Clover
- - - 第3章 血色のピアス3
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「遠乗りに行きませんか?」

中庭で一人待っていた姫君は、柔らかな微笑と共に彼を誘った。


* * * * *


レインはフィアルを乗せて、用意されていた天馬を駆けさせていた。
目にも眩しい緑の大地を、彼女はぼんやりと見つめている。風の守護ルーンをかけてくれたらしく、緩やかな風だけが二人の髪を揺らしていた。

「レイン様」
「……」

彼女は華奢で、レインの腕の中にすっぽりと収まるような体制になっている。フィアルが振り返らなければ、二人の視線が合うことはない。しかしフィアルはそれをしようとはせず、そのままの体制で言葉を切り出した。

「キールに逢いましたか?」
「……はい」
「何か、言っていましたか?」
「……真実は自分の手で探せと」
「……そうですか」

彼女は自分に何を言いたいのだろう。結局自分はラドリアの民、ノイディエンスタークにとっては敵国の王子だ。そんな自分に、彼女は何を求めているのだろう。それがレインには気になっていた。
この姫君が、父王が申しこんだ婚姻の話を受けるとは思えなかった。最終的にあの父王は、このノイディエンスタークをラドリアの領土にすることを望んでいる。

「あの森です」
「あそこですか?」
「あの森に竜瞳湖があります。美しい湖ですよ?」
「わかりました」

レインは天馬を誘導して、ゆっくりとその森の中央に見える湖へと降り立った。手を貸して天馬の背から降ろしてやると、ありがとう、と小さく彼女は微笑んだ。

竜瞳湖は美しい湖だった。水は淡い碧にも見えるほど澄んでいる。シルヴィラの瞳の色なのだと言われ、レインは、あの風の騎士の顔を思い描いた。

「ここには、時々水竜が来るんです」
「水竜が?」
「ええ……ラドリアでは、あまり竜は見られないのでしたね?」
「昔は時々山の辺りに地竜が現れたそうですが、最近はそんな話も聞かなくなりました」
「竜は……血を嫌うのです」

姫君はそう言うと、レインに背を向けて湖をじっと見つめた。頼りなげな後姿だ。でも何故だろう、こんな彼女を前にしてもあの違和感が消えない。どこか真実味のない幻のようなこの感覚。

「メナス殿が言いました。疑問があるのなら中庭に一人で行けと」
「……」
「そこであなたが私を待っていると。その通りあなたはいました、一人で」
「そうです」
「今のノイディエンスタークの姿は、本当の姿ではないとファティリーズ侯も言っていました。私は……」
「……何故ですか?」

不意にフィアルは振り返り、レインを真っ直ぐに見つめた。

「何故そんなに、ノイディエンスタークを知りたがるのです?あなたはラドリアの王子、この国の民ではありません」
「……それは」
「あなたは、その腕に定評がある剣士だと聞いています。その力でラドリアの軍隊を率いていると。そんなあなたが何故この国を気にかけるのです?あなたはラドリアの望むまま、国王陛下の望むまま軍を率いて他国を攻める……そうなのでしょう?」

フィアルの言葉は真実だ。レインは今までそうやって生きてきた。父王の望むまま軍を率いて他国を攻める。ノイディエンスターク侵攻には関わらなかったが、命令されていればきっとこの国に攻め入っていたはずだ。

「姫君、私は軍人です。戦うことに私の意思は関係ないのです」
「……そうでしょうか?」
「……どういう意味です?」

レインが、その言葉の意味を問いかけようとした時だった。

フィアルの背後の水面が突然水を吹き上げ、その中から深緑の体を持つ異形の魔物が現れた。真っ赤な瞳に8本の足、前足の2本は鎌のような刃物の形状をしている。昆虫のようなその口からはキチキチという不気味な音が聞こえた。

「姫君ッ!」
「!?」

レインはとっさに彼女を抱き寄せ、後方へ飛び伏せた。ザシュッ!という大きな音がして、今までフィアルが立っていた場所の地面が、大きく抉られているのが見える。

(―――――魔物!?)

レインはさっと立ちあがると、フィアルを後ろに庇うようにしながら腰の剣を抜いた。

「貴女はあの木の下へ!」
「は、はい!」

戦場で人間を相手に戦うのとは勝手が違う。今までにも魔物と戦ったことがないわけではなかったが、こんな大物と戦うのは久しぶりのことだ。
フィアルが近くの大木の下へ走るのを見届けると、レインは魔物に向かって剣を構えた。

シャアアアアという音のような鳴き声が聞こえ、魔物がレインを牽制しているのがわかる。しかしレインは剣を構えたまま微動だにしなかった。まだあの魔物はレインの間合いに入っていない。そして魔物もレインの発する殺気でそれがわかっているかのようにその場を動かなかった。

しばらく睨み合いが続いたその時、レインの後方から小さな声が聞こえた。

「……トロいのか慎重なのかわかんないわね」

それは確かに聞き覚えのある声だった。