「高校教育とディベート」について
― 肯定側、否定側の立論と反駁 ―
岡山 洋一
前号掲載の林裕司氏「高校教育とディベート」は、実社会でのディベートを学ぶ上で大変良いテーマを挙げており、どちらの主張をとるべきか判断に迷うところである。
実際に起きた事件の迫力と、停学にすべきか否かを決めなければならない難しさが良く描かれている。特にその否定側の立論は良く考えられており、否定側有利の感がある。
そこでこの後どのようにディベートを進めて行けば良いかを、それぞれの立場から反論と反駁を試み、私なりに分析してみたい。
まず最初に肯定側、否定側の各主張を立論として、ディベートのケース・ストラクチャーに乗っ取ってまとめていき、各論点の整理をした後、肯定側の反論反駁から、否定側へと議論を進めていきたい。
肯定側立論
<肯定側の主張>
生徒Aは飲酒したが,特殊なケースにつき校長訓戒にすべきである。
1 |
飲酒したのはAの責任とはいえない。 |
昔から祭りには多少の酒が高校生にも振舞われる伝統がある。こういう地域の特殊性を考えるとき,飲酒は生徒の責任とはいえず、大人達にある。 |
2 |
処罰の不均衡は望ましくない。 |
AとBの家は親同士が親交の深い関係にあり、どちらの生徒も飲酒したのに片方だけが10日間の停学では処罰の不均衡を説明するのが難しい。 |
3 |
10日間の停学にしなくても十分反省できる。 |
ABとも模範的な生徒で成績優秀な生徒でもあり,反省は10日間停学処分にしなくても十分できる。ゆえに校長訓戒程度が妥当である。 |
否定側立論
<否定側の主張>
飲酒をした者は従来どおり10日間の停学にすべきで、現状は変えるべきではない。
1 |
「Aの飲酒は大人達の責任」に対して。 |
9〜10人の生徒が山車に乗っていたにもかかわらず、飲酒したのはABのみである。しかしBは校則を思い出しすぐ止めたが、Aのみが校則を忘れ飲酒したので、責任は大人達にあるのではなくAにある。 |
2 |
「処罰の不均衡は望ましくない」に対して。 |
(A)彼らの両親が親交が深いからといって、なぜABとも同じ処罰でなければならないのか、その証明がない。 |
(B)親の意見や提案は学校の決定にはなんら影響を与えない。ゆえに処罰に対して親の事は考えなくてよい。 |
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3 |
「停学にしなくても反省できる」に対して。 |
(A)反省するには10日間の停学が必要である。反省するためには親や先生と十分に話し合い、反省文を書かなければならない。そのためには時間が必要なので、10日間の停学は必要である。 |
(B)停学の処罰を受けたものは二度と飲酒をしない。ゆえに停学は生徒を十分に反省させる事ができる。 |
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(C)10日間の停学は全ての生徒に対する抑止力になっている。過去20年間で、飲酒による停学者は20人しかいない。つまりこれは停学が生徒にとって抑止力になっているからで、この規則は有効なのである。 |
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(D)校長訓戒がなぜ有効なのかの証明がない。 |
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(E)Aは模範的な生徒であるべきなのに、校則を忘れて飲酒をした。この時点でもはやAは模範的な生徒ではない。 |
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(F)なぜAが既に反省していると分かるのか、なぜ模範的な生徒だから校長訓戒でよいのか、証明がない。 |
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(G)もし飲酒についてのみ規則を変えるなら、喫煙や万引きの規則も変えなければならない。なぜならそれらは非行であり、違いがないからだ。 |
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(H)どのような基準で停学と校長訓戒を分けるのか、このような場合これからも校長訓戒にするのか説明がない。 |
以上記事を基にまとめてみた。ここまでが各側の基本線ともいうべき立論であり、ここからこれを基にして反論、反駁を行っていく。
この反駁が弱いとせっかく良い立論を立てても覆されてしまう事があり、結局試合に負けてしまう事が多々あるつまりディベートの真骨頂は反駁にあるといっても過言ではない。
それではここから私なりの分析を行い、肯定側より反論反駁を試みていき、否定側の議論へと進んでいきたい。
肯定側反駁
1 |
飲酒の責任は大人達にある。 |
Aは公園で酔いをさましていた。つまりそれ以上は飲まなかったのであり、Aも飲酒をした後校則を思い出していたのである。AもBも共に飲酒をした後に校則を思い出した。否定側の理論は校則を忘れたから自分の責任だという主張なので、校則を忘れなかったAにも責任がない。責任は大人達にある。 |
2 |
(A)「なぜ同じ処罰か」に対して。 |
(A)たとえすぐに止めたにしてもBも飲酒したことに変わりない。否定側の飲酒の基準がはっきりしていない。二口では停学にならないのなら三口では、四口ではどうか、酔うまで飲むと飲酒になるのか、どれだけ飲んだら飲酒になるのか基準がない。ゆえにABとも同じ処罰でなければならない。 |
(B)両親ともに親交が深いので、両者とも飲んだのにAのみが10日間の停学になれば、親同士が不仲になる。それは結果としてABの友情にひびが入り、これは教育上好ましくなく、また教育の目的からはずれてしまう。 |
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(B)「処罰に対して親の事は考えなくてよい」に対して。 |
教育は学校のみが行うものではなく、親が行うべきである。学校はそれを助けるだけなので、親の意見や提案は学校の決定に取り入れなければならない。ゆえに処罰に対しては親同士の事も考えなければならない。 |
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3 |
(A)「停学の必要性」について |
(A)反省文を書くことがなぜ反省したことになるのか。ただ反省文を書くだけでは反省したかどうか分からない。 |
(B)10日間の停学がなくとも反省文は書ける。停学ではなく通学しながらでも反省文は書けるので、停学の必要はない。 |
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(B)「停学は生徒を反省させる」に対して |
処罰を受けたものは二度と飲酒をしないというが、飲酒をしていないのではなくて、捕まっていないだけではないのか。校則を破った事を反省するのではなく、捕まってしまった事を反省し、隠れて飲むようになる。ゆえに停学が生徒を十分反省させるわけではない。 |
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(C)「停学は抑止力になる」に対して |
(A)過去20年間で20人という停学者は決して少なくない。20年前には非行をする生徒が少なかったので、20人の停学者は最近の事である。何人もの生徒がここ数年で停学になっており、数は多いといえる。ゆえに停学は抑止力にはなっていない。 |
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(B)地域の特殊性があるので昔は大人達、先生ともに寛容であった。特別な場合の飲酒は決して非行とはみなされていなかった。実際に飲酒をしていた者は多数いたはずである。大人達や先生が寛容であったので単に停学になっていないだけである、停学という抑止力のせいではない。 |
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(C)停学は非行を増大させる。処罰が厳しければ厳しいほど、見つからないように隠れて飲むのがうまくなる。つまり見つからなければいいという事になり、かえって非行を増大させる事になる。ゆえに根本的な解決にはならず、かえって事態を悪い方向に持っていく結果となる。 |
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(D)「校長訓戒の有効性」について |
前述のとおり停学は非行を増大させる事になり、校長訓戒の方が十分反省させる事ができるので有効である。 |
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(E)「Aは模範的な生徒ではない」に対して |
前述の否定側の立論1に対する反論を適用。Aも校則を思い出していたので模範的な生徒である。 |
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(F)「なぜAが反省していると分かるのか」に対して |
成績優秀で模範的な生徒は校則を良く知っており、自分のしたことが良く分かっている。Aはそれ以上飲んでいなく、校則を思い出し飲むのを止めたので、Aはこの時点で十分反省しているといえる。 |
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(G)「他の規則も変えるべき」に対して |
飲酒に対してのみ地域の特殊性があり、大人達は喫煙や万引きは勧めない。飲酒についてのみ特殊なケースが認められるべきである。 |
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(H)「校長訓戒の基準」について |
基準はどれだけの量を飲んだかではなく、既に反省しているかどうかに置くべきである。これからもこのような場合には校長訓戒が適当である。 |
以上の理由から、Aの飲酒については特殊なケースなので停学ではなく、校長訓戒にすべきであると主張する。
否定側反駁
1 |
「飲酒の責任」について |
いくら大人達に勧められたからといって、飲酒したのはあくまでもAである。大人達は無理に飲ませたのではなく、事実飲まなかった生徒の方が多かった。酔ってしまうほど飲んでから校則を思い出しても、それは校則を守った事にはならない。飲酒をしたのはAの自由意志であり、責任はAにある。 |
2 |
(A)「同じ処罰が必要」に対して |
(A)「飲酒の基準」について 酒を勧められ、すぐに校則を思い出さずに酒を飲み続け、しかも酔うまで飲んでしまったのは明らかに飲酒といえる。つまりどれだけ飲んだのかではなく、校則を思い出しそれを守ったかが重要なのである。 |
(B)「両親の親交」について 飲酒をしたAと、飲まなかったBが同じ処罰にされる事の方が不均衡である。つまりそれでは他の両親が納得せず、かえってそれぞれの親同士が不仲になり、また生徒同士にもわだかまりができる。 |
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(B)「親同士のことも考えるべき」に対して |
家庭の教育と学校の教育は分けて考えるべきである。親同士の親交などについては学校の規則に取り入れるべきではなく、もしそうすれば非常な混乱を招く事になる。 |
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3 |
(A)「停学の必要性」について |
ただ反省したと口で言っても反省しているかどうか分からない。反省文を書く事によって自分の考えをまとめ、文章にすると自分のした事の意味が良く分かる。本当にきちんとした反省文を書くためには、家でじっくりと考える時間が必要であり、学校に通いながらできるものではない。 |
(B)停学は生徒を十分に反省させる |
隠れて飲むようになるかどうかは、単なる肯定側の憶測でしかない。たとえ隠れて飲んでいても必ず何人かは見つかるものである。それなのに過去に停学になったものは二度と飲酒で停学になっていないと言う事は、停学が生徒を十分に反省させている証拠である。 |
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(C)「停学の抑止力」について |
(A)「停学は抑止力にはなってない」に対して 最近の非行の増大はいろいろな原因があり、停学が抑止力になっていないから停学者が増えているのではない。確かに肯定側の言うように非行は増えているが、その非行を停学で抑止しているので20人しかいなかったのである。もし停学という処罰がなければ、もっと非行は増えるのであるから、停学は抑止力になっていると言える。 |
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(B)「大人達や先生の寛容」に対して 肯定側の主張によると、大人達や先生が寛容であったのは昔の話であり、今は違うという事になる。たとえ過去には寛容のせいで停学者がいなかったとしても、これからは先生も大人達も寛容ではないので非行は増えるであろう。今こそ停学という抑止力がなければならないのである。 |
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(C)「停学は非行を増大させる」に対して 処罰が厳しいと隠れ飲むのがうまくなるというのは肯定側の単なる憶測であるが、もしそうであるならば停学という処罰は止めた方が良い事になるので、肯定側の主張とは異なる。ゆえにこの議論は無効である。 |
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(D)「校長訓戒は有効」に対して 停学は抑止力になり、また反省文を書かせるので、前述したとおり生徒をよく反省させる事ができるのに対し、校長訓戒のいったいどこが有効なのか、肯定側はいっさい説明していない。 |
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(E)「Aは模範的な生徒である」に対して 飲酒をした後に校則を思い出してもそれはもう遅い。殺人をした後に法律を思い出したから良い、というのと同じ事である。飲酒をしてしまった以上Aは模範的な生徒ではない。 |
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(F)「Aは反省している」に対して 校則を良く知っているなら、なぜ酔うまで飲んでしまったのか。また前述のとおり飲酒をしてから反省しても遅いのである。口だけで反省していると言っても分からないので、反省文を書かせ、十分に自分のした事を振り返らせるべきである。 |
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(G)「飲酒の特殊性」に対して 地域の特殊性があるからといって飲酒のみ例外を設けるのはおかしい。もし肯定側の議論が正しいとすれば、喫煙や万引きにも家庭の事情などがあった場合には、特殊なケースとして認めなければならない。ゆえに他の規則も変えなければならないのである。 |
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(H)「校長訓戒が適当」に対して すでに反省しているかどうかは、口だけでは分からない。いったい何の基準をもって反省しているといえるのか、具体的にどうしたら反省しているといえるのかが説明されていない。停学と校長訓戒の基準が曖昧である。これでは今後このような事が起こった場合、その基準がはっきりしないので混乱を招く。 |
以上の理由から、飲酒をしたAは従来通り10日間の停学にすべきで、現状は変えるべきではないと主張する。
以上、肯定否定の各側から反駁を行ってみた。通常は否定側から反駁を行うのであるが、肯定側の議論が少ないので、この反駁は各側の第二立論も兼ねるという形をとって反駁としたので、このような形となっている。
反駁では新しい議論を出す事はルール違反になる(New Argument)のであるが、前述のような立場から、若干の新しい議論を加えさせてもらったが、基本はあくまでも立論を基に組み立てている。
だいぶ議論が入り乱れてきたので、これまでの議論を以下にフローチャートの形式をとってまとめてみたい。
肯定側立論 |
否定側立論 |
肯定側反駁 |
否定側反駁 |
1.飲酒をしたのはAの責任とはいえない (地域の特殊性) |
飲酒をしたのはAの責任(校則をわすれたため) |
Aは飲酒後校則を思い出したので、責任は大人達にある |
酔うほど飲んだのはAの責任で、大人達は無理に飲ませてない |
2.処罰の不均衡は望ましくない (親同士の親交) |
(A)なぜ両親の親交が深いと同じ処罰か |
(A)Bも飲酒しているので同じ処罰でなければならない |
校則を思い出したかどうかが飲酒の基準 |
(B)処罰の不均衡は親の不仲を生み、ABの友情も崩れる |
飲まなかったBと同じ処罰は不公平、親の不仲を生む |
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(B)処罰に対して親の事は考えなくてよい |
教育は親がおこなうので親同士の事も考えるべきである |
家庭の教育と学校の教育は分けて考えるべきである |
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3.10日間の停学にしなくても十分反省できる (ABとも模範的な生徒) |
(A)反省文を書くには10日間必要 |
(A)反省文を書くことがなぜ有効か |
書く事により自分のした事が良く分かる |
(B)通学しながらでも書ける |
考える時間が必要、通学しながらでは無理 |
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(B)停学は生徒を十分反省させる(処罰を受けたものは二度と飲酒しない) |
処罰を受けたものは隠れて飲むようになる |
隠れて飲むようになるというのは単なる憶測 |
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(C)停学は抑止力になっている(過去20年間で停学者が20人しかいない) |
(A)20人の停学者は最近のこと、抑止力になっていない |
停学の抑止力がなければもっと増えている |
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(B)昔の大人は寛容なので、抑止力のせいではない |
これからは寛容ではないので、抑止力が必要 |
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(C)停学は非行を増大 |
この議論は無効 |
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(D)校長訓戒の有効性の証明がない |
停学は非行を増大、校長訓戒の方が有効 |
反省文を書かせるので停学の方が有効 |
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(E)Aは模範的な生徒ではない |
Aも校則を思い出したので模範的な生徒である |
飲酒をした後では遅い 飲酒した以上模範的な生徒ではない |
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(F)なぜ反省していると分かるのか |
校則を思い出してそれ以上飲むのを止めたので反省していると分かる |
校則を知っているのならなぜ酔うまで飲んだのか 口だけで反省していると言っても分からない |
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(G)他の規則も変えるべきである |
飲酒に対してのみ地域の特殊性がある |
特殊なケースが認められれば他のケースも変えるべきである |
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(H)どのような基準で停学と校長訓戒を分けるのか |
基準はすでに反省しているかどうかに置くべきである |
どのような基準をもって反省していると分かるのか |
以上各論をまとめてみた。思ったよりも複雑になってしまい、論点が入り組んできたので、ここで何点かについて解説と、若干の補足を行なってみたい。
1.命題(Proposition)について
このディベートの命題はどのように設定するべきであろうか。いろいろなものが考えられるが、基本はあくまでも的確な言葉を用い、曖昧な表現を避け、できるだけ分かりやすく、議論を混乱させないようなものを選ぶべきである。どこで次のような表現が適切であろうと思われる。「飲酒をした生徒Aの処罰は特殊なケースにつき校長訓戒にするべきである」。
これはディベートの論題の種類のうち政策論題(Policy Debate)と呼ばれるもので、最もよくディベートで取り上げられるものである。事実と価値判断に基づき、「ある行動、政策がとられるべきである」とするのが政策論題である。現状の政策や制度の変革についてのある提案(Plan)をめぐって、肯定側(変革支持派)と否定側(現状維持派)が議論を闘わせる。
つまりこのディベートでは肯定側は「Aは校長訓戒にすべきである」と主張するのに対し、否定側は「Aは停学にすべきである(現状維持)」という立場をとるのである。
2.争点(Issues)について
ディベートでは重要な争点を中心に、そこからはずれず論じていく事が重要であり、この争点を見失うと何を論じているのか分からず、議論がかみ合わず、強いては試合に負けてしまうことになる。いかに重要な争点を見抜き、有効な議論を展開して行くかが試合の優劣を決定するのである。
そこでこれまでのディベートを振り返ってみて、その争点を考えてみたい。おもな争点は以下の3つが挙げられると思う。
1.Aのケースが特殊なケースに当たるかどうか。
地域の特殊性、飲酒は大人達の責任かどうか、親同士の親交、Aがすでに反省しているかどうか等、これが特殊なケースであると証明できるかどうかが争点となる。
それに加えこのディベートでは出てこなかったが、「特殊なケース」とは何か、つまり特殊なケースの定義も重要である。定義が違えば議論がかみ合わずディベートにならないので、まずお互いの定義を明確にする事が重要となってくる。
2.処罰が不均衡かどうか。
Aを停学にするのが処罰の不均衡なのか、校長訓戒の方が不均衡なのか、議論が分かれるところである。何が、どういう基準をもって不均衡というのかを、各側は明確にしていかなければならない。
3.停学と校長訓戒はどちらが有効か。
どちらの処罰が生徒を反省させる事ができるのか、また停学は生徒に対して抑止力になるのかどうかが争われる。
以上の3点が争点になっているのであるが、実は第3の争点には難しい点がある。命題は、Aのケースが特殊なので停学にすべしと言っているだけであって、現状の停学という処罰を否定しているわけではない。
つまり肯定側にとっては、停学の有効性をあまり否定すると、現状の停学の有効性まで疑う事になり、それは命題からはずれてしまうのである。これは否定側にとっても同じで、校長訓戒の有効性を否定すると現状まで否定してしまい、生徒Bも停学にしてしまう方がよい事になってしまうので、議論の展開が難しくなってしまう。
しかし否定側にとっては、他の戦術をとる事によってこれを解消できるので、立場をどこに置くかが重要となってくる(この戦術については後述する)。
3.否定側の戦術について
今回の否定側の立論はおもに否認法(Denial Negative
Case)を用いており、肯定側の論点に対する否定と、現状の支持(飲酒をしたものは停学)を中心に展開している。
そこでここでは、その他に考えられる否定側の戦術を2つ挙げてみたい。
(1)弊害(Disadvantage)
これは「現状を変えると新たな弊害が起こる」というもので、証明されればかなり強い否定側の議論になる。まず以下に今回のケースを基にその議論を挙げてみる。
弊害(Disadvantage):非行が増大する (A)肯定側は飲酒の処罰に当たって特殊なケースを認める (B)ある事情があり、生徒が反省していると言えば停学にはならない、つまり非行に対して言い訳をし、反省している態度を示せば停学にはならないことになる (C)その結果、簡単に停学にはならないのをいいことに、生徒がこれを悪用し、非行が増える (D)非行の増大は学校教育の目的からはずれ、教育そのものの意義を破壊する (E)現状では停学が抑止力となっているので停学は増えず、この弊害は肯定側に固有のものである。 |
弊害の議論を組み立てるときには、以下のような構造でこれを証明していくのが有効である。
1.肯定側の行為を述べる
肯定側の提案のどの部分が弊害を生むのかを述べる。(A)
2.弊害とのつながりを説明する(Link)
肯定側の行為がどういうプロセスで弊害を生んでいくかを説明する。(B)
3.その結果として起こる現象を示す(Result)
どういう現象が弊害として起こるのかを示す。(C)
4.インパクトを提示する(Impact)
結果として起こった弊害がなぜ悪いのかを証明する。(D)
5.固有性を指摘する(Inherent to
Affirmative Case)
現状では弊害が起きず、肯定側の提案によってのみ起きることを証明する。(E)
(2)対抗プラン(Counterplan)
これは肯定側の問題点を認めながら、肯定側の提案したプランに対する代案を示し対抗する方法である。
前述の2.争点の3番目で説明した通り、否定側はあまり校長訓戒を否定すると、現状をも否定することになるので難しいと述べたが、それならばいっそのこと飲酒したものはすべて停学、つまりBも停学にしてしまった方がよいとする議論である。
この場合否定側は肯定側の「処罰の不均衡」の議論を認め、今のままでは不均衡があるので変えなければならないとし、しかしそれは肯定側より否定側の提案の方がよりうまくいく、ということを証明していくのである。つまり結果として肯定側の提案は却下されるべきであると主張する。
そしていかに否定側の提案の方が優れているかを同時に説明し、その優位点を示していくのである。以下に今回のケースの対抗プランを挙げてみる。
対抗プラン(Counterplan) プラン:AもBも飲酒したことに変わりはないので両者ともに停学とする 1.プランは命題に合わない(Not Topical) (A)Aの飲酒を特殊なケースであるとは認めない (B)命題は、Aを校長訓戒にすべきといっているのであって、Bを停学にすべきとはいっていない (C)Aを停学にするので、校長訓戒にすべきという命題を満たさない 2.肯定側と否定側のプランは競合する(Competitive) (A)Bを同時に停学と校長訓戒にはできない(Mutually
Exclusive) (B)校長訓戒の後にさらに停学にする必要はない(Redundant) 3.否定側のプランの方が優れている(Superior) (A)飲酒をしたBもAと共に停学にするので、処罰の不均衡は生まれない (B)一口でも飲んだらいかなる事情があろうと停学になるので、停学の非行に対する抑止力が増大する (C)特殊なケースを認めないということは、例外を作らないことになるので処罰に一貫性が生まれる |
対抗プランの議論を組み立てるには以下のような構造で各論点を証明していかなければならない。
1.否定側のプランを述べる
肯定側のプランと同じように具体的に、詳しく述べなければならない。
2.プランが命題に合っていないことを証明する(Not Topical)
否定側のプランは、命題に充当しないことを述べる。つまり肯定側と同じようなプランであってはならないのである。もし否定側のプランが命題を充当するものであるならば、それは命題を肯定することになり、肯定側の勝ちとなってしまう。(1、(A)〜(C))
3.否定側プランの競合性を証明する(Competitive)
否定側のプランと肯定側のプランはお互いに競合することを述べる。もし否定側のプランが肯定側のものと競合していなければ、否定側のプランを採択すること、イコール肯定側を否定することにはならない。つまり両方のプランを同時に採択できるので、命題のプランも採択することができることとなる。命題が採択されてしまうと肯定側の勝ちになってしまうので、否定側は注意しなければならない。(2、(A)(B))
4.プランの優位性を証明する(Superior)
否定側のプランが肯定側より優れていることを述べる。プランを比べるために、採択後の利益が多い、または優れた利益を生むということを証明し、否定側のプランをとるように説得する。(3、(A)〜(C))
― 終わりに ―
最初は簡単に肯定側、否定側の反駁だけを述べて分析するつもりだったが、思いの他長くなってしまい、しかもまだ書き足りない気がする。
立論で基本的な議論を出し、その後反駁でそれを広げていき、論点を絞り込み最後のなぜその側をとらなければならないのかを述べていくのがよいディベートである。その点では肯定、否定側の立論は良くできており、反駁も作りやすかった。
しかし私自身事実関係を良く知らないので、本当にこの反駁が有効なのかは保障の限りではない。それに加え反駁に使う証拠(Evidence)を持っていないので、あまり強い反駁ではなかったかも知れない。
証拠を用いないディベートは論理に対する比重が大きく、より論理的な思考を要求されるのでかえって難しいのである。しかし実社会ではディベートを行なうときに常に証拠を持って臨めるとは限らない。たまには証拠なしにディベートしてみるのも良いかも知れない。
され今までのディベートの立論、反駁が終わったあとで、さていったいどちらの側の勝ちであろうか。ディベートを行なった後は、勝敗を決めなければならない。どなたか勝敗を決めていただけませんか?
SDI NEWSLETTER Summer Vol. 2,(1992年8月10日)に掲載