W渡辺
- - - 第1話 渡辺くんと渡辺さん
[ W渡辺Top | 第2話 渡辺くんとたい焼きくん ]

「あ、お疲れさま!悪いわね、渡辺くん」

そう言ってニッコリ笑うのは、2年になってから同じクラスになった相良だ。
しかしそのにこやかな顔に反比例して、俺の機嫌はこの上なく悪かった。
新しいクラスになって2ヶ月。今ではもうこの光景を特別に思う人間は誰もいない。

「雛〜?もうお昼だよ、そろそろ起きよう?」
「ん〜……や〜」

俺の腕に『く』の時でぶら下がっているこのクラスメイト。
『渡辺雛』が、俺の機嫌をいつもどん底まで叩き落す張本人なのである。


* * * * *


くそ真面目で無愛想な優等生。
俺は小学校の頃から大抵そういう位置付けをされるタイプの人間だった。
小さい頃からじい様の影響で剣道をやっていたのも、要因の一つだったかもしれない。だが元々生まれた時から、そういう資質はあったのだろうと思う。
自分で言うのもなんだが、成績は良かった。運動もそつなくこなした。そのせいか、何故か生徒会等の仕事をすることが多かった。
自分でももう慣れていたので、高校2年のクラス替えでまた学級委員に選ばれた時も、大して疑問も抱かずに引き受けた……のだが。
これが今の状態を助長させる要因の一つであることは否めない。

「雛ちゃんって、この時間は絶対に寝てるよなぁ」

相良と一緒に俺の帰りを待っていたらしい時政は、俺の幼馴染だ。こうして昼休みに一緒に弁当を食べるのももう習慣化している。それが何故か二人から、四人になっているのは全く以って不本意ではあるが。

「だって4限って音楽室だもん。雛が寝ないわけないじゃない?」
「だよなぁ?あの部屋日当たりいいし、雛ちゃんの席はなんてったって窓際だしなぁ」
「そうそう。だから帰りは渡辺くんの出番なわけです」
「良かったな、政宗」
「……全然よくない!」

どうして俺が毎回毎回、授業中ずっと寝こけているクラスメイトを運搬しなくちゃいけないんだ。それは学級委員の仕事か!?違うだろう、いや絶対違うぞ。
っていうかお前等もちょっとは手伝おうとかそういう気がないのか?特に相良、お前はこいつの親友だろうが!

「だってあたしじゃ、さすがに雛を連れて帰ってくるのは無理だもん」
「だったら時政でも……」
「あー、オレダメだ。体力ねえから」
「……」

なんという友達がいのない発言だろうか。
そしてまだ幸せそうに寝こけているこいつが一番問題だ。

「雛、そろそろ起きようよ。お腹減ったでしょ?お弁当の時間だよ〜」
「……起きる」

―――――だから。
どうしてお前はその寝起きの良さを、音楽室で発揮できないんだ!
俺の心の叫びなどどこ吹く風で、弁当を頬張る渡辺はとんでもなく幸せそうで……いつも俺は脱力するのである。


* * * * *


そもそもの元凶は、俺とこいつの間に切っても切れない絆があったということだ。
新学期、クラス替えがあったこともあって、席は自然に出席番号順になっていて。
何の因果か……俺の名前は渡辺政宗。こいつの名前は渡辺雛。同じ渡辺、隣同士になることは決まっていたようなものだった。
それでも最初は、本当に最初は普通の奴だと思っていた。だがあまり話すこともなく一週間が過ぎた頃、それは突然やってきた。

「渡辺くん」
「……?なんだ?」
「これ、あげる」

―――――ポイ。

こいつが俺の机の上に、そんな擬音が付きそうな動作で置いたもの。
懐かしのキン肉マン消しゴム……肌色、しかもウォーズマンだ。
俺はそれを呆然と見つめるしかなかった。そんなものをもらっても……一体俺はどう反応すればいいんだ?というか何故この時にキン消しなんだ?それは一昔前に流行ったものではなかったか?
俺が脳味噌フル回転で必死で考えている間に、渡辺はどこかへ行ってしまって、俺はそれからしばらく悶々と悩む羽目になった。結局仕方が無いので筆箱の中にとりあえずしまっておいた。

そして通常の授業が始まった頃、俺の中で普通と位置付けられていた渡辺の評価は、わけのわからない奴、に本格的に書き換えられることになった。

―――――寝ているのだ。

いつもずっとずっと寝ているのだ、それはもう幸せそうな顔で。
まともにちゃんと授業を聞いているのを見たことがない。これには流石に驚いて、必死で起こそうと試みた。―――――が、それで起きるような可愛い眠りではなかった。寝汚いというか、爆睡というか……何をしても起きないのだ。それを教師がそんなに簡単に見過ごしてくれるわけもなく、授業中に渡辺が当てられた時は、本人よりも隣の席の俺の方が肝を冷やしてしまったほどだった。
―――――しかし。
当てられると渡辺はガバリと起き上がり、何もなかったかのように完璧な答えを黒板に書いたのだ。

「できましたけど?」
「えっ?ああ……正解だ」
「じゃー、戻ります」

すたすたと歩いて、席へ戻ってくると、また机に突っ伏す。その態度に教師も俺も、開いた口が塞がらなかった。
1年の時は俺は10組、渡辺は1組。あまりにもクラスが離れていたので知らなかったのだが、こんな渡辺が学年トップの成績を誇る天才だと時政から聞かされた時、世の中は理不尽だと本気の本気でそう思ったものである。

しかしだからと言って、授業中寝っぱなしなのはよくない。
ついでにそれが移動教室の時にされると、渡辺は教室にすら帰ってこないのだ。
一回放置したら、放課後まで教室には戻ってこなかった経過もあり、見ていられなくて、怒って、起こして、世話をやいていたら……。
知らないうちに俺は、渡辺の世話係として周りに認識されてしまっていた。
それに気付いた時、どこまでいっても学級委員の自分をどれだけ恨んだことだろう。


* * * * *


「今日は豚肉の味噌焼きなのです」
「あ、美味しそう」
「ユリ、食べる?」
「食べる食べる!」
「雛ちゃん、オレも食いたい!」
「真辺くんも食べていいよ」

目の前で繰り広げられる光景にもすっかり慣れた自分が悲しいやら何やら。
俺は時政と違って、考えたことが全く顔に出ないので、強面とか言われている位だというのに。

「渡辺くんも、食べる?」
「俺はいい……ぶふっ!」

突っ込むな!返事を聞く前に箸を口の中に突っ込むな!渡辺!
どうしてこんなに理解し難い人間の世話を焼いてるんだ、俺は。

「おいしい?」
「……」

口に物が入っている時に話すのは失礼なので、俺はとりあえず頷くことでそれに答えた。一緒に弁当を食べるようになって、何度もおすそわけをもらっているが、確かに渡辺の弁当は美味い。相良に聞いたら、それはこの寝汚い渡辺が自分で作っているのだという。―――――聞いた時はちょっとした驚きだった。

俺が頷くのを見ると、渡辺はほわぁと笑った。
―――――うっ。
どうにも俺はこの顔に弱いらしい。さっきまであんなにイラついていたのに、この顔を見ると許してしまう自分がいる。でっかくて無愛想な俺と違って、渡辺はちっちゃくて柔らかい……ただそう、ちょっと行動と思考が時々普通じゃないだけだ。

「そう言えば、渡辺くんにあげたウォーズマン」
「あ?ああ、これ……か?」

音楽の教科書と一緒に置いてあった筆箱から、もらったキン消しを差し出すと、渡辺の顔がむむぅ〜と歪んだ。なんだ……どうしたんだ?さっきまでは笑ってたくせに、相変わらずわからない奴だな。

「ダメだよ!こんなんじゃダメ!」
「は?」
「マジック貸して!マジック!」

あまりの剣幕に俺は思わず、筆箱からマジック(ぺんてる、しかも油性)を差し出した。すると渡辺はそれをマジックで真っ黒に塗り始めたではないか。

「ウォーズマンは黒いの!」
「……」

いや、だからどうしてお前の話はそう……突拍子がないんだ。確かに黒いけど、渡された時は肌色だったんだから仕方ないだろう。塗れとかお前言わなかったじゃないか。そんな俺の気持ちを感じ取ったのか、渡辺はキッと俺を睨んだ。―――――でっかい目だなぁと、ぼんやり思った。

「渡辺くんは、えっちだ!」
「……!?」
「ウォーズマンをヌードで放置するなんて人でなしだ!」

―――――ちょっと待て!
なんだか今、俺はとんでもなく不名誉なことを言われた気がするぞ!大体キン消しにヌードもくそもあるか!?

「「ダッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!」」

言い返そうとした時、俺の両隣から、それはそれは大きな笑い声が聞こえた。
見れば相良と時政が、これ以上ないくらいおかしくておかしくてたまりませんという顔をして、腹を抱えて笑っている。俺は自分の眉間に深い皺が刻まれるのを自分で自覚した。そんな俺達を他所に、渡辺はひたすらにマジックを動かしている。

「ひ……雛ちゃん……サイコーだよ……くっくっくく……」
「もうやめて〜……涙出ちゃう……」
「お前等……」

俺が二人を怒鳴ろうとした時、渡辺の手が止まった。塗り終わったか……そうか満足だろう、満足だろうなぁ。

「出来た」
「……」
「はい、あげる」

そしてまたくれるのか、俺に。ヌードじゃないウォーズマンを。
怒る気力を削がれて思わず肩を落とした俺を、渡辺は不思議そうに見つめている。自分のせいだとは欠片も思っていないだろうな……この様子じゃ。なんだかおかしくなって小さく笑うと、渡辺はびっくりしたように目を見開いた。

「渡辺くんが笑った」

―――――オイ。
悪かったな、めったに笑わない男で。

「ね、もっと笑って?」
「……そんなこと言われたら笑えない」
「だって大好きなウォーズマンをあげたんだよ?ねえ、笑って?」

―――――大好きだったのか、珍しい奴。
手の中の渡された消しゴムを思わずマジマジと見つめてしまう。そんな俺を見て、渡辺はまたほわっと笑った。
ああ、俺もこの顔、好きだな……やっぱり。

「ウォーズマンは大好きなの。似てるの」
「……?」
「おっきくて、強くて、無口なんだけど、優しいんだよ」


* * * * *


「どうしてあんなにあからさまなのに、お互いに気付かないんだろうね?」
「……理解に苦しむよな?」

―――――二人がお互いを名前で呼び合うのは、もう少しだけ先のことである。