この写真はいずれも釧路市北大通りにある幣舞橋(ヌサマイ橋:全長124.6m、)の夕景です。釧路の幣舞橋は、札幌の豊平橋(全長132.2m)、旭川の旭橋(全長226.0m)と共に北海道3大名橋といわれており、日本百名橋の一つにも数えられている釧路市きっての名所です。特に、橋からの夕陽の美しさと、霧深い釧路の霧の幽玄な光景が、他の名橋を圧倒しているそうです。<そうです>というのは、筆者が釧路十勝地方を訪れたとき、摩周湖は一寸先も見えない霧の中、阿寒湖は雲が低く垂れ込め、釧路、帯広は雨の中という具合で、霧か夕陽か、幣舞橋絶景のどちらも見られない、残念な経緯があったからです。そのため此処にある三枚の幣舞橋の写真は釧路市から借用しています。 幣舞橋は釧路駅から南南東に北大通りを2kmほど下った釧路川に掛かる、一番河口に近い橋です。【地図】 |
|
幣舞橋は初代の<愛北橋>を含めるとこの場所に掛かる橋としては6代目、<幣舞橋>としては5代目で、現幣舞橋は昭和51年に竣工しました。そのとき橋中のブロンズの彫像を始め橋全体が霧の釧路にふさわしい詩情豊かな様式に作り変えられたのです。こうした橋となった最大の原因は、昭和43年に下掲の宇佐英雄作詞作曲で美川憲一の歌った「釧路の夜」がミリオンセラーとなって、全国的に有名になっていたことにもあります。また幣舞橋はこの他にも「霧のヌサマイ橋」など数多くの歌謡曲の題材となって霧の釧路の象徴ともなっています。 幣舞橋(ぬさまいばし)の名称は、北海道の他の地域名同様アイヌ語から派生したもので、<ヌサマオイ>を語源としています。<ヌサ>は”木幣”、すなわち木をカンナのようなもので薄く削って紙のようにしたもの(紙幣や幣束など、紙の幣=ぬさ、を木で作ったようなもの。幣束、幣は、日本語でも<ぬさ>とも言いますので、カムイ=神居などのように、ア・日語相互の影響もうかがわれます。)です。一方<マオイ>は”抱かれている”という意味です。一説に、昔、釧路川の上流から木幣(ヌサ)が流れてきてアイヌ集落の川縁に引っかかっていた(マオイ)ものに、家紋が描かれたていたところから、この川ぶちが<ヌサマオイ>と呼ばれ、”神聖な場所”であるとされ、そこが現在幣舞橋の掛けられている場所であった、という事が橋の名称の縁起とされています。(釧路市観光振興室) |
幣舞橋のたもとに建てられた「釧路の夜」歌碑 |