新釈「五木の子守唄」

「五木の子守唄」の新解釈を試みる

 五木の子守唄 BGM   

 (一)           (四)
 おどま盆ぎり盆ぎり     蝉じゃござんせん
 盆から先ゃおらんと     妹でござる
 盆が早よ来りゃ 早よ戻る  妹泣くなよ 気にかかる
   

 (二)           (五)
 おどまかんじんかんじん   おどが打っ死んだら
 あん人たちゃ良か衆     道端(みちばちゃ)いけろ
 良か衆良か帯 良か着物   通る人ごち 花あぎゅう
   

 (三)           (六)
 おどが打っ死んだちゅうて  花は何の花
 誰が泣てくりゅきゃ     つんつん椿
 裏の松山 蝉が鳴く     水は天から 貰い水
   

 
熊本県南部五木地方の子守唄「五木の子守唄」は非常な哀調を帯びた民謡である。極貧の子守娘と<死>に対する思いを歌っているのだから当然と言えば当然なのだが。「江戸の子守唄」「中国地方の子守唄」「島原の子守唄」「竹田の子守唄」などほとんどが子守娘(ねえや)や乳母(ばあや)などを主人公としているが、その中でも「五木の子守唄」は目立って暗い。地方地方の子守唄はその地方の生活の貧しさや子守などの辛さを反映している可能性があり、そうであるとすれば五木の環境はさぞかし厳しかったのであろうと思わせる。
 子守娘や乳母が登場するのは民謡ばかりではなく、童謡にも多い。例えば三木露風の「赤とんぼ」。♪負われて見たのはいつの日か♪、で負っているのは子守娘である。二番の♪十五でねえやは嫁に行き〜♪で明確となる。清水かつらの「叱られて」。♪あの子は街までお使いに、この子は坊やをねんねしな♪、と年季奉公の姉弟(兄妹?)が登場する。二番の♪口には出せねど目に涙♪、で明確となる。斎藤信夫の「ばあやたずねて」や野口雨情の「十五夜お月さん」にはばあやが登場する。とにかく<ねえや><ばあや>は貧富の象徴で、<ねえや><ばあや>を雇っているのは富裕の証し、<ねえや><ばあや>として雇われているのは実家が口減らしを要する貧困である証しである。
 筆者は
5年ほど前に車で九州廻りをした折、五木の郷に立ち寄ってみようと思ったことがある。「五木の子守唄」の故郷が郷の中心を流れる川辺川に掛けるダムに水没すると聞いて、その前に一度訪れて見たかった。思わず筑後川の下筌ダムによる<蜂の巣城騒動>も思い出された。旅では、栴檀轟の滝から梅の木轟の滝や大吊橋のある五家荘の方からR445を川辺川に沿って南下して五木郷に入ろうとしたのだが、国道付け替えの工事だろうか、時間差一方通行となっており、五木方面に行けるのは2時間後。暫く待ったが、反対方向から全く対向車が来ない。夕暮れも近づいて来るし、周りは目を見張るばかりの山深い峡谷で、だんだん不安になって来てとうとう断念して熊本に引き上げることにした。今思っても残念であるが、川辺川ダムは<蜂の巣城騒動>よりもっと深刻化しているようなので、中止となるかもしれない。
 そこで「五木の子守唄」にもどるが、一番の歌詞、【おどみゃ盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんと、盆が早よ来りゃ早よ戻る】は一般的に
(熊本の人も)『私はこの盆限りで年季奉公が明けるので盆より先はもういない、盆が早くくれば早く実家に戻ることができるのに』という解釈である。これは言わば、(「お正月」の節で)♪もういくつ寝ると年季明け 盆より先はさよならよ、凧・独楽買って帰りましょ 早く来い来いお盆明け♪。実に年季奉公がもうすぐ終るという喜びの歌詞である。これが何とも後に続く二〜六番の哀愁深い死を思わせる歌詞にそぐわない。完全に遊離しているとみえる。もっとも、『(実家の口減らしのために子守り奉公にでてきたのに)、このお盆限りで年季が明けてしまいその先はもうおられない。(実家に帰れば口が増え生活が苦しくなるばかりだが)、盆が早く来ちゃったら早く帰らなければならない。(嫌で仕方ないけれど、ここの方がまだしもだが、それにしても〜【と二番に続く】)』という意味にも解せられ、この方が二番以降にも繋がり易い。ところがそんな意味など思いもよらない筆者は<中学生>の頃、なんと『(霊になった)私は盆の間に限って皆のところにいられ、盆が終わってしまえばその先はもうおられない。また、もし盆が早くくればそれだけ皆の所に早く戻って来られるのに』という意味だとばかり思い込んでいた。中学生としては驚くべき解釈だと我ながら思う。もちろん最初からそう解釈していたとも思われない。多分二番目以降の<死>を中心とした歌詞に引きずられてそう思うようになったのだろうし、お盆には13日の夕刻迎え火を炊いて霊を呼び寄せ、盆の間だけ一つ屋根の下で共に過ごし、16日の夕刻送り火を炊いて、胡瓜や茄子で作った牛や馬に乗せて霊界へお送りするという地方の風習が、頭にこびりついていたからとも思われる。この子供の解釈も、今改めて見てみると、単に切り捨ててしまうのは惜しいものがあるような気がする。「五木の子守唄」には沢山の歌詞があって、それも全てが順不同で、♪おどみゃ盆ぎり盆ぎり・・・♪が一番とは限らず、今、広く流布しているものも沢山の中から抜粋、編集したものである、と聞くに及び、個々の修辞的解釈はさておき、現在流布している一番〜六番を一個の独立編集した一バージョンの「五木の子守歌」と考えると、中学生が歌詞やメロディー全体のなかで、感性で感じたものの方が正しいのではないか、♪おどみゃ盆ぎり盆ぎり盆から先ゃおらんと・・・♪、は本来♪・・・水は天から貰い水♪より後に来るべきもので、冒頭で全体を示しているにすぎないのではないか、と。もし、そうであれば、一番が曲想全体にマッチして来る中学生の解釈に軍配があがってしまうと思うが、如何なものだろうか。
 二番以下の一般的解釈に異論はないが、中学生の解釈を採用して一番を最終番に回して全部まとめて見ると、『口減らしのため奉公させられている私は乞食同然の着物なのに、私を雇っているあの人たちは富裕な良い暮らしをして良い身なりでいいなあ。(もう死んでこんな境遇から逃れたい)。でも私が死んじゃったからといって、泣いてくれる人なんているだろうか、せいぜい裏山の松の木で蝉が鳴いてくれるくらいなものだろうよ。いや、蝉だけではなく妹は泣いてくれるだろうが、妹を泣かせることを思うと死んでも死にきれない。しかし、もし死んじゃったら道端に埋けてもらいたい。そうすれば(妹などに迷惑をかけないで)通りかかる人たちが花を挙げて供養してくれる。その花は何がいいかな。(淋しそうでコロリと花がおちる)椿が私らしくていいな。水などわざわざ挙げてくれなくても、天から雨として貰うから心配しないで。(死んでしまった)私は盆の間だけ皆のところにいられるけど、盆が終わればその先はおられない。盆が早く来ればまた早く皆のところに戻って来られるんだけど』、と言うのが子供の感性を受けた筆者の新解釈「五木の子守唄」である。

 【筆者忠告】:筆者は五木地方の方言も知らず、お盆の風習も知りませんし、この解釈は一般的なものとはかけ離れていますので、引用などされますと笑われてしまうかも・・・・・


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