ディベート甲子園への道

北海道工業大学 講師 佐々木 智之

 私が中学校教員をしていた平成13年に、北海道教育大学附属札幌中学校のコミュニケーション部員は全国4位を獲得しました。北海道からの参加中学校としては初のビックサイトのステージを経験しました。それが生徒にとっても私にとっても生涯忘れることのできない特別な夏となったのです。そのころの生徒と自分がしてきたことをふりかえります。

1.チームづくり

 チームを作る上で大切なのは、やはり強力なリーダーの存在です。

 その年のチームに3年生は1人でした。その前の年は2年生が4人いましたが、進級と同時に勉強のことなどを理由に3名が抜けたのです。これは、残った1人にとって心細く辛いことだったに違いありません。しかしそのことによって唯一の3年生が強力なリーダーシップを発揮して、他の生徒が求心力を受け、チームが結束することとなりました。指導者の自分は、チームのあり方からディベートの議論の内容に至るまでのさまざまなことについてその3年生と意思の疎通を図りました。それがすなわちチーム全体とコミュニケーションをとることと同じになったのです。

2.校風と活動体制

 これは附属札幌中学校に限ったことではないでしょうが、ディベートをしている生徒は忙しいです。本当に時間のない中での活動でした。札幌市全域から通学してくるため最終下校時間は5時です。平日の部活動は月曜日の放課後のみで、土日はそれぞれの生徒が塾や習い事があり全員が揃うことはまれです。学年が上がるほどディベート以外のことをたくさん抱えています。にもかかわらず生徒たちは、常に限られた時間の中でより大きな成果をあげることを求められ、それに答えようと努力します。良い意味での圧力をかけられることによって、集中力や的確な判断力を総動員してより質の高いものを追求していました。もし、そういう校風にさからって、無理に時間をつくってやりたいだけディベートをやっていたら、その無理がいろいろな無駄を生み、逆にいい活動はできなかったと思います。ディベート甲子園は学校を母体として参加するのですから、その学校の自然な流れに則っていくことが大切だと思います。

3.活動内容の1例

 議論を共有化するために、模造紙を使いました。ある時はリンクマップを描き、またある時はわからないことを羅列し、またある時は地区予選までの日程を書く。これは、前年度までの反省に基づいています。メンバーどうしが集まって試合の準備をしたのに実際の試合になったらばらばらだったということがありました。それは今思うと、口頭でいろいろと議論をしている時間があっても、チームとして確かな共通理解が図られなかったからなのです。同じことばを使っていても、それぞれの頭の中に描かれている絵が違っていたのです。

 1枚の模造紙をみんなで囲み、話し合い中に何か接点が生まれるごとに文字化していきます。それぞれが独自に読んだ文献の知識が有効に活用されたり、新しい発想が生まれたりしてみんなで何かを作り上げていることが実感できます。ものを考えるときはノートの切れ端のような小さい紙ではなく、模造紙のような大きな紙を使という「思いきり」が大切なのかもしれません。

4.いろいろな人にかかわる

 その年は、苦しいときほどいろいろな人にかかわっていきました。それが前年度との大きな違いです。それまでは、自分一人でリサーチからチーム管理まで何でもやろうとして結局小さな範囲しか手をつけられませんでした。どんどん小さくなっていく自分が現状を打破するには何かを開くことが必要だったのです。

 まず、北海道支部のHPにアクセスして副支部長の岡山洋一さんにメールを出しました。

(今だから言えますが、それまでディベート甲子園のジャッジをしている方に対して近寄りがたい印象をもっていました。)早速、5月中旬の活動日に来校していただき、2時間半ほど生徒に話してもらいました。「今年の論題を書いてみてください。論題には種も仕掛けもあるんです。」ということばから始まって、「関東には同じ学校の中で練習試合をしたり、リサーチだけの部門をつくっているような学校もあります。」といった「遠い世界」の話にまで至りました。それまでの何十回分にも相当する密度の濃い活動でした。

 次に、関わりを求めたのは同僚です。運動系の部活で全国大会出場を何度も経験している先生に、自分が指導に行き詰まっていることをさらけだしました。今でもその先生からいただいたいろいろな名言が浮かんできます。「練習試合は負けていい。それは負けたチームほど得るものが大きいからです。」「ただし、負けた試合のデータをもとに相手チームを徹底的に研究するのです。」ディベート以外の生活にもこれらのことばが生きています。

 そして、最後に保護者の方々です。活動日に生徒と一緒に参加し議論の内容にアイデアをくださったお父さんがいました。また、全国大会では2名のお母さんが自費で同行され、炎天下の中を全員分のお弁当を買いに走ったり、幕張からビックサイトへの交通機関を調べたりと、とにかく裏方に徹して、生徒と私が試合の準備に専念できる万全の体制を整えてくださったのでした。

5.最後に

 ディベートで勝つための戦術や戦略については常に冷静でありつつ、勝ちたいという思いはどこまでも熱くというのがその年のメンバーから学んだことの一つです。

 たった一人の3年生兎澤くみ子さんが、全国大会に旅立つ前日、札幌での最後の活動日に模造紙に書いた目標は「ビックサイトは試合をするために行く。」でした。そして、目標をいわゆるお題目にせず、みごと現実のものとして達成したのです。そんな彼女が卒業後の送別会で下級生に残した強力なメッセージは「願えばかなう」でした。その思いを私も信じています。

 ディベートで勝つための要素はいろいろあります。地域単位であれ、学校単位であれ、ディベートにかかわっている者同士が、お互いに共鳴し合い、信じきることとができたらいいですね。

本稿は『トライアングル』第42号に掲載されたものです。