昭和40年(1965年) JASRAC NO.067-8717-7 
芭蕉布 
      
【ウチナー チュラカギー】 Photoes taken by Hosomichi in 1967

作詞:吉川安一(C)    歌唱:夏川りみ
作曲:普久原恒勇(C)   MIDI制作:滝野細道 

(前奏)
(一)
海の青さに 空のあお
南の風に 緑葉みどりば
芭蕉はなさけに 手を招く
常夏とこなつの国 した島 沖縄うちなー
 
(二)
首里しゅり古城こじょうの 石だたみ
昔をしのぶ かたほとり
みのれる芭蕉 れていた
緑葉みどりばした 我した島沖縄  

(間奏)
(三)
今は昔の 首里天しゅいてぃんぢゃなし
とうヲゥーつむぎ はたを
上納じょうのうささげた 芭蕉布
浅地あさじ紺地くんじの 我した島沖縄〜  我した島沖縄

童謡・唱歌 懐メロ 八洲秀章&抒情歌 *2012/JAN/05 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ 

この「芭蕉布」は昭和40年、まだ沖縄が本土復帰を果たしていない頃、吉川安一
により作詞され、普久原恒勇により、沖縄の音階にそわないメロディー(沖縄調は
一か所のみ)が付けられ、沖縄中でヒットしていたとのことです。 細道も所用で復
帰前の沖縄に何度か訪れました。 渡航に当たっては【渡航証明書】が必要で、そ
の取得は現在のVIZA申請とは比べものにならないくらいの日時と審査を要しまし
た。 一方沖縄の人はめったに本土には来られませんでした。 なにしろ当時は通
貨は米ドルで “Occupied Territory”が随所に見られ、政府は米国弁務官の下の
琉球政府でした。 道路は右側通行、 商店は英語の看板も多く、 ズラリと並んだ
“Pawn Shop” が質屋であることを初めて知りました。その時はこの「芭蕉布」とお
ぼしき曲には遭遇できませんでしたが、本土で有名になったのは、復帰して10年
を経た1978年NHK「名曲アルバム」を待たねばなりませんでした。
芭蕉布は文字通りイトバショウの繊維で織った布で、麻布のように夏の着物用に
使用します。 上の写真のチュラさんの着物は芭蕉布、手に持った物は芭蕉扇子
かもしれません。