Clover
- - - 番外編1 Call My Nickname ?
[ CloverTop | 番外編2 Siesta ]

「ルシェル様?どうかなさいましたか?」
「……ん?そうだな……敢えて言うなら、日向ぼっこ、かな?」
「日向ぼっこ……ですか?」
「メナス、君もする?」

王宮の中庭の噴水に腰掛けて、ぼーっとしているルシェルに声をかけたのが、間違いだったのかもしれない。
この星のエアリエル侯爵は、どこか浮世離れしているというか、時々理解不能なのだ。

「フィールは今頃どこにいるんだろうね」
「姫様なら、今はフューゲルにいらっしゃるそうですよ?」
「ふーん」
「ルシェル様?」
「フィールがいないと、僕をルチェって呼ぶ人間、いないんだよね」

―――――ルチェ。

それはフィアルがルシェルを呼ぶ時のあだ名だった。いつものように勝手に命名したのである。
しかしルシェルは、このあだ名を大層気に入ったようで、フィアルが呼ぶと嬉しそうに頬を緩めるようになった。

「わたしが呼びましょうか?」

そんなルシェルが可愛らしく思えて、くすくすと笑いながらメナスが言うと、ルシェルは即答した。

「ダメ。僕をルチェって呼んでもいいのは、フィールだけだよ」
「わかってますよ、冗談です」
「笑えない冗談は嫌いだよ」

金色の瞳に少しだけ不機嫌そうな光を浮かべながら、ルシェルはそっぽを向いてしまう。どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。
メナスはその表情を見ながら、何故自分がルシェルを呼びにきたのかを、ふと思い出した。

「そう言えば、アゼル様がお呼びでした。執務室に来るように、と」
「……なんで僕がアゼルのところになんて行かなきゃいけないのさ」
「さあ……何かお仕事の話ではありませんか?」
「面倒だから、行かない」

銀色の髪がイヤイヤをするように揺らされて、メナスは困ってしまう。彼はキールと同じ歳なのだが、どうしてだろう、その仕草のひとつひとつが、メナスには可愛く思えて仕方ないのだった。

ルシェルはもともと、綺麗な顔立ちをしている。

星のエアリエル侯爵家は占いの能力に優れる家系だ。そのせいもあってか、どこかつかみどころのない人物が多いことで知られているが、その中でもルシェルはその特徴が抜きん出ていると言われていた。
話をしていても、突然思考が違う方へ向かってしまい、会話がかみ合わなくなったりするのはしょっちゅうだ。
普通なら病気の線を疑われても仕方ないのだが、彼等の場合は違う。元々直感の家系なので、それは当たり前のことなのだ。占いには直感力は必要不可欠の存在なのだから。

「行かないと言われてしまうと、困ってしまうのですけれど……」
「……?どうしてメナスが困るんだい?」
「アゼル様からルシェル様をお連れしろ、と言われたのはわたしですから。怒られてしまいます」
「いいよ、なら、行く」

他人に関心がないように見えて、その実ルシェルはとても心優しい青年だった。
それがわかっていて、怒られるなどと言った自分は、ものすごく性格が悪いんじゃないだろうか……メナスは胸の奥に小さな罪悪感を感じてしまった。

「アゼル……またお説教かな」
「何か怒られるようなことをなさったんですか?」
「してない……つもりだけど、よく覚えてないや」

本気で覚えていないのだろう。小首を傾げる姿もどこか浮世離れしている。
しかしメナスに、彼を呼んでくるように言ったアゼルの顔は、姫君がいなくなってから久しく見ていなかった怒りの表情だった。あれは、間違いなく説教モードである。

「そう言えば、アゼル様……」
「何?」
「何か書類を見て、急に……」
「書類……?ああ、そう言えばさっき、北外れの村の視察報告書ってやつを出したけど……」

ほとんど副官が作成したから、僕は判を押しただけだよ?とルシェルは何も考えてないように言った。しかし、アゼルの怒りの原因はきっと、その報告書だったのだろう。自分で作成していないのでは、その内容はルシェルにはよくわかっていないだろうから、何がおかしかったのかアタリをつけることもできない。

……まさに、ただ怒られに行くだけである。
それだというのに、ルシェルはまるでそれを気にした様子もない。
ある意味尊敬ものの度胸だ、とゲオハルトあたりなら言いそうだなぁと、のんきにもメナスは考えていた。


* * * * *


各諸侯の執務室が並ぶ廊下の一番奥が、姫君の執務室だ。そしてアゼルの執務室でもある。
失礼します、とメナスが扉を開けると、部屋に備え付けられた応接セットのソファーに、アゼルが憮然とした顔で座っていた。
しかし場の雰囲気を読む、という芸当にとことん縁のないルシェルは、扉を閉めると開口一番でこう言い放ったのである。

「―――――何か用?」

(ヒイッ!)

メナスは心の中で小さな悲鳴をあげた。全く、13諸侯というのはどうしてこんなに曲者揃いなのか。案の定、アゼルの額には青筋が増え、ぴくぴくと震えているように見えた。

「……何か用?ではないだろう。とりあえず、座れ」

それでも冷静さを失わないよう、努めて淡々とアゼルは答えた。しかしその言葉にルシェルは嫌そうな顔をした。

「イヤだよ、座ったら説教が長くなるじゃないか。するならとっとと終わらせてよ」
「……ほほう、何故説教されるかもわかっているのか?」
「知らないけど、説教だってことはわかってるし」
「―――――へらず口はいいから、とりあえず座れ!!」

(る、ルシェル様……これ以上アゼル様を怒らせないでくださいー!)

火に油を注いでいるようにしか思えないルシェルの受け答えに、メナスは身を竦ませてしまう。そんなメナスを見て、ルシェルはやれやれといった風に首を小さく横に振ると、おとなしくアゼルの向かいのソファーに座った。その場所はいつもならば、姫君の定位置だった。

「―――――コレだ」

アゼルはルシェルの目の前に一枚の書類らしきものを置いた。
ルシェルはそれを手にとって、一瞥する。

「報告書の中に混じっていた。それはなんだ?」
「……混じっちゃったのか。気にもしなかったな」

紙には13諸侯全員と姫君の名前が連ねられており、その横に○と×がつけられていた。しかし○がついているのはフィアルのみである。しかも三重○だ。しかし何故か他の人間の中には、×がたくさんついている者もいる。

「なんだ、それは。なんの評価だ」
「これね、僕をルチェって呼んでもいいかどうかの僕的評価」
「……」
「……あら、わたしは×ひとつですね」
「メナスは呼んじゃダメだけど、呼んだとしても可愛いだろうから1個」

そう言ったルシェルはとても微笑ましくて、メナスは思わず笑ってしまったが、それとは正反対にアゼルは眉根を寄せた。

「……俺はどうして×3つなんだ?」
「だって、アゼルに呼ばれても可愛くないから」

どうやらこの青年にとって、可愛いか可愛くないかだけがその判断基準らしい。それにしても……ゲオハルトが×2つなのにどうして自分は×3つなのかと、どうにも腑に落ちないものを、アゼルは感じた。
しかしアゼルなどはまだいい方だった。13諸侯の中で最悪の評価(あくまでルシェル基準だが)をもらったのは、×5つの、斬のブルデガルド候アークである。

「……アークか」
「……アーク様、ですね」

アゼルとメナスは顔を見合わせずにはいられなかった。恐れを知らないあの姫君ならば、腹を抱えて笑い飛ばしただろうが、二人は笑えない。一番穏やかなようで、実は腹黒い彼を恐れない者は、このノイディエンスターク広しと言えど、姫君以外にはいないのだ。気が付くと後ろに立っていたりすることもあるので、アークの話をする時は思わず周りを見回してしまう程だった。

ある意味、あのアークに×5つをつけたルシェルは、度胸がある。密かにアゼルは、目の前のつかみどころのない青年を尊敬した。

「なんで……×5つなんだ?」
「なんでって……そりゃ一番可愛くないからだよ」
「……なんで可愛くないんですか?」
「だって、あの胡散臭い顔で呼ばれても嬉しくないよ。やっぱり僕はフィール以外にはルチェとは呼ばれたくない」

散々な言い様である。……でも、気持ちはわかる。
そして自分が×3つというのも、あながち悪い評価ではないかもしれないと、アゼルは思い直した。

「ルシェル……それをアークの前では言うなよ?」
「……?なんで?」
「何でもだ!そして、調査報告の中にそんなものを入れるな。そういうのを書くのは執務以外の時にしろ」
「……なんで?」
「……何でもだ!」

腑に落ちないような顔で首を傾げていたルシェルだが、とりあえず面倒なので頷いておいた。ルシェルには最初から説教などということは考えずに、とりあえずこうしとけ系の言い方が一番効くのだということを、アゼルはここで一つ学習した。

(「―――――何でもって何よ!?」)

などと反論してくる、あの聡い姫君よりよっぽど扱いやすい。アゼルは彼女に、口で勝てた試しがないのだ。

「もうすぐ……姫も戻ってくる。そしたら、存分に呼んでもらえ」

とりあえずだが、素直に頷いたルシェルに、アゼルは微笑んだ。
しかしそれを見たルシェルの反応は、何故かアゼルを裏切るものだった。

「……アゼル、熱でもあるのか?」
「……なんだその反応は。俺が優しいことを言うのがおかしいみたいじゃないか」
「だって、おかしいし」
「……」

わかっていたつもりだが、ルシェルの頭の中には遠慮、とか気遣い、という単語は存在しない。思ったままをそのまま口にする。なまじ頭がいいキールなどよりは、その言動は可愛らしいと思えなくもないものの、どうにも理不尽さを感じなくもない。

「ああ、もういい。とりあえず執務に戻れ。メナス、お前もだ」
「執務……じゃなくて日向ぼっ……」
「わっ!わかりました!戻ります!ねっ?ルシェル様!」
「……うん」

執務なんてしないで、ぼ〜っと日向ぼっこをしてましたなどと言ったら、せっかく機嫌の直ったアゼルがまた怒り出すのは必至だったので、メナスは大声でごまかした。とりあえず怪しんだ目をしたものの、ルシェルが頷いたので、アゼルはそれを見なかったことにしたらしい。

「それでは、失礼しました」
「……じゃ」

―――――パタン。

静かに閉められた扉を見届けると、アゼルはソファーから立ち上がり、執務机に戻った。
そして、一番窓際に置かれた、主のいない姫君の執務机をじっと見やる。

(―――――言えない……)
(あんなにも、姫のつけたあだ名を気に入っているルシェルには、絶対……言えない)

アゼルは、フィアルがノイディエンスタークに戻ってきた4年前のことを思い出していた。





(「その部隊はルシェルが率います」)
(「―――――誰だって?」)
(「星のエアリエル侯爵家のルシェルです」)
(「ルシェル?……ルシェル……ルシェル……なんだか舌噛みそうな名前ね」)
(「……。そんなことを言われても」)
(「大体名前の中に、同じ文字が二つも入ってるのがいけないのよ、呼びにくいなぁ」)
(「……」)
(「よし!これからその人はルチェ!ルチェって呼ぶことにするわ!」)
(「―――――はぁ!?」)
(「何よ、何か文句あんの?呼びにくい名前してる方が悪いのよ!」)





……などと言う、とんでもなく短絡的な理由でつけられたあだ名だとはとても言えない。
その理由を知っているのは、幸いなことにアゼルだけだ。言わないにこしたことはない。

(姫が不在の時も、結局はあの方の尻拭いなのか……俺は)

結局のところ、自分が一番の貧乏くじなのだと自覚したアゼルは、そのままがっくりと執務机にうつ伏せた。





―――――苦労人の神官長のおかげで、ノイディエンスタークは今日も平和である。