以下の「読書の方法」は18年前に書いたものである。今となっては引用資料、参考文献、本の整理方法など、古くなってしまったものもあるが(今私は、パソコンのデーターベースで管理している)、当時のまま掲載した。また文章も、明らかな間違いを除いて当時のままにした。
読書の方法も当時と比べると、格段の進歩がある。例えばパソコンの発達、インターネットの普及など、18年前とはくらべものにならないほど便利になった。新しい私なりの「読書の方法」を近いうちに書く予定である。
はじめに
現代社会において、読書は必要不可欠なものである。いろいろな本を数多く読んでいかなければ、社会の流れに追い付くことはできない。私たちは子供のころから、本を読む必要性を学校の先生、あるいは親に説かれてきた。そして読むべき本というのを挙げて、これくらいは読んでおかなければダメだ、と言っていたものである。彼らは確かに”何を読むか”ということに関しては教示してくれた。しかし”どのように読むか”ということに関しては、全く示してはくれなかった。
何事をするにも方法がある。読書にも方法があってしかるべきである。そこで私は過去に読んだ読書に関する本と自分の体験から、私なりの読書の方法について述べてみたい。
第1章 読書の目的
ではまず方法論を述べる前に、なぜ本を読むかということを少し考えてみたい。ある人は勉強のためしかたなく読んでいたり、何か自分の知りたいことを調べるため、また他の人は自分の教養として読んでいるかもしれない。単に本を読むといっても、人それぞれ違った理由があると思う。そこでまず最初に、読書の目的には一体どういうものがあるか述べてみたい。
私は大きく分けると次の三つに集約されると思う。
1.趣 味
2.教 養
3.情 報
この三つである。
趣味のための読書、これは言うまでもないであろう。今本を読むほとんどが、この理由ではないかと思う。特に目的を持たず、好きだから読むといった類のものである。私は推理小説が好きでよく読んでいるのだが、これなども趣味の読書のうちに入るであろう。
次の教養のための読書であるが、これは読んで自己形成に役立つもの、心に潤いを与えるもの、また自分の教養を深めていくものである。この類の本は、読んだからといって、すぐに役立つといった代物ではない。ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは、著書”世界文学をどう読むか”の中で次のように言っている。
真の教養はなんらかの目的のための教養ではない。それは、完全なものすべての努力と同様に、その意味をそれ自身のうちに持っている。(p.8)
つまり、純粋に自分自身のために、単なる知識としてではなく、読書するということである。文学作品、哲学書、宗教書等がこれに当たる。
最後の情報のための読書、これは文字通りその本の中から、何かの情報をつかむために読むことである。何か調べたいことがあって読む本、例えば時事問題の解説書や、自分の専門分野に関する本などもこれに当たるであろう。
このように私は読書の目的を便宜上三つに分けてみたのだが、これらは完全に三つに分かれるべきものではない。趣味として文学作品を読む人もいれば、教養として時事問題を扱った本を読む人もいるだろう。これらの目的は、お互いに付かず離れずの関係にあるといえる。
第2章 本の購入方法
1.計画を立てる
気の向いたときに書店に立ちより、何冊かの本を買い、ただ漠然と読んでいただけでは当然多くの本は読めないし、またバランスのとれた読書ができないので、読書に偏りが生じてしまう。私が前述の”三つの目的”を書いた理由は、バランスをとって読書しなければならないということを述べたかったからである。ただ自分の興味にまかせて読んでいると、趣味の本だけが多くなっていき、他の種の本をあまり読まなくなってしまうのが普通である。三つのうちどれ一つ欠けていてもいけないのである。こういったバランスのとれた読書をするためには、当然計画性を持たなければならない。
さて計画を立てるとき、まず最初に考えるべきものは、自分がこれからの一年間に何冊の本を読むのかという目標である。年間50冊とか、100冊とかいうように決めるのである。その次には、その内訳を考える。趣味40冊、教養30冊、情報30冊といった具合である。そして年間これだけの本を読むには、一冊の本を平均して何日で読まなければならないのかを考えるのである。
2.本を探す
本を探すという作業は、非常に時間のかかるものである。たとえ大きな書店でも全ての本を揃えているわけではない。また自分の読みたい分野の本の中に、どのような本があるか、どの本がよいか、といったことは簡単には分からない。
そこで本を読もうとする人は、常に次に読む本を日ごろから探していなければならない。そのためには、まず週に一回くらい、定期的に書店廻りをしてはどうだろうか。それも一軒だけではなく、何軒か廻ってみる必要がある。そして、どの書店のどこに、どのような本が置いてあるかを知っておくと便利である。
書店に行ったときには必ず新刊書の棚を見てくることを忘れないようにして、今どんな本が出ているのかを常に知っておくことも必要である。
また書店に行くと、カウンターのところに必ず各書店の図書目録が置いてある。普通これらのものは無料なので、目に付くごとにもらって集めておくと、本を探す資料として役立つ。新しい図書目録が手に入ったからといって、古くなった目録を捨てるのはもったいない。古くなったものは、例えば品切れ、絶版になった本を知るうえで非常に役立つからである。
図書目録、新聞、雑誌などで見て、欲しいと思う本があったら、忘れないうちに手帳などに書いておいたほうがよい。書店に行くときは、その手帳を常に持っていくことも忘れないように。
3.本を買う
読書家の一番大きな問題は、本代をどうするか、ということである。私達が月に使えるお金には限りがある。古来から彼らの多くは本代を作るのに苦労したようである。どんなに本を買うお金がなくとも、たとえ食事をしないでも本は”買うべき”である。借りた本と買った本とでは、おのずから本の扱い方も違ってくるし、第一借りた本はよほど読みたかった本は別として、読み方も雑になるし、あまり読まないものである。またたとえ自分で買った本でも、余分なお金があって買った本と、本を買うお金がなくて、一食抜いて買った本とでは、本に対する愛着が違う。それに本を”使う”(後述する)ためにも必要である。
私も本代を作ることでは、今でも苦労している。そこで私は、毎月本を買うお金を別にしておくことにした。そしてよほど買いたい本は別として、毎月その金額(私の場合は一万円)の内で、おさえることにしている。月一万円といえば大きな額のように聞こえるが、実は一万円あっても、それほど多くの本は買えない。しかし一万円というお金も、服を買ったり、お酒を飲んだりするお金に比べたら少ないものである。
さて月に使う金額を決めたら、なんとしてもオーバーしないように考えなければならない。そのためには単行本のような高い本は買わず、文庫本や新書でおさえておくなどといった工夫が必要である。それに加えて、私が本代を倹約するためによく利用するのは古本屋である。古本屋では、文庫本などが半額で買えることもあるので、ぜひ利用したいものである。その場合もふつうの書店同様に週一回ぐらいは行ってみるのが大切である。
4.本を買わない工夫
本を買わない工夫もまた、書籍購入法の一つである。書店に行くといろいろな本があるが、それらの中には一部分を読めば事足りるという本も少なくない。そういった類の本は、自分に必要な場合を除いては立ち読みで済ませてしまうのである。どこの書店でもマンガの立ち読みには嫌な顔をするが、ふつうの本に対してはそのようなこともない。
私はこの手で今まで多くの新刊書を立ち読みしてきた。新刊書などは概して高価なものが多く、その中には寿命の極めて短いものも多い。そういった本に、限られたお金を使うのはもったいない。全て立ち読みで済ましてしまってはどうだろうか。つまり書店を自分の図書館にしてしまうのである。松本道弘氏は、”集中思考術”の中で次のように述べている。
いまからはいるところは、書店ではなく、オレさまの書斎なのだ。オレの書斎にはかぎりがあり、これ以上本を買いこむことはできない。だから、ここに書斎の別室を建てて、本をあずかってもらっているのだ。(p.206)
もちろん立ち読みをするときには、立って読むのであるから、速読法も必要になってくる。速読については後述する。
第3章 読書時間を作る方法
1.習慣にする
あまり本を読んでいない人たちが、本を読む時間がない、と言っているのをよく耳にする。しかしそういうことを言って入る人たちに限って、たとえ時間があっても本を読んでいないのである。
読書をする時間を作りだす第一の方法は、それを習慣化してしまうことである。一日一時間でもよい。寝る前の三十分でもよいから、まず習慣を作ることが大切である。習慣を作ることに関して、哲学者の三木清氏は”読書と人生”の中で次のように言っている。
読書を欲する者は閑暇を見出すことに賢明でなければならぬと共に、規則的に読書するということを忘れてはならない。毎日、例外なしに、一定の時間に、たとい三十分にしても読書する習慣を養うことが大切である。読書の習慣は読書のための閑暇を作り出す。読書の時間がないと云う者は読書の習慣を有しないことを示している。(p.96)
では一日一時間の読書時間を作ることで、いったい何冊の本が読めるだろうか。一日一時間だと、せいぜい一週間に厚い本なら一冊、文庫でも二冊読めるかどうか。年間通しても百冊の本はとても読めないのである。一生のうち五十年間読書できるとしても、このペースでは読める本はわずか五千冊である。五千冊というと大きな数のように聞こえるが、仮に有名な文学作品を読むだけでも、五千冊は有に越えてしまうのである。
また年間日本国内だけで出版される本の数は、雑誌、教科書を除いても、1981年を例にとると、実に29,362冊にものぼる(読売新聞、1982年10月10日)。一生かけても、一年間に出版される本の八分の一も読めないではないか。それなのに読書家として名のある人たちは、何千何万冊と読んでいる。つまり普通の読み方をしていたのではとてもおぼつかないのである。
2.時間の作り方
そこで問題となるのが、一日二十四時間という限られた時間を、どのように使うかである。これから書く方法は、人によってはできないものもあるかもしれないが、これらは私が実際に行っている方法で、この方法で読書すれば、年間百五十冊以上は無理なく読めるのである。
A 何冊か平行して読む
普通は一冊読み終わるごとに、次の本を読み進めていく人が多いのであるが、一冊の本を読んでいく途中には、あきることもあるだろうし、どうしても気分がのらないときもあるだろう。そんな時には読みかけの次の本を読むのである。私は常に五冊くらいの本を平行して読んでいるのだが、よほど同じような内容の本でないかぎりは、頭の中が混乱することはない。だからいつも違った種類の本を読んでいき、気分によって本を替えていくのである。
B 何かをしながら読む
バスや地下鉄などに乗っているときというのは、結構暇なものである。そこで乗り物に乗るときは必ず本を持ち歩き、たとえ五分でも読む。また食事をしているときも、テレビを見ながら食べるのではなく、本を読みながら食べるのである。トイレの中でも読む。テレビを見ながらでも本は読める。コマーシャルの間だけでも読み進めていくと、結構読めるのである。
歩きながら本を読むことも不可能ではない。最初は私もころんだり、電柱にぶつかったりもしたが、半月も経つと歩きながらでも普通と変らず読めるようになる。このように、いつでもどこでも本を読むためには、常に本を持ち歩くことを忘れてはならない。
C 睡眠時間を減らす
人間は一日八時間必ず眠らなければならないとうのは、迷信にすぎない。人間の睡眠時間の中には必ず余分な時間、なくてもよい時間が二時間はある。つまり一日八時間眠る人ならば、六時間で充分なのである。私も最初は辛かったが、なれてくると六時間、時には五時間でも充分で、一日くらい徹夜しても今では何ともない。具体的な短時間睡眠の方法はここでは述ないが、参考資料を挙げておくので、自分で研究し、実行してみてほしい。
第4章 読書の方法
1.精読
少しづつ、ゆっくり、じっくりと文を味わい、内容を吟味しながら読んでいく方法が、この精読法である。全ての本を精読する必要はない。精読すべき本は主に教養のための読書、つまり文学とか哲学作品とかに限られると思う。一つ一つの文を味わいながら、他の本を参照しながら読んでいく読書には、また格別の楽しみがある。
昔は読書といえば精読のことであった。しかし現代は時間に追われて生活しているので、なかなか一冊の本をじっくり読むことは難しいかもしれないが、ただ本を読み流していっただけでは、心に潤いもなくなってしまうし、教養なんかになりはしない。
ではこの読書の最大の楽しみはいったい何であろうか。一つだけ挙げれるとしたら私は”邂逅”を挙げたい。兼好法師は云っている。
ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ代の人を友とするぞこよなう慰むわざなる(徒然草、13段)
何十年、何百年、何千年前の作者との邂逅、私たちの生まれるはるか以前に生きていた人々の考えが心に伝わってくる。これは読書における最大の楽しみではないだろうか。
このようにして本を読んでいくと、当然のことながら愛読書というものが出てくる。愛読書とは、今まで何回も読み返し、そのたびに新しい力が湧きだしてくるような本、人生の伴侶となるような本のことである。渡辺昇一氏も愛読書について”知的生活の方法”の中で書いている。
あなたは繰かえして読む本を何冊ぐらいもっているだろうか。それがわかれば、あなたがどんな人かよくわかる。しかし’あなたの古典’がないならば、あなたはいくら本を広く、多く読んでも私は読書家とは考えたくない。(p.67)
私にとっての古典、つまり愛読書は、宮本武蔵、五輪書である。私はこれらの本を何回となく今まで読み返してきたが、どんなに気持ちの落ち込んでいるときでも、この本を読むと、やる気が起きてくるのである。愛読書を持たない人は、これからでも遅くはない。ひとつ愛読書を作ってみてはどうだろうか。
さて本論の精読の方に戻ろう。精読で一番大切なことは、考えながら読むことである。読んでは考え、考えては読む。そしてあたかも自分が体験しているように読むことが必要なのだ。
それに加えて、”行間を読む”ということも必要である。”行間を読む”とは、文字となって現れてはいない著者の考え、または行動などを読み取ることである。
例を挙げてみよう。宮本武蔵の自伝である”二天記”の中に独行道という有名な自戒文がある。武蔵は修業の妨げになるからと女を遠ざけ、一生妻を娶らなかった。その自戒文の一つに、”恋慕の道思ひよる心なし”という一文がある。この独行道は武蔵の自戒の文であり、人のために書いたものではない。自戒文の一節にあるということは、とりもなおさず、武蔵がいかに恋慕の情に悩まされていたかということが分かる。だからこそ武蔵はこの一文を、自分のために書いたので、けっして女嫌いの朴念仁ではなかった。私はこの文を読むと、雲の上の人のような武蔵を、とても身近な人に感じるのである。
この例だけでは、よくわからないかもしれない。多くの本を読んでいく段階で、自分自身で、この”行間を読む方法”を身に付けていってほしいものである。
2.速読
先に挙げた”読書する時間の作り方”を実行しただけでは、数多くの本を読もうとしている私たちにとっては充分ではない。また立ち読みをするときにも然りである。そこで登場するのが、これから説明する速読である。
速読といっても、ただ速く読めばよいというものではない。速く、しかも的確にその内容をとらえ、そして批判的に読まなければ速読の意味がない。速読のできない人がよく口にすることは、速く読めば読むほど内容の理解度が落ちるのではないか、という危惧である。しかしそんな心配は全くない。かえって精読をするよりも、理解度は、はるかによいことが、科学的にも証明されているし、多くの速読家も一様に認めているところである。速読家としても有名な松本道弘氏も”速読の英語”の中で以下のように云っている。
たしかに速読のメリットは多い。だが、問題は速く読めないところにある。速く読めば理解度が低下するのではないか、という不安があるからだ。しかし、速読をやってみればわかるのだが、速く読めばそれだけ理解度も深まり、興味もわくものである。(P.47)
要はポイントをいかに速くつかむかということが重要なのである。
さて、どの程度のスピードをもって速読というのだろうか。日本語による速読は英後と違って単語の数ではかることはできない。だから私は一つの目安として、新書、それも二百〜二百五十ページ程度のものを使用する。つまり新書一冊読むのに何時間かかるかをはかるのである。一冊三時間では遅すぎる。二時間でも速読とはいえない。私は新書一冊一時間をもって速読と呼びたい。昔は私も一冊読むのに三時間、時によると四時間近くもかかっていた。しかし速く読むことを意識してから、今では普通に読んで、二時間、速読をするときはだいたい一時間くらいで読む。本によっては三十分で充分なときもある。
しかし速読というものは一朝一夕ではマスターできない。普段から本を読むときに、常に意識して速く読むことを心掛けていかなければならないのである。速読をするうえで一番重要なことは、文字を読むのではなく、絵としてとらえることである。ここでは、科学的な速読の方法を説明しようとは思わない。というのは、それだけを書いても有に一冊の本ができあがってしまうからである。速読の具体的な方法については、稿を新たにして、次に機会に譲りたい。
第5章 書籍の取り扱い方
1.本を長持ちさせるには
本はとてもデリケートなものである。少しでも手荒に扱うと、すぐに破れたりする。また本というのは非常に湿気を嫌うのでもある。だから本を扱うときには、注意して扱わなければならない。特によく読む本、高価な本などは、表紙にカバーをかけることをすすめたい。今はフィルム・ルックスというものがあるので、その点便利である。フィルム・ルックスとは、よく図書館の本の表紙に貼ってある、あの透明なカバーである。カバーを貼ることによって、はた愛着も出てくるというものである。
2.カードシステム
本も増えてくると整理が大変である。そこで私は本一冊につき一枚、カードを作っている。たしかにこれは手間がかかるものではあるが、反面とても便利なものである。本というのは大小さまざまなので、分野別に並べることはできない。しかしカードだと可能なのである。カードをきちんと分野別に分けておくと取り出すときにも便利だし、またある事柄について調べたいときでも、見逃しがなくなる。
私がカードを作るようになってから久しいが、最初は今までたまった本一冊一冊につきカードを書くので、非常に手間がかかった。しかしカードを作ってみて、面白いことに気がついた。自分の読書傾向が分かったのである。どの分野の本を多く読んでいるか、どの分野の本をあまり読んでいないか、ということが一目瞭然に分かったのである。
私の使っているのは5×3カードと呼ばれているもので、それほど高価なものではない。ぜひ使っていただきたい。それには本が増えてから作るのではなく、少ないうちに作っておいたほうがよい。多くなるとつい面倒くさくなるからである。本が増えれば増えるほど、カードのありがたみが分かってくる。本を有効に利用するためにも、また本が増えた時の整理方法としてぜひ利用してほしい。
あとがき
私は最初、ほんの読書の入門といった程度のものを書くつもりだったのに、こんなに長くなるとは思いもよらなかった。しかしこれだけ書いてもまだ書き足りない。そこでそれらを補うために参考となる文献を挙げておく。私のこの一文が、それらの本を読む入門として、また読書の世界への道案内として役立つことができれば幸いである。
*本稿はProtokollon Vol.2、1983年1月、 に掲載されたものです。