昭和13年(1938年)          JASRAC No.000-0999-7 
愛国の花
富士と桜  富士吉田浅間神社の桜

作詞:福田正夫
作曲:古関裕而 

歌唱:渡辺はま子
MIDI制作:滝野細道  

(一)
真白き富士の けだかさを
こころの強い 楯(たて)として
御国(みくに)につくす 女等(ら)
輝く御代の やま桜
地に咲き匂う 国の花  

(三)
御稜威(みいつ)のしるし 菊の花
ゆたかに香る 日の本の
女といえど 生命がけ
こぞりて咲いて 美しく
光りて匂う 国の花
 

(二)
勇士のあとを 雄々しくも
家をば子をば 守りゆく
優しい母や また妻は
まごころ燃ゆる 紅椿
うれしく匂う 国の花
  
八洲秀章&抒情歌  童謡・唱歌・懐メロ  昭和戦前の流行歌・新民謡 
*08/SEP/07
Photoes taken by Hosomichi 2004

渡辺はま子は、ヒット曲をとばして全盛時代に、内務省より「忘れちゃいやョ」の<ねえ>がエロをそそるとしてレコード発禁となり、続く「とんがらかっちゃ駄目よ」などで内務省に睨まれ、1年間歌手として歌唱謹慎。路線を変え、この「愛国の花」で愛国歌手としてカムバック。以後この曲や、「支那の夜」「蘇州夜曲」「何日君再来」など支那物を携え、ハードな戦地慰問、終戦時中国天津で一年間の虜囚生活をおくる。帰国後戦時中の行為をおおいに反省しまた謹慎生活をおくった。後、歌手として「雨のオランダ坂」でカムバック、罪ほろぼしの意もあって、モンテンルパのBC級戦犯救出に多方面で奔走、ハンセン病患者の支援に立ち上がる、という波乱万丈の人生をおくった。戦争中の自分の行為を完全に反省した立場から見ると、この「愛国の花」は手で顔を覆いたくなるようなものだったに相違ない。
御稜威(みいつ)とは、厳(いつ)を敬って言う言葉で、神や天皇の御威光のこと。