細道の 奥の細道2     

はじめに

 1999年8月26日〜28日に宮城県、山形県の滝巡りをしておいて、この10月15日〜17日にかけて再び東北に出かけるというのは、私の行動パターンとしてはかなり稀有に属する。と言うのも、生来の飽きっぽい性格から、同じ事を繰り返したり、同じ地区を回るなんぞということは、蕁麻疹ができるくらい辛いのである。常に泳いでいないと死んでしまうマグロに似ている。それを何故?答えは簡単。ガツンと衝撃を受けていた安の滝に、紅葉の、それも一番良い季節に行きたい、ただそれだけである。その為に下調べのため、8月に東北を巡って見て、安の滝はわざと行かなかったのであった。「滝の細道」最初からの狙い目である。
 前年の紅葉時には、乗鞍、西沢渓谷、尾白川の神蛇滝などに行って、タイミングが合わないと紅葉撮影はミジメな結果となるのが分かった。うまく−と言うよりケバケバしく撮れたのは神蛇滝のみで、あとは早かったり、遅かったり。東北と言ってもかなりの時期的な差があるはずなので、役場に電話をかけたり、サイトを検索したりして、安の滝は最高であることを期待し、満を持して出発したのであった。
 こうして、私たちとしては珍しく、確固たる目的を持った第2回目の東北の旅が始まった。

(1)エ、エンジンが掛らねー  1999年10月15日

 朝4時前に横浜の家を出た。これはいまだに我々の早出記録となっている。最近は、コケコッコーを起して回るような早起きとなってしまったが、グズグズしているうちに、出かけるのはどうしても6〜7時となってしまう。
 4時の道は誠に空いていて、三郷には5時、宇都宮には6時、最初の目的地、米沢の滑川大滝入口の滑川温泉には何と7時半に到着してしまった。温泉は湯煙を上げていたが、辺りはシンとして人の気配も感じられない。車が5〜6台停まっていなければ、朝まだきの山奥の温泉宿で・・・と、ミステリー小説かなんぞのプロローグに使えそうな雰囲気である。メモしとこうっと。滑川大滝までの道は大楽勝で、R13から山形新幹線板谷駅方面の入口さえ間違わなければ、標識が完備しており、自然に到着できるような按配である。
 事前調査の通り、滑川温泉敷地内以外に、我等が愛車”芭蕉号”を駐車する場所は無い。人の気配も感じられないので敷地内に停めておいてもどうと言う事もないかも知れないけれど、生来の小心者でそういう大胆なことはできない性格なのです。二人とも。早朝出てきたので、温泉に入るのもいいな、なんぞと思いながら案内板を見ると、<入浴のみ:午前10時より>と書いてある。今、7:30だから、滑川大滝まで行って来ても9時前には帰って来てしまうから、1時間以上待って、それから温泉に入ってでは出発は早くても11時過ぎとなってしまう。せっかちで、巡る滝をたくさん抱えている我々としては、とてもそんな時間の無駄は出来ない。と、いうわけで、少し戻ったところにある三叉路の、辛うじてすれ違いできるスペースに駐車して出かけた。
 滑川大滝への道は、先ず温泉宿の軒下を川沿いに抜けて、前方の5m本流滝の上に掛る橋を左岸(下流から見ると右手)に渡って、向かいの山に分け入って行く。最初が一番荒れた遊歩道、というのは、後ほど訪れた北海道敷島の滝遊歩道を思わせる。つづら折りの林道を登って行くと、ウンザリとした頃、山の尾根に出て、突然、眼前に巨大な滝が見えた。これが滑川大滝である。データによると右上の方に布滝というのが見えるはずであるが、雲に包まれて見えない。滝壷へ降りるルートを目で辿って見ると、今まで滑川温泉から登ってきたほどの距離がありそうで、ビビッた。後になって温帯おやぢから「細道どん、滑川大滝は滝壷に降りにゃー駄目よ」と言われて、割愛したのを残念に思ったが、まさに、"The day after."後の祭とはこのこと。違法駐車(無余地)も多少気にはなっていたのも理由の一つ。まさかダンプカーなどは通る道じゃないと思うけど、そのまさかが起こったらアウトなのであった。
 滑川大滝の次は火焔の滝である。この滝は滑川大滝の向こう側の尾根を越えた反対側の大平温泉というところにある。しかし、車で行くには一旦米沢市まで下って、ぐっと回り込まねばならない。米沢に出るにはR13まで戻って、快適に行った方が正解である。しかし・・・不味い事に、地図上あるかないか分からんような道の脇に「小僧の滝」などと書いてあるではないか。なんじょう堪ろう。この滝ヤラレがゴッツアン滝を見過ごして行かれようか?行かれません。
 舗装がチョロハゲの山道をどこまでもどこまでもどこまでも・・・・・にもかかわらずとうとうその小僧の滝なるものに巡り合えなかったのであった。無念の気持ちを抑えつつ、米沢市の山沿いを迂回して一路大平温泉にむかった。
 米沢といえば、山形県最南端、人口約10万人足らずの、最近もてはやされている上杉鷹山で有名な城下町である。上杉鷹山は、米沢紬に代表される米沢織など、産業振興を計った、江戸後期の米沢藩主。米沢上杉の藩祖は戦国武将の上杉景勝であるが、上杉家は元々清和源氏、藤原氏の流れをくむ鎌倉時代からの関東官領であって、長尾から出た平蔵景虎上杉謙信が最も有名である。謙信は途中で上洛の夢破れたが、その養子景勝もまた権謀術数の人で、会津120万石、会津中納言と呼ばれ、豊臣五大老として権勢置くあたわざるものがあった。しかし、関が原では西軍石田光成に組みし、破れて30万石に減封され、米沢に移ったのであった。元禄時代には、吉良上野介義央の子上杉綱憲は・・・・・と、と、と、またまた大脱線。
 閑話休題(あだしごとはさておき・・・)
 大平温泉は尾根を越えて間々川の河原に降りた所にある。その駐車場は峠の上に第一駐車場、少し下った中腹に第二駐車場、かなり下ったところに小さな第三駐車場がある。普通の車は第二駐車場に留めておくのが無難で、第三駐車場までは急坂となるので注意。一般の湯治客も第二で車を降り、手拭を肩に歩いて行く。20分ほどで温泉宿に着く。
 火焔の滝(ひのほえのたき)は、大平温泉宿へ間々川を渡って行き、宿の左軒下を抜けて、左に露天風呂の菰囲い、右に宿の厨房の間の路地を通って行くと、前方に再び間々川を渡る橋があり、それを渡って右岸を登る。
 「あっ」突然後を歩いていた連れ合いが驚いたような声をあげた。「キャッ」と言ったかも・・・
 な、何と、対岸に、先ほど裏を通過してきた露天風呂が、こちらがわに全てをおっ広げて、真っ裸の男女が闊歩しているのが丸見えではないか。しかも地元の人なのか、前を隠そうともせず、一物をブラブラさせているのである。こりゃあ、どっちが遠慮すべきなのか?やっぱり温泉の方が優先なんだろうなあ。滝見なんて変てこりんな行動をする奴なんて、そう多いわきゃないしね。・・・と言うわけで、帰りはひたすら俯いてコソコソと歩を進めたのだった。
 火焔の滝は、川原に降り、岩を越え、滝壷まで行って撮影しよう。
 「スリリングな滝だったな」
 何がスリリングだかしらないが、急坂を第二駐車場に登って来て、水分を補給し、さて、とエンジンを掛けたが、これがカチリとも言わない。自動車は何処が故障しても困るけど、エンジンが動かなきゃタダの四輪のリヤカーである。いや重いだけにタダのゴクツブシと成り果てる。
 カチッとかプルとか言って見たらどうだ?人間ならウンともスンとも言わないとは正にこのこと。焦ってイグニッションキーをまわしながらも、どんなチャージ方法があるかを考えた。先ずは、ステアリングカバーを外してイグニッション回路を避けて短絡してしまう方法である。しかし、私にはそんな、家のバカ息子がやったり自動車ドロがやるようなまねは出来ない。あ、いや、うちのバカ息子は馬鹿だけど自動車ドロというわけではないですぞ――単に整備士の免許を持っておるというに過ぎないので、誤解無きよう。
 次に、押し掛けする方法。第二駐車場は坂道の脇に直角に作ってあるので、一人が乗っていてもう一人(あっ、どうせオレのことか!)がエンヤコラと道に押し出せば、急坂を下りながら4速でエンジンを始動させられるかも知れない。しかしこれも、失敗してしまうと、離合出来ないような道で立ち往生してしまう。失敗、もう一度、失敗、もう一度、失敗、を繰り返しているうちに、私の車では例えエンジンが始動しても二度と登って来れないような所に嵌まり込んでしまう可能性がある。 ♪白鳥は小首傾げて水の中知らず知らずに深みに嵌まるよ♪、っちゅうわけだ。
 三番目は、他の車が来るまで待つ方法。携帯電話が圏外なので、通じる所まで言ってJAFに連絡してもらう。(牽引は駄目だろう。)バッテリーが上がっている場合は事は簡単。コネクターは持っているので、(+)(−)を間違えないで電気を頂けばよい。が、しかし、バッテリー切れは何度か経験があって、その経験が「これはバッテリー切れじゃあないよ」と告げている。バッテリー切れは、始めエンジンが掛りそうになるものの,段々ため息をつくようにストストとなってきて、最後にはお決まりのカチッ、カチ、と言う呟きとともに終焉を迎える。
 四番目は、大平温泉まで下りて助けを求める方法。大平温泉にはケーブル電話があるだろうし、JAFも呼べよう。しかし、またあそこまで下りるのかと思うとウンザリするし、JAFだって、この山奥に来るまで、大層時間が掛る事だろう。
 いろいろ方法はあるものだが、いずれも帯に短し襷に長し、である。ま、どれを選択してもどうせ大層時間が掛っちまうだろう、というわけで、これから先の滝巡りは諦めざるを得ないとしたものだ。
 こんな事態に陥ったのは、群馬県南牧村三段の滝駐車場で、一個だけのキーが便器の露と消えて以来のことである。(以後は福井県山中の脱輪、高知の自損事故、瀬戸市の追突などがあるが・・・)
 というわけで先ず選んだのが先のどの方法でもなく、30分ほどイグニッションキーを回して見ようという、超安易な方法である。それが駄目だったら、先ず押し掛け、カバーを開けて見る、他の車にJAFを依頼してもらう、大平温泉に下りる、という具合である。
「コノヤロー早く掛れーッ!」
 休んではキーを回し、回しては休んでいるうちに、段々激高してきて喚き出してしまった。ヒッパタイたり揺すったり、脅したりしても、一向に始動する気配もない。「コンノヤロー、オレに恨みでもあるんかよ!今に見とれ!」
「怒ってばかりじゃダメよ。車だって優しくしてやらなきゃあ。血圧上がるだけ損でしょ」
そっかー。そうだな。それに芭蕉号と命名していてもヤローとは限らないし、と思い直し、いい年こいて馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、猫なで声で優しく、優〜〜しくキーを回して見た。
「良い娘だから、おぢさんの言うことを聞いてね。早く掛ってチョーダイね」
 途端に、ぷるるるるるるるるるるるるるるるるルルルルルルルル・・・・・
 掛った,掛った、エンジン掛った。罹って悪いはインフルエンザ!
 もう、槍が降っても、滝が見えても、ディーラーに着くまで、金輪際エンジンを切るものじゃあない。もう、何があっても芭蕉号の悪口なんぞ言うものじゃあない。かくして慎重に米沢方面に下って行き、市郊外の車のディーラーのありそうな、国道沿いを彷徨した。地方の中心都市の、市街地を少し外れた国道には、ガソリンスタンド、コンビニ、スーパー、ファミレス、等に混じってカーディーラーがあるのが定番で、米沢も例外でなく、いくらもしないうちにホンダ・ヴェルノの店が見つかった。地獄で仏というのは、正にこう言う状況なのだろうな。
 エンジンを掛けたまま事情を細かく説明すると、やはりバッテリーやヒューズではないようで、イグニッション自体に問題があるらしいことが分かった。どうも部品を交換しないとダメなようである。
「よく、直ぐに分かったもんだなあ」
 その時は舞いあがっていたので、そうとしか思わなかったが、簡単に分かったについては、裏にある事情があったようで、これは後ほど判明する事となる。私の車は本来ホンダ・クリオで扱う車種で、このヴェルノには部品がないという。「電話しておきましたから」、と山形市郊外にあるホンダ・クリオ店を、それこそ孫の手十本で引っ掻くほど懇切丁寧に教えてくれた。なんか変だぞ、どうも変だなあ。親切過ぎるゾ。
 山形市手前のホンダ・クリオ店に着くと既に用意がされており、
「1時間半ほど掛かりますがよろしいでしょうか?」
 よろしいも何も、とにかく安心して走れるようにならなくっちゃあ、これから先の目処が立たない。安の滝だって諦めるような事態になりかねない。そしたらえらいことだ。
「1万5千円ほど掛りますがよろしいでしょうか?」
 よろしいも何も、10万、20万もするわけじゃなし、直さなくっちゃあ、これからいくら掛るかも分からない。は、早くしてくれー!1万5千円でこれから安心して滝巡りができれば安いもんじゃ!気の短い私が1時間半を大人しくじっと待って、感謝の念を振りまきつつそこを辞去した姿は,絶えて久しく無かったことに違いない。感謝のあまり私が卑屈な態度を取るものだから、「私たちだってお客さんなんだから」、と憮然として連れ合い。
「そう言ってもオマエ」、人の心が分からんヤツ―いや、オナゴだ、と思いながら北へ向かったのであった。
 しかし、彼女の方が全面的に正しかったのがまもなく分かった。家に帰って暫くしたある日、新聞を見ていた連れ合いが突然素っ頓狂な声をあげた。
「あなた、見て見て、この間のアレ、新聞にでてるわよ!」
「アレじゃあ、分からんわ」
「ほら、火焔の滝で車のエンジンが掛らなくなったでしょう?アレよ!」
「なぬっ?」新聞を見て見ると、<・・・エンジンが掛らなくなって、火を吹く場合もありうるので、リコールする。該当車種は1998年から・・・>と羅列してある。我が芭蕉号もバッチリ該当するではないか。この欠陥がある車種の全車が同じようなトラブルを起すわけではないので、やはりかなり運が悪かったと言えよう。旬日を経ずして、一通のハガキが舞い込み、<既に修理をしたものについては、修理代を返金します>と書いてある。
「キショー、こういうことだったのか。あの時はもう分かっていたんだよ、きっと」
 勿論修理代は返金してもらった。しかし、あまり腹が立たなかった。あとで考えても、あの時は本当に嬉しかったなあ、と言う記憶のみが残っていたためだろう。
 それやこれやで時間を食ってしまい、計画した滝を横目で見つつ、秋田県は阿仁町打当温泉に向かった。皆さん、米沢―阿仁町間は一体どのくらいの距離があるとお思いか? 実は、東京―米沢間より少し長いのです。そこを高速道路もなく北上して行くわけで、米沢―山形―天童―寒河江―新庄―雄勝―湯沢―横手―角館―田沢湖―打当温泉と、まさに気か遠くなるような道のりだった。
 田沢湖を過ぎたのは既に午後7時を回っており、辺りは灯火一つなく、ただ、芭蕉号のヘッドライトが前方の漆黒の闇を、丸く抉り取っているだけだった。

(2)ついに、我が憧れの安の滝へ 1999年10月16日

 朝。打当温泉を囲む低い山並みは、みな10月の衣をまとい、刈り入れの済んだ田圃の切り株の上を朝霧が流れた。空は薄曇で、絶好の撮影日よりである。
 ウデのいいカメラマンは天候を問わないだろう。晴れていても、曇っていても、雨が降っても、雪が降ろうとも、それはそれなりにその天候に応じた撮影をし、いくつかの傑作をモノにするのだ。しかし、ほとんど失敗しないというう点では、薄曇に勝るものはない。同じ薄曇でも,アングル、カット、対象の捉え方で、勿論そう言った類のウデの差はいかんともしがたいけれど、全景派としては、まあ無難なものが撮れる薄曇は,自然と笑みが浮かんできてしまう。
 朝霧を縫うように、ブナ森林道を安の滝に向かった。この林道は、結構ダンプカーの往来が激しく、それに林道ではあるが比較的道幅も広く、コンディションもいいので、カーブは余計に気をつけた方がいい。打当温泉を出て約8km。出羽丘陵としては山が険しくなってくると、中の又沢を渡る橋があり、左に入って行く狭隘な道の入口に、安の滝の標識がある。さすがに道幅は狭く、少し行くと、また左方にもっと狭い、と言うよりケモノ道のような道があり、水尻滝の表示がある。熊だって利用するんじゃあなかろうか。安の滝の道も徐々に狭くなって、草の生い茂った轍の跡のみのような具合となるが、3、4kmほど進むと、かなり広い駐車場に着く。手洗いもあり、ここで身支度して、さあ出発だ。念願の安の滝へ。
 遊歩道は、中の又沢を渡渉するところから始まる。駐車場から吊り橋を渡って、という遊歩道は結構多いけれど、先ず渡渉というのはこの安の滝を置いて、ちょっと記憶が無い。そんなの他にあったかなー、と「滝の備忘録」を繰って見たが、いままでのところ全くない。しかし、沢登を含む無名滝はこんなのは普通だろうから、あんまりそういうところには行っていないということだ。
 秋田県も白神山地からこの辺りにかけて、日本でも最も”山深い”ところであろうと思う。山が高いだけなら信州の方が山深い、というところだが、信州は人が住める所と山岳部がハッキリ分かれていて、山奥に集落がある所はそんなにない。<木曽路は全て山の中である>という有名な書き出しの小説もあるので軽軽には言えないが、いろいろと滝巡りをして見て、本当に山深いと感じるのは、どこまでもどこまでも細い道が山を巻いてうねうねと続き、集落も点々と続いているという風景であろう。それらにイメージが近いのが、紀州南部の山地、徳島の山間地、白神から出羽丘陵、それに宮沢賢治のイメージに代表される北上山地であろう。
 その山深い阿仁町をまたズンズン山奥へ入って行くのであるから、安の滝への遊歩道もかなり険しいものと覚悟はしていた。所が、時間は40分ほどを要するものの、危険な所は全くなく、迷うような脇道もない。ただ一つ、恐いのは熊。小熊でも見かけようものなら、一散に逃げるしか手はない。(2003/07/20 ついに色麻大滝への途中で小熊に遭遇す)
「熊が出てきたら、私を前に押し出しといて、あなたはさっさと逃げちゃうんでしょ」というのは我が連れ合いの口癖。こういう時は、妙にドギマギすると心の中を見透かされた事になってしまうので要注意。そうならないように、ホイッスル、カウベル、熊避けの鈴などをガチャガチャ鳴らしながら行くのだが、どうもそういうものは効かないとの話もあるので、スプレーでも持って行こうかしらん。彩志会の何名かは実際に熊に遭遇しているし、会長の澤枕瀑という夢枕獏を捩ったようなヘンテコリンなHNをもつH氏は、懸命にホイッスルを吹いたけれど、悠々と前方の道を横切られたという経験を持ち、以来熊スプレーを携行するようにしているという。
 襲って来ないものは動きを止めて、じっとして、なんとか立ち去ってくれるようにしているのが一番なのだろうけれど、つい逃げ出したくなるに相違無い。逃げ出せないなら襲われたらどうすれば良いか?どうしようもないのです、不運と諦めなさい、ではあまりにもつれないので、従来より言われていた事を検証して見よう。
 @死んだ振りをする・・・・・この説は最悪であるとのこと。先程まで動いていた物が急に動かなくなって、熊は異常な好奇心にかられ、爪で引っ掻いてみたり、転がしてみたり、熊としては調べているだけなのだが人間はズダボロボロ。
 A熊は前足が短いため下りが苦手なので下方へ逃げる・・・・・熊は逃げるものを追いかける性質がある。この場合、熊のスピードは100m を7秒と言われ、絶対スピードが違うので、上りであろうが下りであろうが直ぐ追いつかれてズダボロボロ。
 B木に登る・・・・・登ろうとしている時追いつかれズダボロボロ。第一、熊は木登りが得意であるらしい。
 Cカメラのフラッシュを焚いたり、蝙蝠傘を広げる・・・・・あまり驚かないようだし、実行しようと思っているうちに圧し掛かられズダボロ。
 D熊避け鈴、カウベル、ホイッスルを携行する・・・・・これは遭遇しない為、聴覚の鋭い熊にあらかじめ当方の居場所をしらせ、無益な接触を避けるという意味では有効らしい。しかしこれが発情期の雄熊や子育て中の気の立った母熊に有効かどうか?かえって当方の居場所を教えることになってズダボロ。
 Eカラのペットボトルをペコペコ鳴らす・・・・・熊が嫌がる不思議な音という意味でDよりは効果的、とも。
 F熊避けスプレーを携行する・・・・・うまくかかれば熊は死ぬ苦しみとなるらしい。噴射有効距離や風向き、相手のスピードとの兼ね合いなどを判断して機を待てるか、掛ったとしてもドドドと襲ってきた熊が惰性で覆い被さって来るのを避けられるかが問題か?
 G腰を抜かす・・・・・へたり込んで顔を伏せてしまっては@と同じことになってしまうので、腰を抜かしてボーゼンとして熊から目を離さないでいると、熊のほうで気味悪がって行ってしまう場合があるらしい。
 H直立して動かずじっと熊の目を睨み付け機を見てジリジリ後ずさりして離れる・・・・・諸説のうちではこれが一番有効との説も。とにかく敵に背中を見せてはいけないらしい。
 Iビニール製レジャーシートを大袈裟に広げ、大仰にパサパサ振る・・・・・あるテレビ番組の実験では、熊はこれに一番驚いて逃げたらしい。すぐ広げられる体勢でいるのは有効かも・・・。
 結局、な〜んだ、という事になったが、D〜Iはそれなりに有効とのことなので、心とともに準備をして行った方が良いが、発情期の雄熊と子持ちの母熊には遭わないことを祈るよりないようだ。 (話しはまたまた大脱線。スンマセン(^_^; )
 安の滝は期待に違わぬ素晴らしい滝であった。手前に滝見所などなく、木の間にひっそりとしておれば、などとは下司の高望み。途中で滝口が白い小山のように見えるところがあって、胸が踊るのもいい。何もかもがいい。
 安の滝は、奈良の大仏(毘盧舎那仏=びるしゃなぶつ)が向かって右向きに鎮座ましましているお姿に酷似している。頭光こそないものの、滝口は肉髻そのままであるし、水流の具合では白毫も生じる。お顔は、水量の少ない時には岩肌の窪みの黒と相俟って穏やかな半眼と見ゆる。(写真参照) 幾重にも筋の入った納衣が重なり、中段部右端は印を結んだ御手により納衣を持ち上げたお姿と見え、その下部は蓮台へと続いている。正に御仏が右向きに結跏趺座しているお姿ではないか。この滝名に纏わる悲恋のおヤスも、御仏の法衣に抱かれて心安らかであろうと思うと、覚えず深深と頭を下げざるを得ない光景ですな。この滝の一番の座が私の中で揺らぐ事はないだろうと思う。
 積年の思いが交錯して中々去り難かったが、本日はまだ、幸兵衛滝や抱返り渓谷の回顧の滝、百尋の滝なども訪れる予定であるから、あまりぐずぐずしてもおられない。安の滝駐車場に戻ってきたのがすでに11時過ぎだったので、スケジュールがきつくなりそうである。
 一旦、安の滝入り口の標識のあるブナ森林道に出て幸兵衛滝入口を入って3〜4km。途中の明神滝入口の標識は無視して、駐車場へ。
 身支度を整えて10分ほど歩くと一つの大滝に着く。すわ、幸兵衛滝!というのは嘘で、事前調査したところではこれが一の滝 (「幸兵衛一の滝」というかどうか分からない)。 あっという間の10分だが、どうしてなかなか立派な滝ではないか!細流に分かれた白い網がかなりの高みから簾のように落ちている。滝壷といえるほどの滝壷はないが、幸兵衛滝に行くのが辛かったら、この滝を見て帰るだけでも十分に価値がある佳瀑だ。
 遊歩道は、この一の滝右岸を大高巻するように上がって行くが、途中、滝口のレベルで真横から見た一の滝もまた風情があってよろしい。一の滝滝口を過ぎて15分ほどすると、尾根とも峠ともつかない三叉路に着き、<右幸兵衛滝600m、二の滝450m>と<中の滝方面>と矢印の付いた標識に出会う。勿論中の滝は無視してニの滝に進む。一度Uターンして一の滝方面に戻るのかな?と思わせるところもあるが、再びダラダラとした上り道となり、20分ほどで<ニの滝>の標識に至る。その標識の直ぐ手前の踏み後を左に行くと、奥の方にニの滝を乗せたような、台座型の無名滝直下に出てしまう。一旦標識に戻って少し上を左に入るとニの滝に出る。これも四角いキューブ状の岩が組み合わさった段々を水が流れ落ちている佳滝である。二の滝右手に鎖があって、ここを上って行けば幸兵衛滝の滝壷に行けるようだが、勿論無視して幸兵衛滝へ!
 <中の滝方面>の表示があったところの標識によると、ニの滝←→幸兵衛滝間は150mとのことだ。
「なに?150m?150mなんざ気の利いた小学校の校庭だったら斜めに取りゃあ、直線の走路が取れるわい」
 そんな具合に息巻いておられる内はよかったが、この150mがキツイことキツイこと。「ヒーコラ、ヒーコラ」というのがその後私達の間で、<もうダメ!限界!>というのを表わす言葉となった。その後も結構キツイ道はあった。ヒーコラもなんども叫んだが、この幸兵衛滝の最後の150mだけが強烈な印象として残っているのは何故なのだろう?長い間の疑問は尾瀬の三条ヶ滝へ行った時に氷解した。苦労して辿りついた滝とその現れ方が強烈であればあるほど前後の印象が強く残っているのだ。この場合、午前中から歩き続けて急に急坂となったので足の奴が悲鳴を上げたのが原因だが、やっと尾根に辿りついた瞬間、眼前の谷間をトウトウと下る大滑滝が現れた感動は筆舌に尽くし難いものだった。
「いいなあ、滝は。こう言う具合に見えるのがいっちゃんいいなあ・・・」
 誰にとも無く呟いて前方を見ると、連れ合いが崖上に張り巡らされたトラロープの外に出て、一心に滝を眺めている。熊笹を踏み外せば谷じゃあないか。
「おい、こら!ロープの外に出るな!アブネーじゃねーか!」
 幸兵衛滝は巨大滑滝だが、全景を撮ろうとするとどうしても熊笹や目前の樹木が邪魔をしたり、角度がおかしかったりする。やっと、ロープの外に大木に寄りかかって撮るうまいところを見つけて「シメタ」と思った途端、背後から、
「おい、こら!ロープの外に出るな!アブネーじゃねーか!」
 笑う膝を宥めつつ立又沢を下って、打当温泉を掠め、R105を南下。ちょっと田沢湖に寄って行くかどうかでもめたが、午後2時を回っているので、とりあえず抱返り渓谷の回顧の滝に行って来なくては滝巡りは収まらない。で、まず一路回顧の滝へ。
 抱返り渓谷を流れる玉川の色は、ちょうど硫酸銅の溶液のようにエメラルド色を濃くしたような色合いだ。アオコが繁茂して富養化したドロドロとした濃緑色とも、尾白川渓谷のお仙ヶ淵のエメラルドグリーンとも違う、不思議な澱みである。日暮れが色を添えていたことも影響していたかもしれない。しかし、秋の陽は釣瓶落し、そんなことを解析している暇はない。早くしないと写真も撮れなくなってしまう。駐車場から30分ほどで回顧の滝だが、百尋の滝はそこから40分以上というから、これは最早不可能。広い駐車場から神社裏を抜け、吊り橋を渡って玉川の左岸を、真っ暗なトンネルをいくつも潜り、どうやって渡したかも分からない懸崖の途中に引っ掛かったような木橋をいくつも渡って、回顧の滝に着いた。
 滝は上部が噴流となっていて、噴流を受けとめた滝壷から一気に簾状の水流を落している。延し棒状の奇観であり、100選に入ってもいいかもしれない。
 抱返り渓谷を後にして、薄暮の田沢湖を訪れ、ついでに角館の武家屋敷まで行ってきたというのだから、私がいかに連れ合いに気を使っているかが伺い知れようというものである。

(3)失望の奈曾の白滝  1999年10月17日

 本日は湯ノ又大滝、川原毛湯の大湯滝、法体の滝、奈曽の白滝、元滝を訪れる予定である。夜までに横浜に帰る積りなので、例によって多少キツイ行程だ。
 湯ノ又の大滝は、R106を鳴子温泉から鬼首トンネルを抜けて最初の、秋ノ宮温泉郷外れの湯ノ又温泉手前の道路脇にある。あまり期待はしていなかったが、思いの外の佳滝であった。昨夜来の雨に濡れて、遊歩道は草に埋もれていたので、ここは望遠撮影で蒙御免。
 次に目指した川原毛湯の大湯滝は、湯ノ又の滝の反対側、高松岳を越えたところにあるのだが、道はぐるりと大回りして行くことになる。地図をご覧頂くと分かるが、宮城県側を回るとなると、全体何時着くか分からないような地理ではある。ぐっと北西から三途の川沿いに回り込んで行ったが、泥湯温泉の大湯滝は、初日の大平温泉の露天風呂同様、地元のお爺さんなのだろうか、例のブランブランの真っ裸で湯滝に打たれており、とうとう写真の一風景に撮り入れざるを得なかった。おじいちゃんのじゃあね。
 地図の上では、法体の滝のあるのはかなり鳥海山の山懐に抱かれた秘境の地と見える。とんでもないことだ。県道70号に入口の標識があってから、一度も迷う事無く法体遊園の大駐車場に着けるのみならず、”紅葉まつり“とやらで、焼きトーモロコシやイカ焼きの匂いが入り乱れ、あまつさえ、隣村の真室川音頭や秋田音頭なんぞが、じゃんじゃかじゃんじゃかじゃん、とかかり、喧しい事カマビスシイ事。秘境の滝とは程遠い。
 ところが写真には音が入るわけじゃあないし、撮りたくないところは撮らなければ良い。これが、秘境の滝法体の滝です。何?秘境に見えない?んじゃあこれならどうだ?これもダメ?エエイ、これならどうでい?
 法体の滝周辺があまりにも開けていたので、つい鳥海山の裾野の広さを軽視してしまった。こうしたところは元の国道なリ県道なりに戻って、次の滝を目指すのが鉄則だが、この時は駐車場前の道があまりにも完全舗装の良い道で、来た方の右方は勿論の事、未知の左方も鳥海山に向かって二車線のヤツが真っ直ぐ続いている。ここは左折していっても、こんないい道なんだから、必ずや主要道にぶつかるに相違ない。必ずや望みの象潟町方面に出るに相違ない。必ずや、必ずや・・・、必ずや・・・・・??おいおい、ダートになってきたぞ、おいおい、細くなってきたぞ・・・、おいおい、擦れ違い出来なくなってきたぞ・・・・・??ややっ、み、道が、道が・・・道が・・・・・??無い!!
 永遠とも思われる時間、鳥海山の山裾の細い林道をさすらうこととなってしまったのである。 教訓その1:道は迷ったらすべからく出発点に戻るべし。このこと、よも忘れるべからず。
 散々さ迷った挙句山形県側に出た、となればこれはもう十二滝や一の滝なんぞを見てさっさと帰っちゃうのだが、現実は同じ秋田県の、それも同じ県道70号線の、例の法体の滝入口の標識のあったところの、直ぐ先に出たのであった。 教訓その2:急がなくても回れ
 出羽の海岸、象潟。<象潟や雨に西施が合歓の花> この芭蕉の句もさることながら、当2回目の東北行の第二の目的は、奈曾の白滝の抜ける空のようなブルーの滝壷を、カメラに納めることであった。他の人のサイトを見ても、滝の本を見ても、そのブルーの澄切った美しさは変わらない。「これはひとつ、オレもやってやらにゃー恥ずかしい」ってもんだ。
 これは連れ合いにすら内証で胸に秘めていたのであった。しかしいくら気合を入れていても、天候にはかなわない。法体の滝までは何とかもっていた空は、ドンヨリと重く垂れ込め、今にも泣き出しそうになってきた。目の前にした奈曾の白滝の滝壷も空模様と同じくドンヨリと重く、期待とはかけ離れたものだった。しかも追い討ちを掛けるように雨が本降りとなって、気持も濡れそぼろってしまった。あ〜あ、もう元滝に行く気も失せ果てた。
 失望の奈曾の白滝・・・・・失望の奈曾白滝に想ひ雨    [了]