清水かつらには、「靴がなる」「緑のそよ風」と、とびきり明るい詞のものがある一方で、「叱られて」や、この「あした」のようにわけの分からない暗い歌があります。この「あした」は一般に<赤い船に乗って帰ってくる父を楽しみにして待つ母子の会話>ということになっているようですが、そう単純なものとは思われません。状況は「里の秋」と同じようですが、「里の秋」の母子が父の帰りを確信し、落ち着いた雰囲気であるのに対し、この「あした」はとても不安定な状況です。なぜ母はずっと泣いているのか?なぜ幼児が母を諭さなければいけないのか?朝、浜に出れば赤い船が本当に見える可能性があるのか?物でなく笑顔がなぜ一番のお土産なのか?普通はあり得ない赤い船の象徴するものは何か?・・・謎だらけです。こうした状況から、この歌はシベリアに抑留された”父さま”を待ちわびる歌だ、という人もいますが、いかんせん、書かれた年代が違います。大正9年という年は、鈴木三重吉の<赤い鳥運動>の始まった翌年です。
これはどうも、4歳の時に母と別れた清水かつらの生い立ちと深い関係があるようです。清水かつらが2歳の時、かつらの弟を亡くした母は精神に変調をきたし、一家を離れなければならなくなりました。その後新しい母が来て、と「叱られて」に繋がっていきます。この歌の題の「あした」とは、望んでも果たされるはずもない願いを、現実で駄目と決め付けないで、<あしたに希望を繋ぐ>の「あした」なのです。問題先送りの「あした」ではなく、絶望的な状況から心を救おうとうとする「あした」なのでしょう。その辺のところを聞いて理解していた弘田龍太郎によってこのようなメロディーが付されたのでしょう。
あした
作詞:清水かつら(PD)
作曲:弘田龍太郎(PD)
MIDI制作:滝野細道
(一)
お母さま
泣かずに ねんねいたしましょ
赤いお船で 父さまの
帰るあしたを たのしみに
(二)
お母さま
泣かずに ねんねいたしましょ
あしたの朝は 浜に出て
帰るお船を 待ちましょう
(三)
お母さま
泣かずに ねんねいたしましょ
赤いお船の おみやげは
あの父さまの 笑い顔