Clover
- - - 第3章 血色のピアス4
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その言葉に一瞬レインが振り返ろうとした瞬間、後方から無数の炎の矢が魔物に向かって降り注いだ。
目の前の魔物がキシャアアアアアという悲鳴をあげながら、悶え苦しむのをレインは呆然と見つめる。その中で他のものとは明らかに違う大きな炎が、その首に突き刺さった時、魔物は断末魔の悲鳴を上げた。その首筋から小さな緑色の石が零れ落ちる。その瞬間、魔物の体はまるで幻のように溶けて消えてしまった。

辺りには静けさが戻り、湖のほとりには、その緑色の石だけが転がっている。レインはその光景を、どこか他人事のようにぼんやりと見つめた。

「終わりね」

その声に我にかえり、バッと振り返ると、そこには白いドレス姿の姫君が静かに立っていた。
しかし、違っていた。レインに感じられる彼女の何もかもが変わっていた。
フィアルはそんなレインを見やると、そのままその横を通り過ぎて、魔物のいた湖のほとりに向かい、その緑色の石を拾った。

「緑光石というの」
「……?」
「人の意思を集めやすい石だから、人の負の感情を受けすぎると魔物を産む原動力になってしまうのよ」
「負の感情……」
「知らないの……?魔物は人が産むのよ?」

フィアルが緑光石からゆっくりとレインに視線を向ける。その瞳には強い力があり、先ほどまでの彼女とはまるっきりの別人のようだった。

「思考がまとまってないみたいだから言うけど、私、二重人格ではないから」
「……どういう、ことだ?」
「とりあえず、剣、しまったら?」

剣を構えたままだったことに気付いて、レインはそれを鞘に収めた。そして眉間に皺を寄せたままフィアルに向き直る。彼女はその間も、今までは見せていなかった、何か含みをもったような微笑を浮かべていた。

「どういうことだ?」
「こういうこと」
「……答えになっていない」
「ただ単にお姫様の演技をやめただけ」

疲れてたし、限界だったし、と肩を竦めるフィアルに、レインの表情はますます険しくなった。

「全部今までのは演技だったと?」
「そう、ノイディエンスタークの民全員の大芝居。諸侯も、民もみんな協力的だったわ」
「何の為にそんなことを……」
「わからないの?そこまでお馬鹿だったら私、貴方を買いかぶってたことになるわね」

フィアルの言葉に、レインは一つの真実に思い当たる。諸外国では、光の巫女姫は尊い象徴としての存在とされている。実質的に国を治めているのは神官長であると。それならばそのままにしておいた方が、各国の謀略を知る上では都合がいいだろう。

「アゼル殿はスケープゴートというわけか」
「端的に言うとそうね、実際アゼルにコンタクトを取ってくる国もあったし」
「……それならば何故俺にもそれを通さなかった?俺が疑問を持つように、仕向けた?」
「貴方が馬鹿じゃなかったから」

フィアルはレインから視線を外さなかった。その瞳には頼りなげなものは微塵も感じられない。強い意思を持った瞳だ。それを見ればわかる、彼女は象徴ではない。彼女こそがこの国の王なのだ。

「もともと今日で演技は終わりにするつもりだったの。キールとメナスにあなたを刺激してもらってね」
「それも計算されていたのか……」
「私はキールにオベリスクの説明をしてやれと言っただけ。キールは、演技できるようなタイプじゃないから、言いたい放題言って帰ってくることはわかってたけどね。メナスにも、キールの話が済んだらあなたを連れてくるように言っただけ。うちの諸侯達はみんな優秀でね、思った以上の働きをしてくれるの」

ふっと笑うとフィアルは湖に視線を向けた。日がゆっくりと沈みはじめ、その横顔を赤く染める。

「俺に何を望んでいる?」
「貴方、自分の父親が、何故私とあなたを結婚させようとしているのか、わかっているんでしょう?」
「……あの人は野心家だ。ノイディエンスタークを欲しがっている」
「そして言いなりになって、私と結婚する気でいるの?」
「……結婚は、しない」
「でも、言いなりなのね」

レインはゆっくりと歩いてフィアルの隣に並び、湖の赤く染まった湖面を見つめた。真っ赤な血の色にも似たその光景に魅せられる。

「どうでもいいんだ」
「……」
「何もかも、俺はどうでもいい。それが本音だ。言われるまま戦うのも何も考えなくて済むからだ」
「今のままのラドリアでも?」
「いずれ、滅びる」
「それを望んでいるのね」
「……そうだ」

レインはそのまま横を向いてフィアルを見た。しばらくの間二人は無言だった。

「俺に何を望む?」
「貴方が欲しい」
「……ラドリアを捨てろと?」
「みんな短絡的すぎよ。アゼルも同じこと、言ってたもの」

フィアルはふと視線を和らげた。

「ラドリアを背負ったままの貴方を、私にちょうだい」
「……ラドリアを背負ったまま……」
「王子の貴方はいらない、剣士としての貴方が欲しい」
「ノイディエンスタークに、俺が必要だというのか?」
「いいえ、必要なのは、私。ノイディエンスタークという国じゃないわ」
「……何のために?」

レインの呟きに、フィアルは静かに、ただ静かに答えた。

「―――――全てを終わらせるために」


* * * * *


その夕陽が落ちて闇が辺りを包むまで、二人の間に言葉はなかった。
完全に陽が落ちて星が見え始めた頃、レインはそっと自分の右耳に手をやり、小さな赤い石のピアスを外した。そして外したそれを、彼はゆっくりと彼女に差し出した。

「……受け取れ」
「……何?」
「これは俺の血で出来ている。お前に、預ける」
「……どうして?」
「お前の望み通りだ。俺は剣士としてお前に力を貸そう。王子としてではなく、剣士としてだ」
「……」
「それで……いいんだろう?」
「……うん」

小さな返答にレインの唇が薄く笑みを作る。笑うのを意識するのは、一体何年ぶりのことだろう。そんなことを考えるほどレインはそれから遠ざかっていたのだ。
止まっていた時間がゆっくりと動き出したような、そんな不思議な衝動を感じた。そしてそれは決して不快なものではなかったのだ。