ディベート甲子園が南幌中学校に与えた多大なる効果

北海道南幌町立南幌中学校教諭
田村 和幸

 1年生の国語の授業で、甲子園の決勝ビデオを見て、質疑の「結構です」という言葉を真似て、ケタケタ笑っていた子供達である。この生徒たちが4、5回大会の出場を通して、ディベートを学び、ディベートによって成長した。
 メンバーは三戸部達君、越裕太君、大栗竜治君、宮崎雄太君、川村ゆかさん。全員が野球部、排部や蹴球の主力選手である。そんな彼らが長期休業中の講習会や朝練に参加し、部活との両立をはかりながら、その力を培ってきた。
 第5回大会の結果は予選リーグ敗退であったが得たものは多い。協力、応援して下さった南幌地教委、父母、本校職員、そして連盟のみなさんに感謝の気持ちを込めて、子供達の成長を述べたい。

1 ディベートに対する情熱
 第4回大会に向けて、「東京に行きたい」と集まってきた仲間であった。北海道の子供達にとって、友人達と東京旅行ができるなんて夢のような話である。そして、4回大会での予選リーグ突破が、「僕達もやれるかもしれない」という意欲につながった。それだけ全国大会の雰囲気は子供達の気持ちを感動させる。第5回大会に向けては、「東京で勝ちたい」に変わっていった。
 今回の全国大会への抱負を川村さんは「レベルの高いディベートをしたい」と語り、宮崎君は「絶対ビックサイトでディベートをする」と決意した。また、三戸部君は「優勝して、東京に行かせてくれる両親に恩返ししたい」と感謝の気持ちと共に東京での頑張りを誓った。
 第5回大会に向けての気持ちの高まりや情熱は今までにはないものであった。

2 ディベート技術の向上
 ディベート技術の向上は彼らの準備段階の自主性に現われていた。
 肯定第1反駁を担当した宮崎君は「『誤判』に対して『再審の有効性』で反駁されたら、Aの資料を出すよ。Aの資料を読むのに35秒かかるから・・・・」とストップウオッチを片手に自分の反駁を組み立てる。
 第2反駁を担当にした三戸部君と大栗君は再反駁、MとDの比較、まとめと議論を予想し、計画を練る。誰もが主体的である。
 川村さんは「私がしっかり反駁しないと後が続かない」と自分の仕事の責任と自覚を持つ。
 資料のリサーチも「再犯率が高いという資料があればいいね」、「それは犯罪白書を見たら」と目的と方法を明確にして調べることができるようになった。
 話し方も工夫し、抑揚や間を考えた。スピーチ中はジャッジを見て話せるようにもなった。そして、「頷いて聞いてくれたから、勝てると思ったよ」と三戸部君が充実に満ちた笑顔を見せる。
 昨年まで用意された資料や議論を覚え、それを読むという段階から、今年はディベートそのものを理解し、どうすれば論破できるのか、勝てるのか、仲間相互の力で、自分たちの力で、ディベートを組み立てていった。

3 全国大会の風に吹かれて、視野が広がる
 2回に渡って全国の風に吹かれ、今回は積極的に全国の仲間と交流できたようである。「光が丘だよ、挨拶してこうようよ」とか、「川崎は来てないね」と、昨年対戦した仲間と1年ぶりの挨拶をしたり、他の地域の情報をもらったり、記念撮影をしたりと。
 北海道に帰ってからも授業の中で、「小倉」と出てくると、「対戦したね」と話している。ディベート甲子園は日本の端の町立中学校の生徒にとって、全国レベルで物事を考え、全国の中学生と交流し、視野を広げるすばらしいチャンスである。
 特に今回の大会で全国のレベルというものを痛感した。第2反駁のスピーチのやり方やまとめ方は昨年と随分変わっていた。また、「DNA鑑定の有効性」など初めて聞く議論もあった。
 「八王子に惨敗、東海に食らい付いた」と普通に、日常的に全国を語るようになった。そして、全国を相手に健闘した彼らはさらに逞しさが増した。

4 理解が広がり、多くの協力を得た
 第4回大会や北海道大会での優勝が実績となり、ディベートに対する理解が広がり、より多くのみなさんがチームを支えてくれた。
 学校は練習時間に対して柔軟に対応してくれ、夜遅くなる練習にも理解をしてくれた。地域教育委員会は全国大会参加に関わる経費を大いに援助してくれた。父母は夏の熱い時間の練習を気に留め、冷房の入った会館を用意してくれた。そして、「何でも協力するから」と言って頂いた。さらには全国大会へ2つの家族が応援に来てくれた。
 このような多くの方々の支援に感謝したい。
 また、先日8月26日にはPTA大会で、約200名の参加者を前に、ディベートを公開した。
 子供達の頑張りによって、ディベートのこれからの可能性や有効性を多くの人たちが認めつつある。

5 ディベートによって「生きる力」がついた
 ディベートの技術の向上はもちろんだが、ディベートによって多くの「生きる力」を身についた。
 越君は「話す時、緊張しなくなった」と言う。川村さんは「物事を理解するのが速くなった」と述べ、三戸部君は「話し方のコツがわかったし、相手の話をよく聞くようになった」と語る。その他、「ノートをとるのが速くなった」、「調べる力がついた」と具体的に自らの成長を語る。また、本校は昨年度から総合的な学習の時間に取り組んでいるが、その中で行われる集会等での彼らのスピーチ力は際立っている。
 大栗君はディベート甲子園を次のように作文に書いている。

 8月4日、私は北海道南幌中学校の一員として、ビックサイトを夢見ながら東京へと出発した。今年は2度めの挑戦。不安と期待を胸に昨年同様に、神田外国語大学のひどくクーラーの効いた控え室に入った。そこには日本中のディベーターたちが一同に集結しており、何とも言えない威圧感が私を襲った。
 廊下を通って試合の教室に向かう。北海道人の私には灼熱と言える熱さである。そしてこの廊下には勝者の笑顔や敗者の涙、試合を待つものの緊張が行き交う。今までサッカーを通して、様々な体験をしてきたが、文化的な競技でこのような光景に直面したのは新鮮であった。
 2年間、ディベートをやり、東京に行ったことは大きなプラスになったと思う。
 全国から集う知識人の話を間近で聞けたこと、全国の同年代のディベーターの力を目の当たりにし、自分の無知さや無力さを痛感したこと。そして、現実の厳しさや社会の厳しさを改めて実感した。
 東京での多くの経験が私をより大きくしてくれた。このような素晴らしい機会を与えてくれた、全ての過程に感謝したい。

6 人との輪の広がり
 南幌中学校には5人目の選手がいる。越裕太君である。6人登録できる北海道大会では質疑担当者として大いに活躍した。選手の決定に悩む私に「僕のことは考えなくてもいいよ」と謙虚に語る人格者である。試合に出られないとわかってからも、一日も休むことなく練習に参加した。行き詰まる練習も越君のユーモアで随分救われた。
 連盟北海道副支部長岡山洋一氏にはありがたい気持ちで一杯である。JRを乗り継ぎ、幾度も本校に来て頂き、ご指導頂いた。甲子園当日も私達が宿泊するホテルに来てくださり、相談にのってくれた。生徒たちにも岡山氏に感謝し、敗戦した時は「岡山さんに申し訳ない」と語った。
 そして、彼ら仲間同士の友情、さらに、私との信頼関係もこの機会を通して深まった。練習の合間で、3泊4日の旅の中で、授業のこと、部活のこと、友人のこと、親のこと、様々に語り合った。
 生徒たちはディベート甲子園を通して、多くの人と出会い、輪を広げ、その中で感謝の気持ちや頑張る気持ちを育てた。

 このように生徒の頑ばりや成長を述べてきたが、一番に刺激を受け、ディベートに教えられたのは私である。
 また、北海道のチームに科せられる課題も多い。いかに参加校を増やすか、技術の向上を図るか、難しい問題である。北海道のレベルアップなしに南幌中学校の向上は図れない。
 北海道のチームがビックサイトでディベートすることを夢見、そのためにできる限りの協力をしていきたいと考える。このように生徒たちを成長させるディベートである、その普及に力を注ぎたいと思う。

本稿は『トライアングル』第25号に掲載されたものです。