否定側立論

 

否定側の立論を始めます。全体的にどのように進めたいかと申しますと、まず肯定側がおっしゃってた近代化というのは、朝鮮民族に対してひどい弾圧を行ったということをメインにお話して行きます。

先ず一つはですね、植民地化ということを行っています。そういった中でこれが近代化に寄与したと、果たして言っていいものなのかどうか。そういった側面からまず否定します。

次に近代化の中身、近代化というのは果たして工業化だけなのか。それ以外の面もある。それ以外の面を見たときにこれが寄与と言えるのか、逆に後退したのではないか、ということを2つ目の大きなポイントとして述べます。

さらに工業化。工業化だけに的を絞って見たときに、本当にそれがうまくいったのか。この3点、この大きな流れで進めて行きます。

 

 まず1番始め、植民地化論、これは誤りである。

 

 1番目として、植民地支配の美化、これは戦争行為への反省心を薄れさせるという観点から否定されるべきです。

 ワン・シューグァン『20世紀からの決別』1998年から引用します。

日本は過去においてアジアのためによいこともやってきた、という意識が芽生えることによって、戦争行為への反省心が薄れ、その結果、アジア人に対する加害者としての自覚も次第に消え去っていく可能性があるからだ。これは日本がアジア諸国に犯した大量殺戮や略奪など一連の戦争行為を反省する機会を失うと同時に、侵略戦争を正当化する日本人のイメージを、国際社会、とりわけ戦争被害者のアジア民衆に与える結果を招くことになる。(9)

 2つ言ってますね。この資料では何を言っているかというと、近代化に寄与したというようなこの議論を進め、それを肯定することは、戦争行為への反省を薄れさせてしまう、だからだめなんだ。2番目としましては、戦争被害者であるアジアの民衆にどんなイメージを与えるのか、ひどいことじゃないのか、というこの2点からこの論題は否定されるべきだと申します。

 

 次ぎ、植民地近代化の研究は、それ自体は意味がないという点です。

 松本俊郎(としろう)さん、岡山大学助教授は『侵略と開発』という本の中で次のように述べています。

他国に対する侵略をともなった日本の近代化の歩みは、道徳的な価値基準によって否定されるべきだというばかりではなく、たとえ繰り返そうとしてみても国際的なリアクションによって阻止されるであろうという現実性の乏しさの問題として、モデルとしての限界を持っている。(10)

 2点述べていますね。道徳的な価値基準という、この研究を進めても意味がない。また実際にそれを例に何か価値判断をして意思決定をしようと思っても、そんなことは現実社会の中で起こらないということです。よってこういった研究は意味がないという、この2つの理由によってこの論題を否定していきます。

 

次に近代化、大きな2ポイント目。定義をですね、他の資料によって紹介したいと思います。

まず一番初め、新社会学辞典93年、近代化の定義をこうしております。

近代化とはもともと複合的な概念である。近代化の程度をはかる単一の指標は存在しない。(11)

としています。今日の肯定側は工業化、産業化のみで議論を進めておりますが、それは誤りです。

2番目、世界歴史大辞典6巻から、近代化とは何か。

近代化とは、1.資本主義化、2.市民社会化・民主化、3.工業化ないし産業化、4.合理化、が基本指標としてとりあげられてきた。(12)

これら4つの観点から見て、始めて近代化とは何かというものが語られる。ところが工業化だけを取り上げた場合は、全体の問題の一部しか見ていないと思います。

3番目、日本史広辞典よりますと、1950、60年代にアメリカでは工業化という観点のみで、近代化を計ろうという動きがありました。これはあったんですが、それに続いて何て書いてあるかというとですね、

工業化の負の面を抹殺している、かつ民主化という視点が欠落しているという意味で欠陥があるといえる(13)

となっています。ですから朝鮮半島の近代化に、どれくらい寄与したかというのを考える場合に、民主化がどのくらい図られたかという観点で見なくてはならないと、否定側は考えています。

 

それでは具体的に論点1、社会がどのように変容していったかという観点に対して、反論を加えたいと思います。

資料を金圭昇(キム・キュスン)、『日本の朝鮮侵略と法制史』から採っています。例えば1番目、土地について、日本は土地を略奪しました。

日本は土地所有権申告手続と方法を複雑にして農民の申告に人為的な難関を造成するほかに莫大な申告費用を負担させたのである。その結果、三三万名の農民が耕していた田畑が「国有民間地」という名目で日本の「国有地」として奪われたのであった。日本の土地略奪の強化は農民の破産没落をもたらし、その数は一九一七年には四五万件に増大した。(14)

このように日本が韓国に対して行った事は、土地の略奪、それによって農地の破壊ということなんです。

 

次に工業化ということですので、会社法を調べました。当時日本は会社令というものを発行します。この会社令は

朝鮮経済を殆ど独占することによって、朝鮮における民族資本の発展を閉ざし、経済の全ての部門を日本資本の隷属下に向かわせたのである。(15)

とこのように述べております。このように日本は韓国において、日本の資本で韓国の経済ををむちゃくちゃにしたんだ、ということをここに述べたいと思います。

 

その次にですね、文化・教育について、この同じ資料にこういうことも書いています。

政治、経済の分野と同様に、文化の方面でも日本は、朝鮮で民族文化を抹殺し、朝鮮人民に無知と蒙昧を強要する法律を公布した。日本が設立した公立普通学校は有名無実であり、学令児童の一割も収容することが出来なかった。(16)

つまり学校を建てても、そこに行っている生徒さんたちは10%しかいなかったんです。これで教育の普及とはいえないと思います。整備もできていない。これを私が言いたいところです。

 

その次にですね、日本が他に行ったことに民族の弾圧があります。具体的には治安維持法によって、5千人いた警察官を3万人に増やし、検挙数は、例えば1930年で18万人を検挙した。牢獄に入れられた方は、何が行われたかというと、牢獄の中で死んでしまう、このような悲惨な状況が起こってしまう。

 


 

(9)ワン・シューグァン 『20世紀からの決別 アジアが日本の戦争責任を問い続ける理由』 白帝社 1998年 p. 13

(10)松本俊郎(まつもととしろう) (岡山大学助教授、東洋経済史) 『侵略と開発ー日本資本主義と中国植民地化ー』 御茶の水書房 1992年 p. 3

(11)森岡清美他編集 『新社会学辞典』 有斐閣 1993年 p. 319

(12)梅棹忠夫他監修 『世界歴史大事典 6』 教育出版センター 1991年 p. 103

(13)日本史広辞典編集委員会編 『日本史広辞典』 山川出版社 1997年 p. 642

(14)金圭昇(キム・キュスン) (朝鮮民主主義人民共和国教授、法学博士)『日本の朝鮮侵略と法制史』 社会評論社 1991年 p. 192,193,194

(15)金圭昇(キム・キュスン) (朝鮮民主主義人民共和国教授、法学博士)『日本の朝鮮侵略と法制史』 社会評論社 1991年 pp. 195-196

(16)金圭昇(キム・キュスン) (朝鮮民主主義人民共和国教授、法学博士)『日本の朝鮮侵略と法制史』 社会評論社 1991年 pp. 204-205