肯定側立論

 

まず始めに定義を述べます。

 

1 韓国併合

1910年(明治43年)8月22日に日韓両国間で調印された「韓国併合ニ関スル条約」によって、日本が朝鮮を植民地化したことをいいます。

 

2 朝鮮半島

当時の大韓帝国、現在の韓国・北朝鮮をさします。

 

3 近代化

ギルバート・ローズマン、プリンストン大学社会学部教授は、『日中比較近代化論』の中で近代化を以下のように定義しています。引用開始

 近代化とは、「継続的、実質的経済発展をいうのであり、それは社会の構造と態度が根本的に変容する変化の過程を伴うものである」。(1)引用終了

 近代化とは、実質的に経済が発展することです。それと同時に、そこに至る社会システムが変化するプロセスも含む概念です。つまり社会システムの変化というプロセスと、経済発展という結果、この2つをもって「近代化」といいます。

 

4 寄与する

角川国語辞典より、

功労をつくす、利益をあたえる、貢献する。(2)

 

 ゆえに肯定側は、「日本の韓国併合は、大韓帝国の社会構造を変容し、経済発展に貢献した」と主張します。

 

論点1 社会システムの変化

 韓国併合により、日本が朝鮮半島の社会システムをどのように変化させていったか、また変化していったかを説明します。

 

1 土地調査事業

 土地調査事業は、その国の経済にとって基本となるものです。この事業を朝鮮総督府はまず行いました。証拠資料を引用します。

中村粲(あきら)、独協大学教授、『「韓国併合」とは何だったのか』、1996年、引用開始

 道路、鉄道にしても、農地にしても、その基本はなにかというと土地調査です。現在では、この土地調査が「土地を奪った」と批判され、非常に評判が悪いのですが、土地調査をやらなければ鉄道も敷けないし、農地の拡張もできない。第一、税金の算定もできない。つまり行政の基本中の基本なのですね。この土地調査を、日本が東洋拓殖(東拓)という特別な会社をつくって8年かけて実行した。(3)引用終了

 

2 その他のインフラ整備

 朝鮮総督府は、李朝末期に混乱していた貨幣や金融制度を整備し、通信事業の設備を行いました。証拠資料を引用します。

岡本幸治、大阪大学教授、『「日帝三十六年」朝鮮統治の功罪』、1993年、引用開始

 李朝末期に甚だしく不統一で混乱していた度量衡制度や貨幣の統一、そして金融制度の整備(中央銀行たる朝鮮銀行、地方産業の開発、金融の流通に貢献した農工銀行を統一して設立された朝鮮殖産銀行等)は、重要な意義をもつものであり、近代的な鉄道、道路、航路、港湾、電信・電話等の通信事業の設備は、経済発展に欠くことのできない社会的基盤を形成した。(4)引用終了

 

3 教育制度

 経済発展には教育制度の整備は欠かせません。朝鮮総督府は、近代化に欠かせない教育制度の整備にも力を注ぎました。証拠資料を引用します。

評論家、朴泰赫(パクテヒョク)氏、『醜い韓国人』、1993年、引用開始

 日本は教育制度の整備にも、力を注いだ。日韓併合時には、小学校は百校あまりしかなかったが、総督府は初等教育については3面(村)1校の政策をたて、1923年までに2,500の面において実現したうえで、さらには1面1校の目標を掲げて、この目標を1936年に達成した。その後は、小学校を倍増する計画を進め、太平洋戦争の開戦の翌年にあたる1942年には1面あたり2校ずつあるようになった。(5)引用終了

 つまり韓国併合当時百校あまりしかなかった小学校が、1942年には1面に2校づつあるようになったのです。このように日本は朝鮮半島の社会構造を変容させ、近代化の礎を築きました。

 

論点2 朝鮮半島の経済発展

 

1 日本は朝鮮半島を経済の調和のとれた国にしました

 日本は貧しかった農業国家であった朝鮮を工業化し、貿易を振興し、経済的に調和のとれた国にしました。証拠資料を引用します。

J・プズー=マサビュオー、アテネ・フランセ教授、『新朝鮮事情』、1985年、引用開始

 (中略)南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤はこの時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。日本は、約40年程の間に、きびしいやり方で、自然の脅威にさらされ、大きな工業設備をもたず、貧しかったこの農業国家を科学的な農業と様々な工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれた国へと変身させたのである。(6)引用終了

 

2 工業生産額の増大

 日本の近代化政策により、朝鮮半島の経済は飛躍的に向上し、その結果工業生産額は上がっていきました。証拠資料を引用します。

評論家、黄文雄(こう・ぶんゆう)氏、『歪められた朝鮮総督府』、1998年、引用開始

 数字的に見ると、工業生産額は1927〜33年に3億円台、35年に6億円台を超え、40年には18億円台を突破して、農業生産額に匹敵する生産額になった。工業成長率は1914〜27年に年平均5.3%であったが、28〜40年には、年に12.4%の急速な成長を続けていた。1931年には軽工業(食料、紡績)が工業生産額の62%、重化学工業(化学、金属、機械)が25.6%であったのに対し、39年には、重化学工業が逆転した。40年代の初めごろには、朝鮮半島は、台湾にやや遅れてではあるが、農業社会から工業社会へと構造改革していたのである。(7)引用終了

 このように数字で見て明らかなように、朝鮮半島は農業国家から経済国家へと変身し、社会構造の変容と共に近代化していきました。しかしこの近代化は外からの力、すなわち韓国併合によってもたらされたものであり、自力では近代化することができませんでした。

 

論点 3 朝鮮半島は自力では近代化できなかった

 李朝末期の政治は混乱していました。国民の大多数は生活苦に喘いでおり、社会道徳は乱れ、文化も、経済も疲弊していました。しかし儒教文化を長年保ってきた朝鮮は、自力では近代化できませんでした。証拠資料を引用します。

金日坤(キムイルゴン)氏、『儒教文化圏の秩序と経済』、1984年、引用開始

 儒教文化を保って来た伝統社会は、自主的に、いわゆる近代化を推し進めることが出来なかった。そして、外来勢力が、政治、軍事的な挑戦をしたり、外来文化が、強力な刺激を与えたことによって近代化のきっかけをつかんだのである。(8)引用終了

 


 

(1)ギルバート・ローズマン(プリンストン大学社会学部教授) 山田辰雄他編 『日中比較近代化論 <松阪大学日中シンポジウム>』 晃洋書房 1996年 pp. 4-5

(2)久松潜一 『角川国語辞典』 角川書店 1980年

(3)中村粲(あきら)(独協大学教授、日本近代史) 『「韓国併合」とは何だったのか』 日本政策研究センター 1996年 p. 40

(4)岡本幸治(大阪大学教授) 『「日帝三十六年」朝鮮統治の功罪(日本は侵略国家ではない)』 善本社 1993年 p. 137

(5)朴泰赫(パクテヒョク)(評論家) 『醜い韓国人』 光文社 1993年 pp. 220-221

(6)ジャーク・プズー=マサビュオー(アテネ・フランセ教授、人文地理学) 『新朝鮮事情』 白水社 1985年 pp. 65-66

(7)黄文雄(こう・ぶんゆう)(評論家) 『歪められた朝鮮総督府 だれが「近代化」を教えたか』 光文社 1998年 pp. 159-160

(8)金日坤(キムイルゴン) 『儒教文化圏の秩序と経済 国際経済摩擦研究業書2』 名古屋大学出版会 1984年 p. 195