はじめに

 12月から2月にかけては中々滝に行けない。というよりは行かない。寒いし、道は難儀するし、行ってみても前面氷に覆われていて、どこに滝があるかも分からない場合がある。反対に、中途半端でうまく凍っていない場合は、殊更ミジメな姿となっていて、見たいとも思わない。殊に東北や北陸の高地は5月一杯まで通行止めとなっている道が多い。秋田の滝に行くのに秋田県から一旦岩手県に大迂回しまた秋田県に戻るというコの字形の経路を取ったがとうとう行けなかった滝もあった。真っ直ぐ行ければ2〜30分の距離のところだ。GWも場所によっては、条件はまだ冬である。
 そんなわけで、12月〜2月は伊豆や静岡西部でお茶を濁していたが、3月の声を聞くともうどうにも我慢がならなくなり、遠征を計画した。四国、山陽、九州南部は3月に入れば、高千穂や剣山などよほどの高地でもなければもう大丈夫であろうが、2泊3日の旅程としてはチト遠すぎる。さすれば、残るのは近畿南部、紀勢和三県のみである。例により杜撰な計画を立てて出かけることとはなった。
 三重県の滝と言えば、なんてったって宮川村の大杉谷、飯高町の宮の谷峡谷の滝を見ずして大きな口は叩けない。しかし3月というのも心もと無いので、大台ケ原も含めて次回に譲ることにした。
 和歌山県の熊野山系と言えば滝の宝庫であるが、横浜から行く身では限定されざるを得ない。特に桑の木の滝を必見の一つに入れたら、なお更行程がタイトとなる。加えて、奈良県は双門ノ滝まで行程に入れてしまった。心有る人には、この滝見行がいかにズサンな計画か知れようというものである。

(1)熊野路へ 2000年3月18日

 最初の計画ではなんとしても12時までに伊勢湾フェリーで鳥羽に渡ろうと思っていた.。逆算してみると、伊良湖岬に11時までに付けば乗船できる。それには東名掛川ICを10時までに出る必要があり、掛川ICに10時ということは沼津が9時、横浜青葉ICが8時となる。この間東名が渋滞する事と休憩時間を考えてプラス1時間、掛川IC−伊良湖岬間は一般道なのでプラス30分、計1時間30分プラスして、6時半に家を出ることにした。結果は鳥羽着12:40で、主たる原因は掛川−伊良湖間が思いの外時間を要したためであった。
 鳥羽から伊勢道を行き、勢和多気ICから熊野街道(R42)を紀伊長島に出て、尾鷲市、熊野市を経て一路新宮へ。 新宮から熊野川伝いにR168を遡って行った。地図の上では[桑の木の滝]まではそんなにないが、何故か国道に表示が無い。途中に白見茶屋というのがあって、脇に結構な滝が落ちていたが、桑の木の入口が見付からないのでそのようなものを愛でる余裕も無かった。私の先入観としては、国道に小さな標識がある狭い林道を入って行く、というのがそのイメージだったので、本当の入口を何度か通過してしまった。高田方面と表示のあった道は広い立派なもので、先入観の怖さを思い知らされた。以後も相変わらず同じことを繰り返すこととなるが、習い性となっているわけだ。
 滝に至る最後の橋までは快適な道だ。この高田川を渡って桑の木の滝駐車場に至る最後の橋ってやつが、極端に狭いだけである。・・・だけである? あの狭い橋を渡って行って、行きは楽だが帰りは苦労した人が多いと思う。内輪差の問題だが、行きは良い良い帰りは怖い、とはまさにこのこと。
 遊歩道は墓地の裏を迂回して行くようになっている。暫くすると苔むす林道となってくるが、これが回りの巨木を切り倒して作ってあり、世に悪名高き自然環境破壊の典型とされて糾弾されている、桑の木の滝の開発である。しかし滝壷に着いて見ると、そのような浮き世の憂さを忘れてしまう。
 [桑の木の滝2]は午後の木漏れ日を浴びて、苔がキラキラと光って幽玄な雰囲気を醸し出していた。土佐の竜王の滝の気配に似ていた。
 人それぞれ好きな滝があって、大きな滝、小さな滝、豪快な滝、密やかな滝、細流の滝、賑やかな滝、寂寂な滝、アプローチの短い滝、アプローチの困難な滝などなど。私は滝のコレクターなので余り構わないが、それでも苔むす滝を見るとコロリといかれるところがある。私は「私の滝のベストテン」というのをサイトのページとしているが、本当は吐龍の滝(山梨県清里)、月待ちの滝(茨城県大子町)、玉垂の滝(岡山県勝山町)、鴛鴦隠しの滝(長野県奥蓼科)、平湯大滝の滝壷(岐阜県上宝村)、小倉の滝(群馬県中之条町)などは現在のベストテンのあるものよりずっと好きだ。が、連れ合いが言う。
「あなたのホームページを見て、しかもベストテンを見てわざわざ行った人が失望したらどうするの?一般的に見て感動できるかどうかを判断に入れるべきよ。いくら、[私の]ベストテンって言ったって、ベストテンって公開する以上責任を持たなくっちゃあ」
 一理ある。一理はあるが普段なら、おととい来ゃーがれ、である。しかし、全滝を一緒に行っている者の言葉なので無碍に無視するわけにもいかない。そんなわけで泣く泣く?現在のベストテンになっているが、桑の木の滝はそういった全ての点を加味してもベストテンに入れてもいいかな、と思っている佳滝である。
 桑の木の滝は新宮市にあるが、飛雪の滝は熊野川を挟んで三重県側にある。熊野川右岸がR168で左岸にはずっと三重の県道が走っている。新宮市の方から来たので新宮市までは熊野川を渡る橋の無いことは分かっている。ここで、上流へ行けば狭くなった熊野川を渡る橋などこれからいくらでもあるだろうからその方が良い、と考えてしまうのは異常であろうか? しかし、これがどこまで行ってもないのだ。県を跨ぐ橋を作る行政単位の地域主義の堅牢さを甘くみていた。何度ももう引き返そうかと思ったが、もう少し、もう少し、と我慢を重ねること十四度、とうとう橋が見えてきた。翌日分かったことだが、この橋を渡って暫く行くと布引の滝があろうか、というところまで遡って来てしまったのである。狭い県道をブツブツ不平を言って下りながらも唯一の収穫は、杉木立の中に無名の小滝を見付けたことだった。
 小さい滝が緑陰にひっそりと落ちているさまは、正に日本の雅の心だ。
 飛雪の滝は熊野川の対岸、つまりR168からも遠望でき、岩壁の凄い秘瀑に見える。が、近付いて見ると、周りは公園としてかなり整備されていて、興醒めの人も多いだろう。滝ヤラレはアプローチは勿論、滝壷の手前の形状まで気にするものだ。最後の岩を掻き登ったら突然、眼前に滝が見えた、などというのは最高に熱くなる瞬間だ。[飛雪の滝]は、全部整備された観客席を手前に、舞台中央にでんと座っていた。
 飛雪の滝を出る頃には、三月の彼岸過ぎとはいえ日も暮れかかってきた。これから、南紀白浜に向かう。新宮市に入る頃には薄暮となり、橋杭岩も串本も潮岬も夕闇の中となった。

(2)紀和、紀勢、勢和巡り  2001年3月19日

 今日は、紀勢和三県を巡る予定。和の笹の滝、勢の布引の滝、紀の那智の滝がその代表である。
と、書いてハタと考えた。何で紀−勢−和の順なのだろう。紀和、紀勢、勢和というのはあるが和紀、勢紀、和勢というのはない。PCで変換しても前者は何事も無く変換されるが、後者は自動変換されない。そんなのどうでもいいじゃんか、というのが大方のところだろう。しかし、気になり出すと放って置けない性格なのだよ。
 思うに、紀は徳川御三家の一、紀伊中納言の居たところだから一番上、勢はお伊勢さんといえば江戸時代の信仰の要だから次席、ということだろうか?歴史と伝統の和も捨て難いと思うけど・・・待てよ、尾張大納言の尾の場合、濃尾平野って言うぞ・・・ワーッ、余計分からんようになった!!
 日本の三大新聞を言うのに、朝毎読三紙という。読売新聞がいくら声を大にして「オレんとこが発行部数ダントツ一位なのにイ」と喚いても朝毎読の順である。どっかで誰かが言い出したには違いなかろうが・・・分からん、と気持ち悪い想いは一先ず脇へ置いといて・・・
 初めから脱線してしまった。閑話休題。
 白浜を出て、先ず円月島へ行った。実はここは我々夫婦の新婚旅行の思い出の地なのである。そしてかつては新婚旅行のメッカだったのである。思い出探し、というわけでもないが三段壁も良く憶えており、28年も経て当時のままだった。
 南紀白浜周辺にも大小さまざまな滝があるが、白浜に近くてどうしても見ておかねばならないのに、八草の滝という不思議な百選の滝がある。色んな人の本などを見てもどこがいいんだか全く分からない。撮り方が良くないのではなく、どうも限界みたいだ。第一に東向きの滝なのに朝日が射さない。一枚だけ日置川を前に日に照らされた滝の写真があったが、6月近辺の一番日が高く上った頃のものだろうか?彼岸を過ぎたばかりでは期待は持てないが、行ってみずばなるまい。第二に、どうも滝壷へ行く道も無いらしい。
 矢張り早朝に行ったにも拘わらず[八草の滝]はドップリと日陰に入っていて、周りがピーカンだったため、全く撮れなかった。日置川町は道も狭く、苦労した割には失望のみが残った。
 日置川から一旦白浜町の方に戻って、今度は真っ直ぐR311と熊野古道を通って奈良県は十津川村の[笹の滝]を目指す。笹の滝は西向きの滝で、午前中は逆光になるけれど滝口から日が射す、とのことなので、逆光でも何でも滝口から光に乗って飛ぶシブキを捉えずばなるまい。
 [笹の滝2]には手洗いはあったが専用駐車場は無く、橋手前の路肩に停めた。滝は思惑通り逆光の中にあり、私のカメラ技術ではどのような出来上がりになるのか見当も付かない。シャッター優先、絞り優先、補正色々、フルオートと、三台のカメラで3の3乗くらいの組み合わせで撮りまくった。結果はこの[笹の滝−光と陰]のような具合である。まあ最初の意図は出たと思っている。
 次はまた三重県に入って布引の滝である。十津川からR168を南下する途中、十二滝小屋戸の滝小森谷の滝などに立ち寄り、昨日飛雪の滝へ行く際に渡った橋で三重県に入る。ここまで来てやっと、な〜〜んだ、ってなわけである。
 [布引の滝]は滑滝というには急傾斜にすぎる。しかし直瀑というには静かで、音も無く水流が滝壷に吸い込まれている。丁度微妙なバランスの下に、流身が滑らかな岩壁を離れることもなく、さりとて流れが分岐して行くでもなく、佳滝を形成している。滝壷あくまでも紺碧で深く、周囲には深紅の椿が咲いていた。当然椿を入れて滝を撮ろうと思う。後の土手を這い上がり、色々角度を変えてみたがうまくいかない。その点俳句は自然描写といっても所詮は想像の産物のなので、♪白布の上に一枝紅椿♪ってなもんである。
 普通のアプローチで怪我をすることはあまりないが、カメラを手に、目を三角にしてアングルを探す時が一番危険で、大体一遠征で二三度はやられる。[布引の滝2]の周辺は、茨に引っ掻かれる程度で済んだのは勿怪の幸い。
 布引の滝の帰途では、松山滝荒の滝隠れ滝などが見られる。
 布引の滝まではスケジュール通りであったが、さあこれからと言う段になって考え込んでしまった。熊野川村の滝を2〜3本回るか、那智の滝から思い出の橋杭岩の夕陽を撮って白浜に帰るか、だ。[那智の滝2]は当時勿論立ち寄っている。写真も撮った。しかし、当時はまだ滝にヤラレてはいなかったので、見物も通り一遍、写真も必ず変な男や女が真ん中でVサインなんか出しているやつばっかりだ。とてもサイトにアップできる代物ではない。
 私は滝のコレクターなので同じ滝には原則として行かないことにしているし、熊野川村の滝だって見たい。が、しかし、「新宮の辺りまで行って那智の滝もアップしてないの?」・・・これも怖い。でもって、[那智の滝]−[橋杭岩]のルートを選択したわけだが、最近<紀州の滝340>と言うのを購入したら、熊野川村には素晴らしい滝が一杯ではないか!臍を噛んだ次第。
 [那智の滝3]には28年前同様、滝口に注連縄が張り巡らせてあったが、[滝4]自体は素晴らしいの一語に尽きる。近付いてゆくと神木隠れに段段と見えてくるのもいい。拝観料払って滝壷まで行ってみたが、上流にあるという一の滝、二の滝には時間も迫って来たので行かなかった。
 何時も愚図愚図していて、目的地に着くのは大体遅れるので、今回は焦って串本に向かった。と、こは如何に。予定より30分ほども早く着いてしまったのである。早くても、夕焼けのゆの字もない。3月末とはいえ海辺の風は寒く、暫く車の中でじっと空が焼けるのを待った。が、一向に焼ける気配もなくただ薄暗くなって行く。熊野川村の滝滝に行かなかったのを後悔しつつ、え〜い、最早これまで、とレッド・ハンサーをつけて撮影した結果が[これ]。
 その時は上手く撮れているのか、リタッチが効くのか分からないので胸に不満を抱きつつ、努力も報われなかったか、とスゴスゴ白浜温泉に辿り着いた。

(3)大和路から赤目へ

 本日のメインは何と言っても、[不動七重の滝1]である。これだけは何が何でも見て帰らなければならない。永瀬嘉平氏の<滝ゆけば>には、この滝にたどり着く苦難と滝の素晴らしさが余すところなく著されている。勿論、R169から車で入って行けば、さほど困難ではないことは分かっていたが、何しろ他の人のサイトを見ても滝相が素晴らしいのだ。大台ケ原の中の滝も行きたいが、先ずこちらだ。
 この紀行は「西遊記3」となっているが実は時系列的に見ると、「西遊記1」が2000/9/2〜9/5、「西遊記3」が2001/3/16〜3/18、「西遊記2」が2001/5/2〜5/5と言う具合になっているので紛らわしいこと限りない。スミマセン。というわけで恐怖の狭隘路のことが、西遊記2に頻繁に出てくるけれど、それに先立つ2ヶ月前に狭隘路の恐怖と困難は、既に大和路で経験していたのであった。北山村よりのR169とR425は徳島のR193に劣らず?狭くおっかなかった。有名な瀞八丁へ行く道があんなに狭いとは知らなかった。擦れ違いも出来ず、間道のようなのがどこまでも続くのである。白浜から熊野大社本宮までは良かったが北山村側のR169は抜け出られてホッとした。下北山村に入ったR169は反対にとても山奥とは思われない良い道だ。
 R169を前鬼橋手前で左折しないと、最早[不動七重の滝2]に行く道はない。前鬼川に沿って、ただひたすら林道を登って行くと、ほんとに突然前方が開け、[]が遠望できる。三段見える下段の滝壷は群青色で落ち込む水は春の光に真っ白。上段の滝は豪快に落ちている。七重の滝だからまだ見えない部分があるが、もう充分な美瀑であった。撮影は失敗しないように気を付けたが・・・・・
 少し下ったところに滝壷へ行ける遊歩道があるようである。
 余りに良い滝で、こうした滝はなかなか立ち去り難いが、今日中に横浜まで帰り着かなければならない身であれば致し方もない。次の滝へ。[蜻蛉の滝]だ。
 <せいれいのたき>と読むらしいがつまりトンボのこと。どこがトンボかと思ったらどうもこの滝の故事にあるらしい。
 この滝の一番の特徴は、上から見ると巨大な樋の中を流れ下っているように見えるところで、どうやったのか上手く真上から撮っている輩がいる。普通では身を乗り出して見ても、肉眼でも半分ほどしか見えない。ロープとハーネスを使えば何とか、といったところである。私にはそんな土佐のJJJさんみたいな真似は出来ないので、カメラが三脚の雲台から外れないようにシッカと固定し、大体ピントを合わせてセルフタイマーとし、滝の上に差し出して撮ったのがこの[蜻蛉の滝2]。途中の段と滝壷も特異で、おどろおどろしい滝だ。特に滝見台が接近して作られているので、通常以上にインパクトが強く印象に残るが、滝壷の一点に上からの光が当たっている[このカット]は自分でもどうやって撮ったのか判然としない。
 公園の片隅にあり、表示もあまりないので期待はしていなかった滝が、このように撮れると、望外の収穫、何だかとても儲けたような気になる。
 奈良県の滝にはここで別れを告げる。といっても、目指す赤目四十八滝は奈良県との県境、三重県に入った直ぐ、名張市の西端にある。地図の上では一跨ぎだが一般道のみなので2時間以上はかかりそうである。
 そんなに込んだとも思われなかったが、70kmばかりのところを2時間半もかかってしまい、突いたのは4時近かった。着いて見ると、自然とはかけ離れた、なにがなし、嫌ーな雰囲気である。アプローチから、駐車場のありようから、土産物屋の並び具合までなんとなく気に入らない。私たちが反対してきた、<地方自治体による自然環境保護名義の商業開発>の典型と見えたからである。
 予想どおり、先ず自然保護協力金であろうか、赤目渓谷環境保護なんとかかんとか、という金をボッタくられた。しかも、なんか怪しげなサンショウウオ水族館だか陸族館だか何だか訳のわからんようなものを通り抜けねばならんようになっている。サンショウウオが棲息し易い環境を整えるのが先だろうが!行く気もあらかた失せてしまって、もう帰る、などと言いだしたりして、ダダをこねて散々連れ合いを困らせた挙句、やっとシブシブ魚が死んだような目をして歩き出した、とは連れ合いの感想。
 案の定、遊歩道から滝壷の周りからなにからガチガチの人工物のオンパレードである。ブン殴ったろーか。というわけで、皆が良い良いという琵琶の滝、荷担の滝はついに見ず仕舞いで引き上げてしまった。残りの滝もどれがどうだったか、珍しくも全然憶えていない始末。
 東の白糸の滝、西の赤目四十八滝が両横綱であろうか。東の大関は袋田の滝、西は箕面の滝、東の関脇は華厳の滝、西の関脇は布引きの滝(神戸)、東の小結は洒水の滝、西は、ふ〜疲れた。      
 何故か赤目のネガもポジも見付からないので、この辺で蒙御免。    [了]

[仕方なしのUP]赤目−不動滝布曳滝千手滝