「教室ディベート」のための<論題>開発

岡山 洋一 ・ 西澤 良文

第9章 論題作成のための調査(リサーチ)

 前回は論題の深化について説明した。論題を深化させる、より良い論題を作り上げていくためには、調査(リサーチ)は不可欠である。

 論題だけをみて、それが良い論題かどうかということはなかなかわからない。ディベータブルなものかどうかは、実際に論題について調査してみなければわからない。

 そこで今回は、あるテーマを考えて、それを論題にするときにどのように調査をしていったらよいのかを、「ガン告知」の実例をあげながら説明していきたい。またこの調査の方法は、実際にディベートをするときにも共通するものである。

 

1 調査をはじめる前に考える

 ガン告知についてディベートをしてみようかと考える。現在ガン告知は、いろいろなところで取り上げられている。これはディベートになりそうだ。しかしここで単純に論題を、「ガン告知をすべきである」としてはならない。

 そもそも「ガン告知」でディベートができるのか。つまり、ディベータブルな問題かどうかをまず調べなければならない。現在問題になっているからといって、即ディベートできる問題かどうかはわからないからである。

 また、どのような状況設定を論題につけ加えるべきなのかも考えなければならない。ここから調査(リサーチ)が始まる。

 さあ調査だ、とばかりすぐ本を買ってきて読みはじめる。新聞記事を調べはじめる。このようにして調査をしてしまうと、うまくいかない。ガン告知に関する本は相当ある。情報も無数にある。

 ただやみくもに読んでいってはリサーチ地獄に陥ってしまう。ディベートをはじめたころはこうなりやすい。読めば読むほどわからなくなる。この本も読まなくてはならない。あの本も読まなくてはならない。読めば読むほど、調べれば調べるほど、逆に読まなければならない本がでてくるようだ。

 リサーチのはじめは、まず考えることである。調べることではない。本などを読む前にまず考えるのである。

 自分の知識をもとに、論点、疑問点を書きだす

 ではガン告知の論点、疑問点を考えてみよう。どの論点が肯定側か否定側かは、考えなくてもよい。ブレーン・ストーミングのように、とにかく思いつくものをどんどん書きだしてみよう。

・ガンを告知すると患者は悲観するのではないか

・ガンを告知して欲しい人はどれくらいるのだろう

・アメリカでは、ほとんどガンを告知しているらしい

・日本ではどれくらいの医者が、ガンを告知しているのか

・なぜ日本ではガン告知がおこなわれていないのだろう

 このようにまず論点、疑問点などを書きだす。これらを書きだすことによって、何が自分の知識に欠けているのか、何を調べるべきかがわかってくるのである。

 

2 論点を拾いだす

 その次はいよいよ本を読んでいく。もちろん専門的な本はいらない。なるべく入門書、簡単な解説書のようなものを選ぶ。

 論点は、次の点について、意識して拾いだしていく。

・言葉の定義

・現状、政府の政策、関係法律

・問題の原因、背景

・メリット(必要性)

・デメリット

・代替案

 これらの点は、どのような問題についてディベートするときも同じである。

 これをガン告知の問題で考えてみると次のようになる。

 まず「ガン告知」という言葉の意味である。「ガン告知」には早期ガンと末期ガンの告知がある。また「ガン告知」の中には単にガンを告知するというものと、「余命告知」があるのがわかる。

 次に「ガン告知」をとりまく現状を考えてみる。今の日本では、ガン告知はほとんどおこなわれていないことがわかった。

 なぜ今日本ではガン告知がおこなわれていないのだろうか。他の国はどうなのだろう。アメリカでは、ほとんどおこなわれていると聞く。何か理由があるはずである。調べなければならない。

 ガン告知がおこなわれていないことはわかったが、では、国はこの問題に対して何か政策をおこなっているのだろうか。どうやら特にないようである。

 では法律はどうか。法律を調べるときには関係法律だけを調べるのではなく、判例やその問題についてどのような訴訟があったのかも同時に調べる。

 次にメリットとデメリットについて考える。あまり深く考えなくてもよい。肯定側議論、否定側議論と考えても良い。どんどん列挙してみよう。ガン告知のメリットは次のようなものが考えられるであろう。

・患者が知りたがっている

・余命を知ることによって、残された人生を有意義に過ごすことができる

・病名を知ることによって適切な治療ができる

・むだな延命治療を行わなくてすむ

 デメリットはどのようなものがあるのか。

・病名を知ることによって悲観してしまう

・医者は告知したくないのに、しなければならなくなる

・患者と家族との関係

 次に考えなければならないのは、いま調べようとしている問題、テーマが、どの分野にまで及んでいるかということである。

 ガン告知の問題ならば当然、ガン告知、医師の問題、病院の体制の問題などについても調べなければならない。インフォームド・コンセントという言葉も出てくる。これについても調べなければならない。

 どの分野にまで問題が及んでいるのかを考え、リサーチの方向を決める

 かかわる分野は、できるだけ多く考える。それだけ証拠資料を探せるからだ。単に「ガン告知」だけを調べているのではいけない。ガン告知の問題は当然医療全般にかかわる問題である。看護の問題にも深くかかわっている。

 

3 調査をはじめる

 ここからいよいよ本格的な調査に入る。調べるべきものは、本、雑誌、新聞記事などである。ではまず、どのようにして本を調べるのか。

 「ガン告知」というタイトルで、そのディベートに必要なことがすべて書かれている本があれば簡単だ。しかしそのような本はまずない。関係のある分野、問題について広範にみていかなければならない。

 とにかく関係あると思うものは、すべて目をとおすというような覚悟で調べる。しかし図書館で本を借りたり、書店で本を買う場合でも、何でもかんでも借りたり買ったりしてはならない。

 図書館で借りるにしても冊数の制限がある。書店で買うにしてもお金がかかる。ではどうしたらよいか。

 買って(借りて)から読むのではなく、読んでから買う(借りる)

 その本すべてが、ガン告知に関して書いてあるとは限らない。むしろ一部に必要な情報がある場合が多い。それらをいちいち買っていては(借りていては)お金もかかる。時間もかかる。

 まず該当の部分を読んでみる。そして使えそうだと思ったらそこではじめて買う(借りる)。

 新聞記事を調べるためには、図書館に行って記事索引を調べるのがよい。

 パソコン通信で、データベースにあたるという方法もある。「ガン」というキーワードで調べると、関連する記事は無数にある。いかに絞りこんで調べるかを考えなければならない。

 この場合は「ガンコクチ(ガン告知)」、それも過去二年までで調べてみよう。通常新聞記事は速報性が高いので、調べるときにはよほど特殊な場合を除いて、過去二年程度で十分である。

 雑誌記事を調べる場合も同様に、図書館で記事索引を調べるのがよい。記事索引には、「国立国会図書館雑誌目録」や「JOINT」などがある。どちらも分野別になっており、それらを見て目的の雑誌を探す。

 しかし目録に載っていても、行った図書館にない場合も多い。その時は図書館に相談してみる。別の近くの図書館にあるかもしれないので、それを調べてもらう。どうしても近くにない場合には取り寄せてもらうことができる。その図書館を通して、大抵のものはコピーを手に入れることができる。

 

4 本、雑誌、新聞記事の特徴

 本、雑誌、新聞記事には、それぞれ情報源として特徴がある。それらの特徴をよく考え、調査に役立てていただきたい。

 本には包括的に問題点を書いてあるものが多い。その問題についての解説書的なものである。もちろん専門書はこの限りではないが、だいたい現状の問題点、どのようにするとよいのかなどについて書いてある。

 一般書というのは、肯定側の議論を書いているものがほとんどである。現状を肯定しているものは少ない。否定側の議論を調べたいのであれば、政府の刊行物(白書、調査資料、解説書など)を見るとよい。

 雑誌はその点、どちらかというと専門的である。包括的ではないが、一部分だけを捕らえて詳しく書いてある。また筆者の意見も、どちらかというと前面に押し出している場合が多い。特集記事などもある。専門雑誌もあるのでよく調べたほうがよい。

 新聞記事はその点少し違う。即報性が強く、やはりニュースを伝えることを主体に置いているので、解説的なものは少ない。しかしときどき、ある問題についての特集をしていることもある。「ガン告知特集」などがそれである。これはぜひ捜して読んでおくとよい。

 また新聞社はよくアンケート調査を行っている。アンケート調査は注意深く見る方がよい。証拠資料として使えるかどうかは別としても、世論を知ることはできる。「ガン告知」についてのアンケートがおこなわれているかどうかを調べるとよいだろう。

 これ以降の詳しい調査の結果はここでは述べないが、このように調査をおこなっていくと論点がわかってくるであろう。ここではじめて論題を考えるのである。

 調査の結果、ガン告知をするためには、なんらかの法的義務がともなわなければならないことがわかった。そこで論題は、「日本は医師にガン告知を義務づけるべきである」とする。

 以上のように、論題を決める前の事前の調査は重要である。本当にディベートできる問題なのか、どのような状況設定を論題の中でおこなったらよいかを考えるためにも、調査は徹底しておこなわなければならない。

 

第10章 ディベートにおける論題の位置づけ

 授業ディベートの論題開発という連載をとおして、今まで論題をめぐるテーマについて紹介してきた。それを実際のディベートの流れとともに整理してみよう。

 

1 実社会の現象

 論題に先立ってまずは実社会の現象がある。様々な事柄が世の中でおきているのである。これを事実という。しかし「事実」は、それを見る人によってとらえ方が違う。

 同じ事件を扱っていても、新聞社によって全く違ったことを書いている場合もある。 新聞や本にのっていることが、そのまま事実ではないということは、ディベートを通じてではなくとも知ることができる。

 つまり世の中でおきている事柄を知るには、どうしても他人の目を通じることになるのである。人の考え方にしても知ることは難しい。

 アンケートであっても、標本母体の選び方、母体の大きさ、アンケートの質問の仕方、その質問の順序などによって回答として表れる結果が違ってくる。

 ディベートで、証拠、データを集める、またはリサーチをするといっているのは、このように他人の目を通じて、他人の意見を知るということである。

 こう考えると、ディベートで得ることができる批判的思考というのも、いくらか楽になる。ようするに他人の考えなどに絶対的なものなどないのだから。

 ディベートをやっていくなかで、決定打となる証拠、データなどはあるものではない。どんなものにも欠陥がある。ものの見方にしても、すくなくとも賛否の2つは考えられるのである。データや証拠を盲信してはならない。

 

2 題材をきめる

 世の中の事柄のなかから、問題となることがらを取り上げる。論題作成者が、どのような題材を取り上げるかが重要である。

 本連載5月号と6月号では、「ディベータブルな論題」を選ぶ着眼点として、「ディベートするべき題材であるか」また、「ディベートできる題材であるか」の二点をあげた。

 論題作成者がとりあげる題材によって、ディベートを体験する学習者の問題意識が影響される。たとえば、学校で生徒たちにディベートの論題を選ばせる場合には、どうしても身近な興味のもてる論題が望ましいということになる。

 しかし一方では、あまりにも実生活に密着した題材だと、授業だけでは収拾がつかなくなり、生徒たちの意識の奥にまで入り込んでしまうだろう。とくに議論になれていないうちは、強制的に肯定側、否定側にわけることや、審判が判定を下すことなど、特異なディベートの議論形式を理解する余裕などないだろうから、慎重になる必要がある。

 

3 論題を作り上げる

 次にディベートにふさわしい題材を、どのようなかたちで表現するとよいかという問題にぶつかる。

 「論題の条件」では、次の三つをさらに紹介した。

・中心課題が一つであること

・公平な表現であること

・肯定側の決議に的確な表現であること

 である。

 つまり学習者がディベートしやすいように論題の表現を整えていくのである。

 それではどのような論題の表現が、ディベートしやすいのであろうか?

 ディベートをする立場になって考えなくてはならない。

 ディベートを行う場合に必要な準備方法については、本連載の7月号でシステム解析図を紹介した。企業では品質管理(QC)活動の分析手法のひとつとして、「要因分析図」が紹介されているが、それでもよい。学校の先生方にとっても、QC管理についての本は興味深いであろう。数多く出版されているので、書店で是非手にとってみられることをお勧めする。

 問題分析から具体的な解決方法までのステップを、一気に簡略化したものを次のように載せた。もう一度振り返ってみよう。

(1)現状の問題の把握

(2)原因分析、責任追及

(3)解決案の策定

(4)効果の確認(波及効果と反動の予想)

(5)再度(2)と(3)へもどり、効果的な原因つぶしと実施すべき主体(責任者)を考える

 また言葉選び(ワーディング)の具体例を8月号でとりあげた。

 そのなかでも、政策論題によくつかわれる「すべき」という言葉が、ディベートの中でどのような意味をもつかについては、その詳しい説明を9月号でおこなった。

 具体的には、次のようなものであった。

(1)政策の必要性(行動を起こす必要性)

(2)政策の有効性(行動を起こすと判断された場合に実行できる保証)

 これらは政策論題に固有のものであるが、ディベートの本の中で、議論の進め方として(1)と(2)について書いてある場合は、すべて政策論題の「すべき」という言葉からきているのだということを知って頂きたかった。

 

4 一人歩きする論題

 残念ながら、論題作成者の意図とは別に、その論題でディベートを行う側の論題解釈というものがある。

 10月号で紹介したトピカリティーである。

 論題解釈を、否定側肯定側がどのように、ディベートのなかで行うかについてである。具体的には、「非論題性議論」と「論題外性議論」について述べたが、簡単にいえば次のようになる。

 肯定側のプランが都合のいいことばかり盛り込んである場合には、否定側は論題外性議論を出せばよい。

 発想のヒントとしては、つぎのようなものがわかりやすい。

 「もともと肯定側と否定側の両方にたいして公平になるように、バランス良く作られた論題であるはずだ。ところが、論題外の事柄を盛り込む肯定側プランは不当に否定側立場を不利にしている。論題からはみ出た部分は判定の際の考慮に入れるべきではない。」

 このような発想で、難しそうだった論題外性議論も考えやすくなる。また、肯定側の論題解釈はその逆もある。縮小解釈である。非常に稀な、例外的な、または論題の語句の示すところのごく一部分をとりあげてプランとした場合は、否定側はどうすればよいのか?

 その場合肯定側のプランは非常にごもっともだが、一体そのプランと論題そのものの関係はどうなっているのか? という問いかけが必要である。これは理論的にも難しいところではあるが、次のような例が分かりやすいだろう。

 論題:日本は医師にすべてのガン患者に対するガン告知を義務化すべきである、において肯定側の、患者が強く望んだ場合にだけ告知をすること、というプランを想定してみる。この場合、プランそのものはうなずけるが、論題を肯定しているといえるだろうか?

 このような場合も、10月号で紹介した「非論題的なプラン」の一例といえる。

 そして、論題作成者として大切なことは、論題の表現の仕方によって、ある発想は肯定側のプランとしては排除されるわけであるから、あらかじめ熟慮したうえで論題の表現を決定することである。

 否定側が非論題性議論を行う際に、よりどころとなる基準について次の三つを紹介した。

・論題の統語論的解釈と肯定側のプランはあっているか?

・論題の意味論的解釈と肯定側のプランはあっているか?

・論題の語用論的解釈と肯定側のプランはあっているか?

 これらの観点で、論題作成者はあらかじめ論題の仕上げをおこなうべきである。

 

5 実際のディベートがはじまる

 ディベートは型か? という問題がある。ディベートには議論の型があるが、それはあくまでも型にすぎず、実態ではない。型は基本をおぼえるための、道具でしかすぎない。その意味では、最終的にはディベートという型からも抜け出して、自由に自分の立場で討論ができることを教育にたずさわっている方々はみな思っているはずである。

 たしかに議論の型を示すディベートの書物は多い。しかしその型を示す書物のみをみて実践したり判断したりすると、おおよそ実際と違うものを想像したり、別物になってしまう危険がある。

 あるヨーロッパ人が相撲のルールだけを読んだとしたら、たかだか数メートルの輪の中から相手を押し出す競技など、なんと不自由でつまらぬものと判断するだろう。または非常に簡単なものだと思うかもしれない。

 論題は予想される議論に一定の方向性を与える。しかしどんなよい論題を開発しても、実践のレベルでそのように議論に幅と深みを与えるか(指導するか)は、また別問題といえる。型にはまった争点もそれはそれでよいのだが、それだけがディベートではないのである。論題によって議論の幅がでてこない場合も、それは論題の構造的な欠陥からくる場合もあるが、型にはまり過ぎた(または型を全く無視した)指導を行っていることが原因であることも考えられる。

 連載の11月号では、実際の論題「えんぴつがよいか、シャープペンがよいか」を例に、議論の展開例を示した。紙幅が少なく十分ではなかったが、議論の展開例は例が豊富にあるので、別の機会があればまた紹介したい。

 

最後に

 いままでの連載で不十分だった項目の一つに、ディベートの審査判定のしかたがある。論題についての連載であるからその点は仕方がないのであるが、具体的な議論の展開例とあわせて、何かの機会に我々の研究の成果をお伝えしたいものである。

 最近明治図書から出版された本で、「教室ディベートのよい論題 わるい論題(「授業研究21」1995年10月号臨時増刊 No.437)」がある。

 中でも、はじめに登場する二氏の論は、興味深く読ませて頂いた。群馬大学教育学部教授高橋俊三氏の「人間関係を配慮した論題」は、まさに論題の条件であげた、「ディベートするにふさわし題材」をかみくだいて表現しておられる。

 米子北斗中高校教諭岡本明人氏は、「比較価値論題・価値論題ではディベートは出来ないのか」という題で、政策論題よりも、実際に授業で使いやすい価値論題開発の重要性を述べておられる。

 価値論題の開発と議論の展開例については、1996年から本格的に研究をすべきであろう。

 われわれがテクニカルアドバイザーとして関わっている団体の一つが、1996年8月1日〜3日と全国中学・高校ディベート甲子園を開催する。全国の30校以上の中学・高校生の参加となる一大イベントである。これもやはり政策論題中心のディベートである。

 岡本氏の指摘する、授業で使える、とくに国語の授業で本領を発揮する価値論題が、あとまわしになっている感は否めない。残念ながら本連載でもあまり触れられなかった。触れたのは12月号の「論題の深化とワーディング」の稿くらいであろう。

 今後は論題研究の方向を、政策論題から価値論題へと変えていく。とくに国語の教材を使ったディベートについては、国語科の先生方と意見交換しながら研究をすすめつつある。また、パネルディスカッションやその他の討論の方法についても紹介したい。

 先日、千葉大学教授宇佐美寛氏とお会いする機会に恵まれた。氏の「様々な討論の形態の中で、ディベートの位置づけは如何に」という問いにも答えるつもりである。

 

本稿は「現代教育科学」(明治図書)1996年1月号、2月号に掲載されたものです。