肯定側第1反駁

 

はい、それでは反駁をします。

まず最初に、植民地の近代化論というのは誤りである。1つ目、植民地支配の美化は戦争行為への反省心を薄れさせる、2番目、研究というのはモデルとして研究する意味がないんだと言いました。これについてまとめて反論します。4つあります。

1つ目、まずこの議論は、日本人が戦争行為を反省していないということを前程としています。そんなことはありません。

2番目、また、日本が植民地支配、戦争行為について、悪いことをしたということも前程になっています。これについては言い切っているのみで、証拠資料は言い切っているのみで特に説明はありません。証明もありません。

3番目、もし戦争行為の反省心を薄れさせるのであれば、植民地近代化、またその他の歴史を研究することは当然意味があることになります。これは矛盾しております。

4番目、このように善悪で日本統治を論じることは、かえって日韓の実りある対話を阻害するということが言えます。岡本幸治教授は以下のように述べます。引用開始。

儒教の影響が根強い今日の韓国(中略)では、今なお知識人の議論にこの特色を見出すことが多い。しかし、日本統治の功罪という歴史的(総合社会科学的)課題を、善か悪か、義か不義かという道義論のレベルで論じていては、日韓の間に実りのある対話が生まれない。(22)

とこのように述べております。

 

次ぎ、定義にいきます。

 否定側は、近代化というのは複合的な概念で、単一の指標はないというふうに述べております。工業化のみではなく民主化の視点が欠如してると言っています。

まず1番目です。肯定側の定義というのは複合的な概念を述べています。経済的発展、社会変化のプロセスという2つの指標を使って、分かりやすく説明しております。これは立論を見ていただければわかると思います。

2番目。民主化の視点は、教育のところで説明しております。立論を見て下さい。民主化にとって教育というのは非常に欠かせないものであるということは、私なんかより皆さんの方がご存知だと思います。

 

次ぎ論点1番目、「土地を奪ったに」行きます。「土地を奪った」は間違いです。一部そのようなことはあったかもしれませんが、手続き上は問題ありませんでした。中村粲氏は以下のように述べます。

 (前略)この調査は日本人が直接やったのではなくて、朝鮮に土地測量学校を作って、そこで養成した朝鮮人を実務に当たらせた。実地の調査では、土地の所有権を持っているものを立ち会わせて杭打ちをしています。係争のある土地は土地調査委員会という一種の行政裁判所をつくって、訴えを聞いています。なかには、終戦まで続いた裁判もあったと言われています。(23)

 

次に会社令、民族抹殺、治安維持による弾圧、これについてまとめて反論します。

先ず第1に、これらのことは戦時下であったということです。これは日本も同じです。特に朝鮮だけの問題ではありません。

2番目。民族抹殺ではなくて、これは欧米の植民地化とは違いまして、日本人と韓国人とを同等に扱ったという証明でもあります。

3番目。これらがなぜ起こったかと言いますと、これらをなぜ日本がそのようにしたかと言いますと、李朝の政治が非常に乱れていたからです。これを正すのに日本の政策が必要であったということが言えると思います。評論家の朴泰赫(パクテヒョク)氏は次のように述べます。

 李朝末期の韓国は、政治が乱れに乱れていた。宮廷は国民の大多数が生活苦に喘いでいるのをよそに、政争に明け暮れていた。(中略)文化も、経済も疲弊した。(24)

と述べております。

 

次に学校の問題です。学校教育では、生徒を1割も収容することができなかったと述べています。これについては、日本は確かに学校は数多く作りましたけれども、強制的に通わせることはしてません。その結果就学率が低かったのは事実です。しかし初等教育から高等教育まで、伝統的な両班(ヤンパン)型儒学教育において無視されていた、理系もしくは実務型の科目を重視していたんです。この近代化の知的基盤を育成する上で重要だったのは、この実務型の科目です。これが10%もいたんです、当時は。仮に、たとえ一割だったとしても、その人たちが近代化の基礎を築いたということが言えます。

 

論点の2番目。目的が違う、近代化の目的は、軍事目的であったについて。

まず1番目、近代化は日本と韓国の国益でありました。呉善花(オ・ソンファ)氏は以下のように述べます。

 (前略)(朝鮮の)独立への可能性は、日本を牽制しながら日本の支援を受けるという、微妙なバランスをコントロールしつつ近代化を推し進めるところにしかなかったと思う。(25)

 それに加えまして、2番目、日本の国益つまり軍事目的でも実際には近代化したんです。目的がどうあろうと近代化したことは間違いありません。

 

結果的に経済発展に寄与しなかったについて反論します。

これは先ず第1に、日本が統治しているときには経済発展していたということを認めております。

2番目、これは教育が浸透していなかったせいであって、日本のせいではありません。

 

次に近代化の芽を摘み取ったという点にについて述べます。近代化を推進する金玉均などの人を弾圧しています、朝鮮は。つまり自力で近代化をする意図は全くなかったということであります。否定側の言うのは結果論です。

 


 

(22)岡本幸治(大阪大学教授) 『「日帝三十六年」朝鮮統治の功罪(日本は侵略国家ではない)』 善本社 1993年 p. 131

(23)中村粲(あきら)(独協大学教授、日本近代史) 『「韓国併合」とは何だったのか』 日本政策研究センター 1996年 p. 41

(24)朴泰赫(パクテヒョク)(評論家) 『醜い韓国人』 光文社 1993年 p. 35

(25)呉善花(オ・ソンファ) 『「日帝」だけでは歴史は語れないー反日の源流を検証する』 三交社 1997年 pp. 102-103