W渡辺
- - - 第2話 渡辺くんとたい焼きくん
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「マサムネ、たい焼き」
「学校帰りの買い食いは……」
「正しい栄養補給でーす!」

違うだろ、とツッコむ前に雛はたい焼きを買いに走ってしまった。
仕方なく、俺はそのたい焼き屋の前にある公園のベンチに座り、戻ってくる雛を待つ。
案の定幸せそうな顔をして、雛はとてて、とこちらに走ってきた。

付き合い始めて1ヶ月。名前で呼び合うことにもようやく慣れ始めた最近になって、分かったことがある。
雛の中でまず優先されるのは、睡眠欲。そしてその次が食欲であるということだ。あんな小さな身体でよくもまぁそんなに食べるものだと感心してしまう。まぁ食べているとは言っても、その量が微々たるものだからこそかもしれないのだが。

「マサムネ、たい焼き!はい!」
「ああ、ありがとう」

こうなれば食べるしかないので、俺は素直にそのたい焼きを受け取る。
雛は嬉しそうに微笑むと、自分の分のたい焼きをはむはむと頬張りだした。その仕草は本当に小動物のようで、可愛い。そう敢えて例えるのなら雛はハムスターにそっくりだ。あの小さいくせに口いっぱいに食べ物を詰め込む仕草もウリ二つだ。ただ本人に言うと、「ちっちゃいっていうな!」と怒るので不用意に口に出したりはしないが。
知らず笑顔になって、俺は手の中で湯気を立てる、焼きたてのたい焼きに口をつけた。

―――――が。

「……雛」
「なぁに?」
「これ、なんだ」
「は?やだなぁ何言ってんの、マサムネ。たい焼きだよ?た、い、焼、き!」
「これはたい焼きじゃない!」
「たい焼きだよ!新発売のバナナクリーム味!」

―――――バナナクリーム味だと!?

「たい焼きの中身は普通あんこだろう!」
「そんなの決まってませーん。たい焼きは鯛の形であればたい焼きなんだもん」
「そんな屁理屈を……!ってなんで雛は普通のたい焼きなんだ!」
「私、あんこが好き」
「俺だってあんこが好きだ!」

なんだ!?バナナクリームってのは!そんな邪道なものが食えるか!
珍しく感情が顔に出ていたらしい俺を見て、雛は驚いたように目を丸くした。そのまま、俺の顔を凝視して、自分の手の中のたい焼きを見やり、また俺を見上げる。

「あんこがいいの?」
「……いや、そこまであんこにこだわってたわけじゃないんだが」

一呼吸置くと、自分でもなんだか大人気なかった気がして、俺は口篭もった。
そりゃバナナクリームなんてモノよりは、あんこがいいが、今更そんなことを言ってももう口をつけてしまったわけだし、雛はあんこが好きだと言っている。このままおとなしく俺が、バナナクリームを食せば何の問題もないように思えた。
そんな俺の内心の葛藤にまったく気付かない雛は、何故か俺の目の前に、ズズィっと食べかけのたい焼きを差し出す。

「?」
「はい、いいよ食べて」
「……え」
「マサムネがそんなにあんこ好きだったなんて知らなかった。これからあんこマサムネって呼んでもいーい?」
「違う!」

なんだその不名誉極まりないミドルネームは!
雛……頼むから普通の発想をしてくれ。常識人の俺は、お前のその底知れぬ想像力にいつも打ちのめされるんだ。

「いいからハイ、食べて」
「いや……って!モガッ!」

いいからお前が食べろ、と言おうとした俺の口に、たい焼きが容赦なく突っ込まれた。
口の中をよく知っているあんこの味が満たしていく。仕方なく俺はそのたい焼きを半分ほどのところで噛みちぎった。

「おいしい?」

雛があんまりにも邪気のない顔で見上げてくるものだから、口を動かしながら俺も素直に頷いた。

―――――しかし。

そんな俺を見ながら、満足そうに微笑んでいた雛の顔が、突然うにゅ〜と歪んでいく。それはあまりにも突然の変化で、俺は戸惑った。

「どうした?」

やっぱりあんこが食べたかったのかと少しだけ申し訳ないような気持ちで問いかける。

「ねえマサムネ。昔、『泳げ!たいやきくん!』っていう歌、あったよね」
「……」

―――――出た。
最近ようやく慣れつつあるが、雛はなまじ頭がいいせいか、急に思考が突拍子も無いところへ飛ぶことがある。それを何のためらいもなく受け入れる域にまで、俺はまだ達していない。軽く流せばいいと分かっていても、生真面目な性格が災いして、どうしてもそれができない、と言うのが正直なところかもしれなかった。

「あれって、焼かれるのがイヤで逃げ出して、海に飛び込んで、結局釣り人のおじさんが釣り上げて食べたって歌だったよね?」
「ああ、そんな歌だったような気がするが……」
「あのたい焼きって、あんこだったんだよね、確か」

おなかのあんこが重いけどぉ〜♪と、雛は歌って見せた。
確かにあのたい焼きはあんこだったはずだが……それが何だって言うんだ?頭の中にいくつもいくつもハテナマークが浮かんでは消える。

「あんこって作る過程で隠し味に塩を入れるの」
「……そうなのか?」

というか、どうして俺達は公園で帰り道にあんこについて語っているんだ?俺はあんこの隠し味より、そっちの方が100倍気になるぞ!
そんな俺の心の叫びに気付かないまま、難しい顔をして雛は続ける。

「でもバナナクリームが塩味だったらイヤだよねぇ」
「……」
「いくら釣り人のおじさんでも食べないよね。それとも釣りってそんなにおなかの減るスポーツなのかな?だったら食べるかなぁ?」
「……雛」
「そう考えると、あの歌のたい焼きの中身の選択肢って狭いね。クリーム系は避けたいよね」
「……雛」

ああ……だから!!
なんだってそんな無駄な思考にお前は時間を割くんだ!
バナナクリームが塩味だろうが、釣りがハードなスポーツかどうかなんて、知ったことか!授業中はずっと寝ているくせに、起きている時はそんなことばっかり考えてるのかお前は!なのになんで俺より成績がいいんだよ……世の中間違ってないか?

と、ちょっと私的なことも考えた俺の顔はどうやら歪んでいたようだ。
無意識のうちに皺が寄っていたのだろう。雛は指を伸ばして、ちょん、と眉間をつついた。
俺がベンチに座って、雛が立っているからなのか、いつもと目線が全然違う。そうでなければ小さい雛が俺の眉間をつつくことなどできない。

「マサムネは、あんこ好き?」
「いや、好きってわけでも……」
「クリームとあんこならどっちが好き?」
「あんこだろ」
「……ふむ」

ふむ?
なんでそこで感心したように頷くのかがイマイチ理解できない。小さく首を傾げると、雛は笑いながらまたわけのわからないことを言った。

「マサムネは、和食派!」
「―――――は?」
「そして、和菓子派!」
「……」
「違うの?」
「いや……違わないが」

確かに俺は和食が好きだ。洋食が嫌いなわけじゃないが、どちらかと言えば和食の方が嬉しい。
しかし何が何だかよくわからないぞ、雛。お前の思考は一般人には深すぎる。

「いいの、気にしないで」
「そう言われても」
「これはリサーチなのです」
「何の調査だ?」
「バナナクリームによる、マサムネ研究の一部なの」
「……あのな」

いい加減頭が痛くなってきた。
俺は半分まで食べたたい焼きを持ったまま、ベンチから立ち上がった。途端に雛の頭は俺の下になる。やっぱりこの方が落ち着く気がした。
しかし―――――結局のところ雛は何が言いたかったのだろう。
結局残りのたい焼きは、俺があんこ、雛がバナナクリームを食べることになった。片手に鞄、片手にたい焼きを持って、俺達は並んで家路に着く。夕陽に二人の長い影が伸びた。
ついこの間まではそうではなかったことが、少しずつ、日常になってゆくのが―――――くすぐったくて、心地よかった。

それから雛が作る弁当の中身に和食のおかずが増えたことに、気付いたのは随分と後のことで。


* * * * *


「ねえでも、もしも逃げ出したのが大判焼きとか、大阪焼きだったら、海には逃げ込まなかったかもだよね」
「……雛。もうそこらへんで、やめとけ」

それでもやっぱり―――――この思考にはついていけないどこまでも常識人の俺だった。