ディベート行事を創る

 

南幌町立南幌中学校 教諭 田村和幸

 

1 モデルディベートで少年犯罪を考える

 北海道南空知PTA研究大会の第1分科会「青少年の健全育成」の中で、ディベート甲子園全国大会に出場したメンバーがモデルディベートを行った。論題は「18歳未満の少年犯罪にも死刑を適用すべきである」である。

 このイベントを企画したPTA研究大会の事務局長であり、南幌中学校教頭はディベートを導入した理由を2点あげる。

 

 ・従来のPTA大会は当事者の児童生徒が不在で、子供の意見を聞き、討議に反映させるようなものがなかったこと。

 ・本校生徒の頑張りを広く紹介する場にすること。

 

 そして、分科会のねらいを子供が考え、討議するこのディベートを通して、分科会参加者150名がますます深刻化する少年犯罪を未然に防ぐために、今PTAができる方策を模索することとした。

 

 ディベートの冒頭で司会の生徒が次のようにスピーチした。

 「切れる子供という言葉が流行し、後を断たない少年による凶悪犯罪。8月14日夏休み中の大分の家族殺傷事件も大きな衝撃を与えました。私達の同世代が起こす問題に社会は揺れ、ますます深刻化していると言えます。

 私達もこの事実を無視することはできず、学級の中でも考えました。少年法を改正し、18才未満の少年にも死刑を適応してはどうかと・・・。多くの仲間が改正に賛成の意見を述べてくれました。しかし、それで本当にいいのかという気持ちにもなります。

 そこで、この少年の起こす事件についてディベートを通してより考えてみようと思います。論題は『18才未満の少年犯罪にも死刑を適応すべきである。』このことについて、肯定側、否定側に分かれて、討論します。」

 

2 モデルディベートの流れ

 対戦は2対2で行った。また、メリット、デメリットそれぞれ1つとし、フォーマットは

 肯定側立論   3分

 否定側質疑   2分

 否定側立論   3分

 肯定側質疑   2分

 否定側第1反駁 3分

 肯定側第1反駁 3分

 否定側第2反駁 2分

 肯定側第2反駁 2分

とした。

 審判は参加者が行うとことし、司会者は事前に配付した判定シートにジャッジと感想を書いてもらうこと、また発表してもらうこと、終了後、提出してもらうことを依頼した。

 ディベート終了後、教室ディベート連盟北海道副支部長の岡山洋一さんにこのディベートの解説、まとめをして頂いた。

 

3 ディベートの争点

 肯定側の立論からディベートは始まった。肯定側の主張は次のようなものであった。

 

「メリットは『少年犯罪の減少』であり、死刑に犯罪抑止力があることから、メリットが発生する。このメリットは少年犯罪が増加、凶悪化する日本社会にとって重要である」

 

 ディベート甲子園で使ってきた社会経済学者アイザック・アーリックの論から、「死刑に抑止力がある」という引用や西鉄バスジャック事件の少年の発言などが証拠資料としてあげられた。

 質疑の後、否定側の立論が続いた。

 

「デメリットは『少年の個人の尊厳の剥奪』。その深刻性は2つ。1点目は将来のある少年のこれからを奪う『残虐性』、2点目は国際的に『人権後進国』になる」

 

 白熱した言葉のバトルであった。それぞれの第2反駁を終えて、争点は3点であった。

 

 ○死刑には抑止力があるのか?

 ○凶悪犯罪者に人権はあるのか?

 ○少年は更正可能なのか?

 

 肯定側、否定側とも事前に互いの立論を知っているだけに万全な準備がされており、噛み合った議論となった。

 

4 参加者の声

 司会の生徒が参加者に尋ねる。「どちらの議論に説得力がありましたか?」最初に手を挙げた男性は「どちらにも説得力を感じない。引用が多くて、それは借りてきた言葉である。中学生らしい、あなたたちの議論が聞きたい」と意見を述べた。続いた女性も「早口で聞き取れなかった」と感想を語った。

 残念であるが初めてディベートを見た(聞いた)多くの参加者は、「実感のない早口の理屈の言い合い」と感じたようだ。

 

 ジャッジ(感想)を会場の数名から聞いた後、教室ディベート連盟北海道副支部長の岡山洋一さんに、

 

 ■「ディベート」とは?

 ■今回のディベートの解説

 ■少年法の争点

 

 について、話して頂いた。特に参加者の反応もあり、ディベートについて丁寧に説明下さった。

 まず、ディベートは「知的格闘技、ゲームである」と定義した。

 そして、ディベートの教育効果について、

 

 ・論理的に考え、話す訓練になること。

 ・スピーチ力が高められること。

 ・リサーチによって、社会問題についての知識が得られること。

 

 と3点あげた。

 これらを前提に参加者の意見や疑問に対応すべく、説明くださった。

 

【意見1】「早口ではないか」

 審判を相手に向かって主張する競技ディベートはもっともっと早口である。このような訓練によって、聞く力や話す力が高まる。

 

【意見2】「文献の引用が多く、中学生らしい主張ではない」

 ディベートは自分の主張と関係なく、肯定側になったり、否定側になったりする。そして、その立場を論理的に説明しなくてはならない。それによって、物事を両面から考えることになる。

 また引用があるのも感情論ではなく、論理的に説明するには不可欠である。

 

 岡山氏は、参加者にディベートは「実感のない早口の理屈の言い合い」はなく、多くの教育効果が期待されるこれからの討論の形態、学習の方法であると主張した。

 

 ディベート後、討議の柱である「青少年の健全育成」をつなげることができなかったため、参加者の感想の中に「何のためのディベートであったのか」というものがあり、これを私自身、深刻に受けとめた。このことについて、

 

 ・分科会の司会者がディベートを初めて体験したこと。

 ・ディベートの争点やその後の分科会の運営について打ち合わせしていなかったこと。

 

 大会後、事務局と共に反省した。

 

 会の終わりに提出された判定シートは全部で38枚。「ディベートの内容は聞きとれなかった、理解できなかった」というもののが多かった。

 しかし、参加者の自分にとって理解しずらいことであっても、生徒の活動として、前向きに認め、ディベートそのものを肯定的に捉えた意見も多くあった。今後の企画の意欲となるものを3点紹介する。

 

 ・ディベートという意味が理解できず、私の個人の都合のいい考えで見ていました。それは「早口でわからない」とか、「もっと感情をいれて」など。でも最後にディベートを説明下さり、多少なりとも知ることができました。中学生はとてもよく勉強していたなと感心しました。大人は目先で判断して、すぐ「ダメダメ」というこれは悪いことですね。ディベートを教えてくれた中学生のみなさんありがとう。(A.Iさん)

 

 ・初めてこういうものを聞きましたし、見ました。話し方、意見の内容がどうこうではなく、中学生が行うことがすごいと思いました。圧倒されました。新鮮でよい試みだったと思います。私自身本当に初めてこういうものがあるということをだけでも勉強になりました。おもしろかったです。(MYさん)

 

 ・ゲームの前にディベートの説明がほしかった。(Hさん)

 

5 今後の課題

 今回の経験を通して、ディベート行事を成功させるために多くの課題が浮かびあがった。

 

 ・ディベートと行事そのもの目的の関連を明確にこのディベートの争点を通して、行事の中で何を議論するのかという全体の計画を綿密にしなくなくてはならない。少年犯罪にかかわるディベートの争点をいかに「青少年の健全育成」の議論につなげるかが大切である。

 

 ・論題の作り方を慎重に

  「ゲームで生命を語るとは何事だ!」という意見もあり、論題の作り方にも十分な配慮が必要である。しかし、今回の論題もリスキーであったか?

 

 ・プレゼンテーションの工夫

  競技ではなく、モデルディベートであり、参加者は初心者であることを踏まえてスピーチする必要がある。その工夫として、競技以上に、

 ○スピード、抑揚、間の工夫

 ○引用の内容のラベリングや要約の工夫が必要である。

  また、

 ○ディベート司会者が立論の内容や反駁後の争点を整理しながら、進めていくこともできる。

 さらに立論の量を考え、早口にならなくてもよい余裕のある時間設定をするべきである。

 

 ・ディベートの説明を丁寧に

  今回の行事を通して、主催者の認識以上にディベートの認知度は低かった。見てもらう前に一定の説明が必要であった。

 

 多くの課題があるものの、ディベートを通して、少年問題を真剣に考えることができたのは間違いない。今回の経験を生かし、今後もディベート行事の創造に意欲を持ちたい。

 

 終わりに、「議論は難しかったが、自分の意見は・・・」というものが多かった。ちなみにジャッジの結果は肯定側の勝ちというのが多く、「死刑の適用を求めるもの」であった。世論調査と同じ結果がでて興味深かった。

 

 最後に事務局であった本校大津外志男教頭の感想を引用させて頂きます。

 

 

「ディベート行事を創る」について

大津外志男

 

 改めて、8月26日のPTA研究大会を振り返ってみました。

 これまでPTAの大会を含め、子供の健全育成といったテーマの論議に当事者そのものである子供を参加させて論議したことがあったろうか・・・。

 結局は、大人たちが子供の健全育成を語り、助言者のまさに適切な助言でまとめ、その結果が青少年の深刻な事態に評論するのが精一杯の大人である。

 この論議に子供を参加させよう、子供たちの意識や活動そのものを見てもらおうと思った時の胸のときめきを思い出しました。ディベートがいかなるものかと同時にそんなことに取り組む子供達を私は美しいと思った。南幌中学校の実践を南空知のPTAに見てもらおうと私は思った。

 果たして、私は反省した。分科会そのもののコーディネートをもっとすべきであった。

 モデルディベートに必死に取り組んでくれた子供達にすまなかったと思っている。

 まさに「創る」である。

 新しいものへの不安、ディベートはやっぱり新しいものなのです。時間が必要だなんて言っているのではありません。「創る」のです。

 ありがとうございました。