W渡辺
- - - 第20話 渡辺くんと従兄弟くん 前編
[ 第19話 渡辺くんとプロフェッサー | W渡辺Top ]

「政宗」
「?」
「明日からね、幸村くんが来るから」
「……ああ、もうそんな時期か」

まるで菩薩のようだと時政には評されている母さんから、昨日の夕食後に告げられた言葉は、俺にとってはさほど意味を持つことでも、珍しいことでもなかった。

「おお!幸村が来るのか」
「嬉しそうですわね、お義父様」
「あれは鍛えがいがあるからの。政宗もよい練習相手が来て嬉しいだろう?」
「いや、向こうはもう試験休みなんでしょうけど、俺はこれからなので練習に付き合う余裕はありませんよ?」
「なるほど……まぁ勉強は学生の本分じゃから仕方ない。このワシがビシバシ鍛えてやるわ」

ハハハと大声で笑うじいさまを微笑ましいと思うと同時に、俺は少し複雑な気持ちだった。
ついこの間までのじいさまだったなら、試験期間中だから相手ができないなどという言葉をそのまま受け入れてはくれなかっただろう。間違いなく普段から勉強しておれば直前に慌てることなどない!と一喝されたはずだ。

それがどうだ、この理解ある態度は。
生きる化石のようだったじいさまがこんなに急激に丸くなった原因は、やはり雛なのだろうか。

遊びに来る度に将棋だの囲碁だのをやりあっていた2人だが、最近それすらを超越し、チェスを始めたらしい。しかもそれがじいさまは大層気に入ったようで、ここ最近は縁側でチェス板に向かうという何とも奇妙な光景が見られるようになってしまった。

雛にいたっては、「チェスに飽きたら今度はポーカーかなぁ?」などどのんびり言い出しているから怖い。
じいさまが、ポーカーって……一体。

しかしこの丸くなったじいさまを見て、あいつはどう思うんだろうか。
嬉しそうに会話を交わしている母さんとじいさまをぼんやりと見つめながら、俺はそんなことを考える。

いや―――――じいさまより何より、問題は隣の幼馴染だ。

明日の昼休みの光景が頭に浮かんだ瞬間、俺はどっと疲れを感じた。そしてその予想ははずれることはなかったのである。


* * * * *


俺にとっては意味のないことでも、珍しいことでもないとしても、その現実を決して受け入れられない男が、俺の側には約1名いる。

「ゆ、き、む、ら、だぁ?」
「……いつものことだろ?いい加減に慣れろ」
「慣れられるかぁ!」

怒り心頭という顔で叫ぶ時政に、俺は顔を歪めた。
まぁ時政がこういう反応を返してくるであろうことは予想済みだったので、俺は半分その叫びを流しつつ弁当を口に運ぶ。雛の作ってくれる弁当は、相変わらず美味い。あんな難解な発想をするわりに、料理に関しては雛はどちらかというと保守的だった。おそらく本人が食べることが好きで、こだわりがあるからなんだろう。
だからかつてのマンゴーづくし弁当はきっと雛本人も不本意だったはずだ……と信じたい。

「ユキムラ?」
「それ、誰なの?」

けれど時政の叫ぶ事情が全くわかっていない雛と相良がこういう反応を返してくるのは当然のことで、俺は一度箸を止めて口を開いた。そもそも、隠すようなことでもないのだ。

「従兄弟だ」
「いとこ?マサムネの?」
「ああ、同じ歳の従兄弟だ。今日から向こうが試験休みの間、うちに泊まってじいさまの稽古を受けに来ることになってる」
「へぇ」
「ついでに言っておくが、時政とはこれ以上ないくらいに仲が悪い」
「ああ……だからあんなに真辺くんが叫んでるのね」

時政の様子を見てくすくすと笑っている相良は、完全な傍観者モードでおもしろがっているし、「へぇ」の一言で終わらせた雛は、幸村を完全に興味のない方へ振り分けたようだ。それなりに毎日顔を合わせて話をするような関係になってくると、二人の心もなんとなく分かるようになってくるから不思議である。

「雛」
「なぁに?」
「この海老しんじょ、美味い」
「うん、自信作!銀杏がポイントなの!」
「抹茶塩で食べるってのもいいな」
「おいしい?」
「ああ、美味い」
「へへ」

状況を無視して弁当のおかずについて話し始めた俺達の態度は、時政は大いに不満だったらしい。
まぁそれもそうなのだろうが、幸村が来る度につらつらと語られる時政の文句に付き合わされる俺からすれば、弁当くらい平和に食わせてほしいというのが本音だ。

「オレがこんなに叫んでいるのに、さらりと無視すんなよ」
「仲が悪いのはお前と幸村で、俺は元々関係ないだろう」
「仲が悪いとかいうレベルじゃねえだろ、オレとアイツは!」

犬猿の仲、というのはこのことなのだろうと確かに思う。
今は少し離れた街に引っ越してしまったのだが、小学校までは幸村はうちの近所に住んでいて、じいさまの稽古を受けるために毎日のように通ってきていた。そこで毎日同じように入り浸っていた時政と顔を合わせるのも必然で、元々の相性が異様に悪い二人は、しょっちゅう喧嘩をしていたのだ。

「幸村くん、だっけ?どういう人なの?」
「よく聞いてくれた、百合ちゃん!アイツはな!」

時政が目を爛々と輝かせて相良にずずいっと近寄った。
お前何を言うつもりだ、何を。さすがの相良も少し身を引き気味じゃないか。

「政宗よりでかくって!」

まぁ……身長だけ見れば確かに俺よりでかいけどな。

「政宗より真面目で固くて無愛想で!」

まぁ……まるで以前のじいさまの生まれ変わりのような性格だからな。

「政宗よりも口が達者で、目つきが悪くて、融通が利かなくて、イヤミったらしくて!」

時政……お前、俺をなんだと思ってるんだ?

「そして決定的に違うところは、アイツが超女嫌いってところだ!」

人を女好きみたいに言うな!!

高らかに叫んだ時政の頭に、ゴイン!と音がするくらいのゲンコツをくらわせる。一瞬黙った時政だが、すぐに少し涙目で俺を睨み付けてきた。

「なんでオレを殴るんだよ!」
「幸村の特徴は確かに事実だが、俺を比較対象にするな」
「なんだよ、比較対象がないと百合ちゃん達にわかりにくいじゃねえか」
「それもそうよね、おかげでなんとなくわかったし」
「相良……」
「とにかく嫌な奴なんだ!百合ちゃんも雛ちゃんも絶対近寄らない方がいいからな!」

オレが守ってやるけど!と鼻息を荒くしている時政を呆れた顔で見ていると、弁当箱を置いて雛がクイクイと時政の袖を引いた。

「ねえねえ、時政くん」
「ん?」
「そのユキムラって、おっきいの?」
「……へ?」

予想もしていなかったことを聞かれて、時政は目を見開いた。
―――――あれ?
気のせいか?先程まで全く幸村の話題に全く興味がなさそうだった雛の瞳が、キラキラしているように見えるのは。

「で……でかいことはでかいけど」
「ねぇ、無口?」
「まぁ普段は……そうだけど。イヤミ言う時だけスイッチが入りやがるんだ」
「髪の毛は黒い?」
「く、黒いけど……雛ちゃん?」

時政も聞かれる内容に思い当たったらしい。
先程までの勢いはどこへやら、非常に複雑そうな顔をしている。

「……雛」
「マサムネ、私ユキムラに逢いたいなぁ」

お前さっきまでひとっかけらも興味なかっただろ!
時政の言った幸村の特徴が、自分の理想のベイダーに当てはまるから逢いたいだけだろ!
しかも逢ったこともないのに呼び捨てか!?

「大丈夫だよ?一番はマサムネだから」
「……そういう問題じゃない」
「雛ちゃん、アイツは女嫌いだから、冷たくイヤミを言われるよ?」
「大丈夫だよ、マサムネが一緒だから。でもユキムラが見たいの」

時政が余計なことを言ったせいで、雛の中で幸村は興味ないゾーンから興味あるゾーンに振り替えられたらしい。
俺がジロリと睨み付けると、時政は自分のせいじゃないというように必死に首を振った。

「マサムネがダメなら、ジイに見せてもらうもん」
「雛……」
「ね?いいでしょ、見るだけでいいから」
「……」
「ね?」
「……見るだけだぞ」

結局折れた俺の言葉に、わーい!と雛は喜んでいる。
それを見て非常に複雑な顔をしていたであろう俺の耳元に、時政がぼそぼそと呟いた。

「でもさ、あのじいさまを懐柔しちまった雛ちゃんだぜ?幸村も、もしかしたら……」
「何が言いたいんだ」
「お前とか幸村みたいな真面目な奴は、雛ちゃんみたいな自分の価値観をぶっ壊すタイプに弱い気がするんだよ」
「……」
「どうすんだよ、幸村が雛ちゃんに惚れたりしたら!」
「あの幸村がか?」
「絶対ないって言い切れるのか?お前絶対に雛ちゃんの側から離れるなよ!」

いや、それはまぁ言い切ることはできないが、あんまりありえない気がする。
同じように歴史上の人物の名前をつけられた、融通のきかない真面目な従兄弟。
幸村のいつもの来訪が、今回ばかりはいつもどおりにはいかない予感がして、俺はただ純粋に喜ぶ雛をじっと見つめていた。