昭和43年(1968年) JRAC No.028-0834-0 |
釧路「幣舞橋」 (C)釧路市 |
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釧路の夜 | ||
作詞:宇佐英雄 作曲:宇佐英雄 歌唱:美川憲一 編曲・制作:滝野細道 |
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(一) 貴方のつめたい そのひとみ なぜに私を いじめるの やさしく抱いて ほしいのに 女心も 知らないで 貴方がにくい 貴方がにくい |
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(二) 風のつめたい 釧路川 今日も一人で 来てみたの しばれた心を 抱きしめて 女心も 知らないで 貴方がにくい 貴方がにくい |
(三) 霧は降る降る 今日も又 一人歩きの ヌサマイ橋よ 船の汽笛も 泣いている 女心も 知らないで 貴方がにくい 貴方がにくい |
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「釧路・幣舞橋」はこちら *08/JUL/27 |
作詞作曲の宇佐英雄は、この「釧路の夜」の舞台の釧路市出身です。「釧路の夜」は故郷のことを曲の材にしたいわば彼畢竟の作なのでしょう。宇佐は19歳の時に故郷を離れ、シンガーソング・ライターとして自分で作った<長岡ブルース>などを<流し>で弾き語り、温泉場や繁華街の飲み屋を流していました。ある時岐阜市の柳ヶ瀬で<長岡ブルース>を歌って流していたところ、美川憲一の歌をどうしようかと考えていたクラウン・レコードのディレクターの目に留まり、<長岡ブルース>が「柳ヶ瀬ブルース」となって結実し120万枚の大ヒットとなりました。続いて宇佐英雄は故郷を題材とした「釧路の夜」を作詞作曲し、美川2番目のミリオンセラーとなり、美川憲一の<NHK紅白歌合戦>初出場歌となりました。その後は「さそり座の女」は中川博之に代わりましたし、「お金をちょうだい」や「女とバラ」など中ヒットはあったものの、見るべきものがありません。現在もこの2曲の著作権や印税だけで悠々自適の生活が送られるそうですから、最近カラオケなどでいかに見直されているかが分ります。これだけのヒットがありながら後続があまりなかったということは、彼自身の歌に対する孤高の姿勢が影響していたのではないか、と想像されます。しかし、最近の美川憲一の復活は宇佐に対しても貢献余りあるものがあります。美川憲一は、<もっと、端っこ歩きなさいよ>で完全復活しましたが、よく己に克ったものです。 【上掲の幣舞橋(ヌサマイ橋)の写真の著作権は釧路市にあります】 |