マッコウクジラの英語名称sperm whaleについての一考察

岡山 洋一

はじめに

 ディベートに関わって10数年経過し、ディベートが縁で公私ともに親しくしている、東京の西澤良文氏(1) より連絡が来た。JBDFのサマー・キャンプ(2) でクジラ問題についてディベートを行い、その試合結果を語った後、マッコウクジラ(抹香鯨)の語源についての疑問が残ったと何気なく私に言ったことから、それならばその謎を解いてみようと思い立った。私は決して水産学や生物学を専門にした者ではないが、ディベートで培ったリサーチ方法、論理の組立を駆使し、この謎に迫ってみようと思う。

 調査の途中経過でマッコウクジラの名称の由来には諸説あることがわかり、どの説が確からしいかを考察していく内に、和名が抹香鯨であるのに対し、なぜ英語名称がsperm whaleなのかという疑問につきあたった。そこでこの小稿では、名称の由来とともに、その命名の文化的背景についても考察したい。

 

第1章 名称と命名の由来

A)和名抹香(まっこう)鯨の命名の由来

 マッコウクジラの和名、抹香鯨の命名は抹香からきたもので、抹香とはモクレン科のシキミの葉を粉にして作った香のことである。マッコウクジラの腸から採れる龍涎香(りゅうぜんこう)を乾燥させて、その粉をほんのひとつまみ火にくべると、この抹香に近い香気がただようことから抹香鯨となった(3)。この命名の由来については筆者の知る限りこれ以外の説はなく、これを以て命名の由来の定説として間違いはないであろう。

B)英名sperm whaleの命名の由来

 ではマッコウクジラの英名sperm(精液)whaleとは、どのような由来によるものであろうか。この命名については、以下の3種類の説が見受けられる。

1.生態によるもの

 マッコウクジラは鯨類唯一のハレムを持つものであり、それ故にエネルギッシュで、雄の放出するスペルマから由来しているというもの(4)。

2.類似によるもの

 マッコウクジラの脳油が精液に似ているため、このように命名されたというもの(5)。

3.誤認によるもの

 精液に似ている脳油を、鯨の精液そのものと誤認していたというもの(6)。

 2と3は似てはいるが、脳油が精液に似ているということと、精液そのものとの誤認、という点だけが違う。同じ由来としてもいいようなものだが、実はこの違いは大きいのである。

 では次にこの三つの説の内、どれが正しいか、または確からしいのかを以下で検証してみたい。

C)由来の検証

 まず1の説から検証してみたい。確かにマッコウクジラは鯨類では唯一ハレムを持つものであり、それ故にエネルギッシュであることは間違いない。しかし、雄の放出するスペルマから由来しているということには疑問がある。

 鯨は哺乳類に属する以上、魚類のようにスペルマを放出するとは考えられない。また鯨は哺乳動物である以上、交尾もするだろうし、分娩、授乳もあるはずだが、それらが一体どうなっているかは、残念ながらまだよく分かっていないのである。特に鯨の交尾がみられたという文献は今までない。また暖水冷水を問わず、鯨の多い海域を探し求めて、鯨と直接関わりをもった人々の話にもでてこないし、一度もこういう現場を目撃したことはないということである(7)。鯨の交尾の様子が判明していないということや、筆者の調べた限りこれが滝谷節雄氏の著作にしかみられないことなどからも、この説は疑わしいといえる。

 次に2の説、マッコウクジラの脳油が精液に似ているために、このような名前がつけられたというもの。捕獲したマッコウ鯨の頭部を解剖し、脳油袋を取り出してこれを破ると、白くて濃い脳油があふれ出す。脳油の凝固点は摂氏29度で、体温摂氏33.5度では液状になっているが、摂氏29度以下ではロウ状に固まる。この脳油がかつてはロウソクの原料や灯油に使われたのである(8)。確かにマッコウクジラの脳油は精液に似ているといえる。この点には異論がないので、この説は一応考慮にいれて良いであろう。

 最後の3の説はおもしろい。精液に似ている脳油を、鯨の精液そのものと誤認していたというものである。これも疑問の余地がないのではないか。脳油が精液に似ていることから、昔は精液そのものと思っていたために、このような命名になったという説には、うなずけるものがある。

 以上みてきたように、1の説は間違いであると分かったが、それでは2、3のそれぞれの説のどちらが正しいのであろうか、また両方とも正しいのか、次に考えてみたい。

 

D)由来の確定

 クジラを動物として科学的に扱ったのは古代ギリシャ人が最初で、それは哲学者アリストテレス(紀元前384年〜322年)によるものである。余談になるが、彼の動物志上巻の訳本をみると、抹香鯨という語がでているが、原語はκητη(φαλλαινα)で、これは単にクジラ、または巨大で貧食な怪物(9)という意味であり、抹香鯨という訳は適切でないと思われる。アリストテレスの動物志には誤りも少なくないが、最初のものであると同時に、クジラに関する最も正確な記録として、その後約2000年以上も存在し続けた。そしてクジラについての生物学的研究は、それ以降18世紀までこれといった進展がなかった。しかしその中でも、1693年、イギリスの伝道師で博物学者であり、リンネの先輩にあたる現代最初の分類学者ジョン・レイが、クジラは魚ではなく哺乳類であることを発見したことは、特筆に値する(10)。

 マッコウクジラは古代イギリスではトラブマ鯨、ビスタ鯨または鉄砧(かなしき)鯨と名指されており、これは今日のフランス語ではカシャロ、ドイツ語ではボツフィヒであり(11)、学名はマクロセフォルラス(Physeter macrocephalus)である。ではなぜ英語名ではsperm whaleになったのであろうか。この英語名称は18世紀になってから一般化したものであり(12)、それまでは上のような名称を用いていたのである。この語が成立した18世紀では、まだクジラは未知のものであり、その生態は杳として知られていなかった。そのことから考えてみると、マッコウクジラの脳油が精液、体液と考えられていたというのは不思議なことではない。私はこれらの事実からみても、メルヴィルやブリタニカの説、つまり私の分類でいうところの3、精液に似ている脳油を、鯨の精液そのものと誤認していたという説が正しいのではないかと思う。

 2の説、単に脳油が精液に似ていたからというものは、現代人の感覚からみるとそのようであるが、これは西洋でマッコウクジラが未知のものであったという事実を考慮にいれてなく、おそらくこれはあまり西洋の文献を調べなかった研究者の、単純な思い込みによるものではないかと考えられる。このことは、筆者が調べた日本語の文献すべてがこの説をとっており、また西洋の文献には(筆者の知る限り)出てこないことからもいえるのではないか。ゆえにマッコウクジラの英語名sperm whaleの命名の由来は、精液に似ている脳油を、精液そのものと誤認していたというのが正しい説であると考えて良いだろう。

 

第2章 由来の文化的背景

A)日本人とクジラ

 まず由来の文化的背景を考察する前に、ここで日本人とクジラとの関わりを若干述べてみたい。北海道函館にある紀元前2500年くらいの縄文時代中期の遺跡から、シャチを型どった土製品が見つかっている。アイヌ文化にはシャチを、浜にクジラをもたらす沖の神としてみる傾向があり、この土製品はお守りとか祈願の道具として使われたものではないかといわれている。縄文時代後期の東北以北の貝塚からは、大型や小型のクジラの骨がたくさん見つかっている。また南日本では、大阪にある弥生時代の遺跡からクジラの骨が、長崎県域の壱岐からはクジラ漁を描いた壁画が見つかっている。このようなことから、古代日本でもクジラ漁が行われ、その骨や肉が利用されていたらしいことが分かる(13)。

 また文献にも、わが国では盛んにクジラを捕っていたことが記されている。例えば樵明帝の時には大伴(おおとも)の鯨連(くじらのむらじ)という者がいたし(14)、 柿本人磨の石見(いわみ)の国より上(たてまつ)る歌や、讃岐の狹岑嶋(さみねのしま)の歌にも、同じく「勇魚(いさな)取る」と詠じられている(15)。 江戸時代になると、クジラ漁は各浦で盛んに行われるようになり、鯨一頭で七浦にぎわうといわれ、本朝食鑑にも次のように書かれている。

「俚諺にいわゆる一浦、一鯨をうれば、すなわち、七郷の賑わいと。或いはいう、一歳のうち一鯨をうるときはすなわち捕鯨の費用をつぐない、一歳のち二鯨をうるときは、すなわち捕鯨の聚給に足り、一歳のうち三鯨をうるときは、すなわち多きを加うるの利をえて、余積巨万、あげて数うべからず、実に本朝漁家の巨富なり。」(16)

 このように日本では古来からクジラ漁が行われており、日本人とクジラとの深い関わりや、捕鯨が日本古来の文化であるということが分かる。

B)西洋人とクジラ

 西洋人がいつ頃から鯨の存在を知っていたかという問題は、正確な答を得ることは難しいが、人間と鯨の関わりは古くからあり、その歴史ははるか紀元前2200年くらいの先史時代にまでさかのぼることができる。鯨に関しての最も古い記録は、ノルウェーの洞窟の壁に残されている壁画である。そこにはボートに乗った人が、二頭のクジラと一頭のアザラシを追う様が描かれている。古代地中海文明では、クジラは狩猟対象ではなく、海にすむ優雅な動物、あるいは海の神ポセイドンの使いとして親しみをもって扱われていたようである(17)。

 18世紀になって灯油やロウソクの需要が増すにつれて、マッコウクジラの脳油が理想的であったため、ニューイングランドの捕鯨者たちは次第にその注意をこのクジラに転じた。1712年遠洋捕鯨が開始され、フランス人、イギリス人及びポルトガル人がまもなくこれに加わり、18世紀の終わりには数百艘の船が獲物を求めて、北極海を尋ね廻っていた(18)。

C)Sperm whaleと抹香鯨

 クジラのネーミング、なかでもザトウ、セミ、マッコウなどについては日本語の奥ゆかしさが光っている。しかし、ザトウを「せむし」、セミを「獲るのに最適なもの」、マッコウを「精液」と呼ぶ感覚は、日本人には理解できない。その違いは何を意味するのであろうか。これは上記のA)B)で述べたように、日本では鯨がその生活に深く関わっていたのに対し、西洋特に欧米では、単に灯油やロウソクの原料としてしか見ていなかったことを表している。欧米人がクジラを単に、”油のタンク”と見ていたのに対して、日本人は”海の幸”と見ていたことによって、マッコウクジラを日本人は抹香鯨と命名し、欧米人はsperm whaleと命名したのである。

おわりに

 マッコウクジラの和名である”抹香鯨”は龍涎香から、英名のsperm whaleはその脳油が精液に似ていることから命名されたことが分かった。そしてその命名はそれぞれの文化的背景に根ざしており、欧米人は単にマッコウクジラを”油のタンク”としてしか見ていなかったことが、この鯨にsperm whaleと名付ける要因となったことも分かった。

 初めはただsperm whaleの由来について 調べることのみを考えていたが、いざ調べ始めると簡単にはいかないとが分かり、ついには捕鯨史や文化にまで深入りすることになってしまった。しかし鯨の命名の由来ひとつとっても、その中には人々のものの考え方、文化が深く関わっていることに、あらためて気付かされた。

 最後にC.W. ニコルの勇魚(いさな)から、日本人とアメリカ人がマッコウクジラの呼び名について意志の疎通を図ろうとしているところを引用して、この稿の終わりとしたい。

 岩太郎が鯨をゆびさした。

 「く・じ・ら」と彼はいった。「ま・つ・こ・う・く・じ・ら」

 トーヴィーがのみ込んだ。彼は英語でこたえた。

 「スパーム・ホエール」

 岩太郎は最初の単語でつかえた。オハラの耳には日本語が、<マッカレル>のように聞こえた。

 「こんなでかい、鯖(マッカレル)がいてたまるかい」オハラは首をふりながらいった。

 「スパーム」トーヴィがゆっくりくりかえした。

 「すー・・・・・・ぱー・・・・・・むー」岩太郎がまねた。

 「そう、スパーム(原義は「精液」)だ。ポルトガルの手押しドリルだよ、マスかきだよ。」トーヴィは笑いながら卑猥な仕種をして見せてから、鯨の頭部をゆびさした。

 太地の男たちはきょとんとしていたが、甚助が急に噴きだした。

 「わかった、わかった!こいつらはマッコウを呼ぶのに、淫水いう言葉を使(つこ)とるんじゃ。ほら、頭油を汲みだすと、ちょうどあれみたいに白うなって出てくるやろ。

 みんなわからんか。冗談や、冗談。鯨取りの冗談」

 やっとほかの男たちも、まるでそれ以上おかしい話を聞いたことがないみたいに、腹をかかえて笑いだした。トーヴィがオハラに目をやると、オハラは白い歯を見せて肩をすくめた。「なるほど、考えてみりゃおかしな名前だな」(19)

(1) JBDFの会員でもある

(2) JBDF SUMMER CAMP '93、1993年9月4日(土)〜5日(日)、於:箱根町強羅静雲荘

(3) 大村秀雄監修・梅崎義人著 『日本人のクジラ学』 講談社、昭63、50ページ参照

(4) 滝谷節雄著 『いま、鯨への賛歌』 シーズ、昭61、80ページ参照

(5) 大村秀雄監修・梅崎義人著、上掲書50ページ

大隈清治著 『鯨は昔陸を歩いていた』  PHP研究所、昭63、30ページ参照

(6) The New Encyclopedia Britanica, Vol 2, 1990, p. 89, "Spermaceti was so named from the Latin sperma, 'sperm,' and cetus, 'whale,' in the belief that it was the coagulated semen of the whale."

 ハーマン=メルヴィル・阿部知二訳 『白鯨』 河出書房、平1、94ー95ページ参照

(7) 田中省吾著 『鯨物語』 柴田書房、昭62、112ー113ページ参照

(8) 大村秀雄監修・梅崎義人著、上掲書46ページ参照

(9) 古川清風編著 『ギリシャ語辞典』 大学書林、平1、1115ページ参照

(10) ヘルベルト=ヴェルモント・小原秀雄・羽田節子・大羽更明訳 『世界動物発見史』  平凡社、昭63、120ー121ページ参照

(11) ハーマン=メルヴィル、上掲書94ページ参照

(12) The Oxford English Dictionary, 2nd Edi., Vol. 16, 1989, p. 200

(13) 大隈清治著、上掲書216ー217ページ参照

(14) 『日本書紀』 巻二十三

(15) 『万葉集』 巻二

(16) 人見必大・島田勇雄訳注 『本朝食鑑4』 平凡社、昭55、173ページ

(17) 大隈清治著、上掲書215ページ参照

(18) シュライパー・ハリソン補遺・細川宏・神谷敏郎訳 『鯨』 東京大学出版会、 昭40、19ページ参照

(19) C.W.ニコル・村上博基訳 『勇魚(いさな)』文藝春秋、平4、86ー87ページ

 

 本稿はJBDF(日本社会人ディベート連盟)のニューズレターに掲載されたものを、一部加筆訂正したものです。