昭和39年11月(1964年)     JASRAC No.000-0940-7
アンコ椿は恋の花
波浮港
八洲秀章&抒情歌 童謡・唱歌 懐メロ
*10/OCT/23 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ
(二)
三原山から 吹き出す煙り
北へなびけば 思い出す

惚れちゃならない 都のひとに
よせる思いが 灯ともえて
あんこ椿は あんこ椿は
あ・・・・・・あ すすり泣き
作詞:星野哲郎  作曲:市川昭介  歌:都はるみ  MIDI制作:滝野細道
(一)
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く 波浮港

いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ いったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あ・・・・・・あ 片便り
(三)
風にひらひら かすりの裾が
舞えばはずかし 十六の

長い黒髪 プッツリ切って
かえるカモメに たくしたや
あんこつぼみは あんこつぼみは
あ・・・・・・あ 恋の花

アンコ椿は恋の花
都はるみ(みやこ はるみ、本名:北村晴美、昭和23年(1948年)2月22日〜、京都市出身)は、高校生で上京し、16歳の時「困るのことヨ」でデビューしましたが、同年この「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、一躍一線の演歌歌手の仲間入りを果たし、翌年(昭和40年)、「涙の連絡船」の大ヒットが続いたことで、一流演歌歌手の立場を不動のものにしました。その後一時期、「好きになったひと」、「レモン月夜の散歩道」、「おんなの海峡」などのヒットはあったものの、メガヒットはなく単なる一流歌手で終わりそうでしたが、昭和50年の「北の宿から」の大ヒットで息を吹き返し、一躍昭和の演歌を代表する歌手となりました。続いて「大阪しぐれ」(昭和55年)、「ふたりの大阪」(昭和56年)、「浪花恋しぐれ」(昭和58年)の大阪三部作をはじめ、五木ひろしとのデュエット「ふたりのラブソング」(昭和59年)などの大ヒットを飛ばし続け、NHKの<紅白歌合戦>司会者が『都はるみはもう美空ひばり超えたなあ・・・』などと感慨に耽っていたら、誤って『次は美空ひばりさん!』と呼んでしまった、という絶頂期にありながら、『普通のおばさんに戻りたい』などと言って、引退してしまいました。都はるみは、美空ひばりが死去した翌年(平成2年)に歌謡界にカムバックしましたが、かつての輝きは取り戻せませんでした。
この歌の作詞者星野哲郎氏は平成22年11月15日に85歳で逝去されました。「いっぽんどっこの唄」、「みだれ髪」、「函館の女」、「おんなの宿」など、数々のヒット曲を残した大作詞家でした。