河骨の花
骨まで愛して
昭和41年(1966年)    JASRAC No.077-0207-8
骨まで愛して
作詞:川内康範(C)
作曲:北原じゅん(C)  
  歌唱:城卓矢
  MIDI制作:滝野細道

(一)
生きてるかぎりは どこまでも
探しつづける 恋ねぐら
傷つきよごれた わたしでも
骨まで 骨まで
骨まで愛して 欲しいのよ

  (三)
  なんにもいらない 欲しくない
  あなたがあれば しあわせよ
  わたしの願いは ただひとつ
  骨まで 骨まで
  骨まで愛して 欲しいのよ
(二)
やさしい言葉に まどわされ
このひとだけはと 信じてる
女をなぜに 泣かすのよ
骨まで 骨まで
骨まで愛して 欲しいのよ

  
河骨(コウホネ)は、スイレン(睡蓮)科の花で、
  湿地や沼の水面で花を咲かせます。水中にあ
  る根茎(蓮根)が真っ白で骨のように見えるの
  で河の骨と呼ばれます。しかし河骨の花言葉
  には、「秘められた愛情」という意味があります。

  
Photo by Hosomichi コウホネ

童謡・唱歌 懐メロ 八洲秀章&抒情歌    *2011/OCT/25 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ

この曲の作曲者北原じゅんは、川内康範の甥であることが知られ、最初は川内康範作詞
のアニメ主題歌(<まんが日本昔ばなし>など)に曲を付けて来ました。しかし青春歌謡
を作曲したいと思っていたところ、デビュー前の西郷輝彦と水島哲の歌詞を見せられ、そ
の「君だけを」をわずか5分で作曲して見せたところから彼の作曲家人生が始まりました。
西郷輝彦の歌を続けて作曲していた北原じゅんが、西郷以外に手掛け、140万枚のメガヒ
ットとなったのがこの「骨まで愛して」でした。この歌を歌った城卓矢は北原の実弟でした
ので、その時は兄であることを慮って、<文れいじ>というペンネームで作曲しています。
またこの時の作詞者川内康範は城卓矢の叔父であるわけで、川内康範もこれを慮って、
最初の作詞者は妻の川内和子となっていました。現在は、川内康範作詞、北原じゅん作
曲、城卓矢歌という親戚関係で作ったものとなっています。城卓矢はこのあと歌手を引退
し、北原じゅんと同じく作曲を続けましたが、54歳の早世でした。