶次郎と言った人々の長年にわたる努力で、やっと法律が改正され、レデイビクトリアはLady Victoria、キーストンはkiisutonでなく、Keystoneに、パッシングゴールはPassingugouruではなくPassing Goalとなりました。
ことは競馬にとどまらず、この国の官僚のやることはこういったピント外れのことが多いことの方が問題でしょう。
その7:Because it's
there.
誤訳にもいろいろありますが、一番罪深いのが、エベレストに何度も挑み続け、先頃遺体が発見されたジョージ・ハーバート・リー・マロリーの、新聞記者に質問されて答えた言葉、「山がそこにあるからさ」でしょう。これは次の言葉を訳したものです。
“Why
do you climb the mountain?” “Because it's
there.”を 「あなたは何故山に登るんですか?」「山がそこにあるからさ」と訳したのが名言として残ってしまったのです。日本語訳だけ見て見ますと、山が好きでどんなに苦しくとも山がそこにあるから登るんだ、他に理由など無い、という意味にとれます。それはそれで男の矜持、男のロマンを感じさせる響きがあるので有名になったのでしょう。
しかし、新聞記者は次のように聞いたのです。「あなたは何故その山(the
mountain)に登るのですか?」 マロリーは答えました。「何故って、そいつがそこにあるからさ」 つまり冒険家マロリーは、どんな山でも「山がそこにあるから」登るのではなく、世界最高峰で未踏峰のエベレスト山がそこにあるから登るんだ、と答えた訳です。
人類の進歩は未知なるものへの好奇心、冒険心によるところが大で、マゼランとかアムンセンといった冒険野郎が人類を引っ張って来たのです。こういった人たちは一番乗りでなければ意味が無いのです。他の人がだれもやらなかった事で無ければ自分が納得出来ない。そういった意味の冒険心に富んだ言葉を、「どんな山でも山がそこにある限り登り続けるんだ」などと言う意味に訳されたら、マロリーも浮かばれないでしょう。
これと似たものに“Boys,
be
ambitious!”の“Boys”があります。このウイリアム・スミス・クラーク博士の言葉は「少年よ(青年よ)、大志を抱け!」と訳されたことにより名言となりました。これ自体日本語の警句としては立派なものですが、巷間言われているように、博士が札幌農学校教頭を退官するとき大勢の学生を前に退官演説の最後にそういったのか否か、現代に至るも明確ではありません。同じ様なことは随所で言っているとのことですので、“Boys,
be
ambitious!”と言ったとして、このシチュエーションでは、「学生諸君、志を高くあれ!」くらいな訳でしょうが、確かにこれでは名言とはなりませんね。こちらは卒業生かなにか、うまく訳して名言を作り上げたと思います。
その8:Stand down, climb
down
英語の“stand”を「立つ」、“climb”を「登る」と日本語で訳すと、その言葉の中には「上がる、昇る」というイメージが含まれます。しかるに、英語には“stand
down” ,“climb
down”という言葉が厳然としてあります。立ちさがる、登降りる、とは一体どういうことなのか?
結論は簡単です。英語の“stand”,“climb”
には「上がる」というイメージが含まれるというのがそもそもの間違いで、“stand”も“climb”も上下はなく、状態を表わすだけなので、“stand
down”, “climb down”があっても一向に構わないわけです。有名な“Stand By Me”のstand
byは準備が整う、用意ができるという意味以外に、側に寄り添って立つから<味方する、支援する>という意味で<上>の意は全く含みません。
”stand
down”は、裁判などで判事が高い席にいて、「下の被告席に立ちなさい」などと、ひとが自分の目線より低いところに立つときに使います。”climb
down”はもっと面白くて、撤回、譲歩、後退などの意味の他に、梯子を後退りに降りたり、崖を恐る恐る<攀じ降りる>とき、登る姿勢で降りたりするときにも使います。
“Fresh
Down”という英語?があります。“?”が付いたのは“Nighter”、“Gasoline
Stand”などと同じくこれは和製英語だからです。一時、アメリカン・フットボールが日本でも人気があり、TVでも放送されていました。この競技は攻撃側(Offence)と守備側(Deffence)にはっきりと分かれ、攻撃側が4回の攻撃で10ヤード前進出来ないと相手側に攻撃権が移ります。この1回分の攻撃をダウン(Dawn)と呼び、最初の攻撃を第一ダウン(Fiest
Down)、第二回目の攻撃を第二ダウン(Second Down)、第三(Third
Down)、第四(Fourth Down)と呼びます。これらの1回のダウンのみで10ヤード以上前進出来れば、次の第一ダウンとなります。これを繰り返しながら相手側のタッチゾーンにボールを持って運び込めばタッチダウン(ラグビーではトライ)となります。ラグビーとの最大の違いは自分より前方にいるレシーバーにパスを送れることでしょう。この攻撃権の第一ダウンのことを日本ではフレッシュ・ダウン(Fresh Down)と名付けたのでした。他の和製英語と違って秀逸な命名であると思います。
その9:
その10: