(おしょろかんじょうれっせき)
所在:小樽市忍路2丁目 昭和36年3月10日国指定史跡
日本にある多くのストーン・サークルは、古代人の残した石造遺構で、ヨーロッパやインド等で発見されているこの種のものと比較して、集団墓地であるとか、天測に用いるための立石(中に日時計的な遺構が認められる)祭場など多くの学説がありますが、いまだ断定するに足りる資料は不十分です。
日本のストーン・サークルは外国のものに比べ小形ですが、このストーンサークルはそう劣っていない日本一大きなものです。
また日本で最も古くから知られている典型的なストーン・サークルで、その最大長軸は37メートルもあります。立石の大きさも相当なもので、おとなの身長ほどのものがずらりと並んでいて壮観です。
列石は南北33メートル、東西22メートルの楕円形であり、サークルの周囲2〜3メートルの幅に直径0.1〜0.2メートルもの大石を並べています。大石は直径が1〜2メートル、高さ1メートル、幅0.3メートルの柱石や扁平な石など様々です。昔はサークルの内部に数本の柱石が立っていたということです。
以上の解説は、小樽市の文化財忍路環状列石・地鎮山巨石記念物(小樽市教育委員会)パンフレットよりの抜粋
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忍路ストーンサークル。かなりの石は倒れている。 |
忍路ストーンサークルの中でも、比較的その形がはっきり残っているものの一つ。 |
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この忍路環状列石は日本で最初に発掘、報告された大規模なストーンサークルです。明治10年代に初めて発掘調査が行われた。 縄文時代後期の墓地と考えられているが、今だはっきりしたことは分かっておらず、謎の多い遺跡。日本全国にこのようなストーン・サークルがみられるが、ここは規模的にも日本有数のもの。 中村子之吉氏が、自費で郷土資料館をつくり、出土品の管理をおこなってきた。こういう遺跡は、もう少し道なり国なりがきちんとした形で保護すべきであると思う。 |
中村子之吉郷土資料館の内部。このときはまだご存命で、親切に案内していただきました。 |
(ぢちんやまきょせききねんぶつ)
所在:小樽市忍路2丁目 昭和25年8月28日道指定史跡
忍路ストーン・サークルの向かい、海抜約80メートルの丘に1メートル前後の細長い石を並べたところがあります。
それらの石は1メートル以上の高さをもつ立石が2本、0.5メートル以上の石が6本、0.4メートルの石が1本、計9本の主要な配石です。この石を楕円の環状に立て並べていて、長軸は10メートル、短軸は8メートルでサークルの中には一辺が約2メートル四方の穴が約1メートルの深さに掘られています。穴の底には河原石が敷いてあったということで、おそらくこの穴は墓穴として掘られたもので、封土の上に多くの石を敷いたのではないかと思われます。
以上の解説は、小樽市の文化財忍路環状列石・地鎮山巨石記念物(小樽市教育委員会)パンフレットよりの抜粋
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1949年10月に、東京大学と北海道大学が共同で発掘調査をしています。 縄文時代後期から晩期にかけて(約3000年前)の墳墓と考えられています。 この付近一帯からも多くの出土品があり、中村子之吉郷土資料館でみることができ、遺跡自体もよく保存されています。 |
地鎮山巨石記念物。穴自体はかなりきれいに保存されていました。 |
(にしざきやますとーんさーくる)
所在:余市町字栄町 昭和26年9月道指定史跡
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昭和25年の発掘調査で「環状列石墓」と認めれら、道指定史跡となっています。長経17メートル、短経12メートルの楕円状に、大小多数の石が散在しています。 発見された遺物は土器の破片だけで、縄文後期末のものとみられています。 |
西崎山ストーン・サークル。かなり荒廃しており、ほとんどの石は倒れている。 |