昭和9年
ロシアや満州の旅人を歌にするとき、その広大で果てない地平線、凍て付くような寒さ、旅行手段としての幌馬車、明日に希望の持てない心などが思い浮かばれます。従ってこの曲が下の「さすらいの唄」(北原白秋作詞、中山晋平作曲)と似てくるのも仕方ないでしょう。が、それにしてもイメージぴったりですね。
(一)行こか戻ろか北極光の下を、露霊は北国はてしらず、西は夕焼東は夜明け、鐘が鳴ります中空に
(二)
泣くにゃ明るし急げば暗し、遠い灯もちらちらと、とまれ幌馬車やすめよ黒馬よ、明日の旅路がないじゃなし
(三)
燃ゆる思いを荒野にさらし、馬は氷の上を踏む、人は冷たし我が身はいとし、町の酒場はまだ遠し
(四)
わたしゃ水草風吹くままに、流れ流れてはてしらず、昼は旅して夜は夜で踊り、末はいずこで果てるやら
大きく違うのは、「さすらいの唄」が大正6年のもので、トルストイの<贖罪>を戯曲化した<生ける屍>をモチーフにしたロシア人の唄であるのに対し、この「急げ幌馬車」は昭和9年の日本人の大陸進出真っ最中の大陸浪人の唄であるということでしょう。それとも「さすらいの唄」のようにロシア革命直後のシベリアを西に東に駆け巡った日本人がいたのでしょうか。
歌詞は似ていても、江口夜詩と中山晋平ではメロディーが全く違います。江口の曲は叙情的ではあっても軽快なのに対し、中山の曲は大正ロマンを代表する、ちょっと退廃的でネットリとした抒情歌となっています。「船頭小唄」(大正12年)がその代表でしょう。
江口夜詩は「十九の春」や戦後も「赤いランプの終列車」「憧れのハワイ航路」などを作曲しています。作詞の島田芳文はこの曲の他には「丘を越えて」があるくらいです。
写真:滝野細道 幌馬車イラスト:みてみ亭
急げ幌馬車
作詞:島田芳文(C)
作曲:江口夜詩(C)
歌唱:松平
晃
MIDI制作:滝野細道
(一)
日暮れ悲しや 荒野(あれの)は遥か
急げ幌馬車 鈴の音だより
どうせ気まぐれ さすらいものよ
山はたそがれ 旅の空
(二)
別れともなく 別れてきたが
心とぼしや 涙がにじむ
野越え山越え 何処までつづく
印す轍(わだち)も 片明(かたあか)り
(三)
黒馬(あお)はいななく 吹雪は荒れる
さぞや寒かろ 北山(きたやま)おろし
なくな嘆くな いとしの駒よ
なけば涙も なおいとし
2008/MAY/03