昭和15年(1940年)
JASRAC No.000-0384-1

太平洋戦争を生き延びた「氷川丸」
Photo taken by Hosomichi
暁に祈る
松竹大船映画「暁に祈る」主題歌

作詞:野村俊夫
作曲:古関裕而
歌唱:伊藤久男
制作:滝野細道

(一)
ああ あの顔で あの声で
手柄頼むと 妻や子が
ちぎれる程に 振った旗
遠い雲間に また浮かぶ
 

(三)
ああ 傷ついた この馬と
飲まず食わずの 日も三日
捧げた生命 これまでと
月の光で 走り書き
 
(二)
ああ 堂々の 輸送船
さらば祖国よ 栄えあれ
遥かに拝む 宮城の
空に誓った この決意
 
(四)
ああ あの山も この川も
赤い忠義の 血がにじむ
故国(くに)まで届け 暁に
あげる興亜の この凱歌
 
 童謡・唱歌・懐メロ 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡 昭和戦後の歌謡曲・演歌    *08/SEP/05

<氷川丸>は昭和5年(1930年)日本郵船により竣工され、豪華客船として
太平洋航路に就航しチャップリンなども乗船したが、太平洋戦争の勃発とと
もに病院船として転身した。しかし、当時の軍部がそのまま済ますはずがなく、
燃料軍事物資などの輸送船としても徴用し、連合軍から臨検された場合は直
ちに自爆沈没できるような装備をしていたという。監視は続けられたが臨検され
ることもなく、三度機雷に触雷したが、太平洋戦争を生き延びた数少ない大型
商船となった。姉妹僚船の<日枝丸><平安丸>は海軍に徴用され戦没して
いる。本船は戦後も昭和35年(1960年)まで太平洋航路で現役を続け、引退後、
横浜市山下公園に繋留され今日に至っている。
この「暁に祈る」は松竹大船映画「暁に祈る」の主題歌で、戦後シベリア抑留中
に起こったリンチ事件<『暁に祈る』事件>とは関係は無い。


画像:Hikawa MaruHospitalShip.jpg
戦時中の病院船としての<氷川丸>著作権↓

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