「童謡の歌詞は、子供がその歳相応の感覚で、夢を見るように解釈をしていればよく、長じるに従って解釈が変わってきても、それはそれでよい」というのが細道の持論です。が、最近(2007年9月頃)ちょっと面白い場面に出っくわしたので敢えて言及してみます。
この「かわいい魚屋さん」を歌って、皆さんは疑問を持たれなかったのでしょうか? 細道は、ある時を境に、小さい頃から何の疑いもなく歌ってきたこの歌の歌詞を、はてな?と思うようになりました。以来、考えれば考えるほど分からなくなって悩んで来ました。そう、「お部屋じゃ子供のお母さん」というくだりです。我が幼少の頃は周囲に女の子も多く、イジメられたり、飯事(ままごと)に強制的に付き合わされたりしました。その飯事は、庭に家の絵図面を引いて、お母さん役、お姉さん役、弟役(もしくはお医者さんから奴隷役まで)の私、というパターンが多く、「お部屋じゃ子供のお母さん」は絵図面上の部屋にいるお母さん役の子供(少女)と思い込んでいました。しかし、長じて少し知恵が付いてきたころ、「子供のお母さん」は魚屋さん役を演じている<その子>のお母さんではないかと。
@ 男の子が飯事で魚屋さんの真似をして、「こんちはお魚いかがです?」と声をかけたら(飯事の相手の女の子が居ると居ないとにかかわらず)お部屋に居たその男の子のお母さんが、「今日はまだまだいりません」と応えてくれた。
A
男の子と女の子が飯事をしていて、魚屋さん役の男の子が「こんちはお魚いかがです?」と声をかけたら、お部屋(本当のお部屋または庭に書いたお部屋でもどちらでも)にいたお母さん役の女の子が「今日はまだまだいりません」と答えた。
さあ、どっちでしょうか?♪そんなこたどうでも い〜〜ぃじゃないか♪と、植木等さんの声が聞こえてきそうですが、@のほうは詩として叙情性に富んでいて広がりを感じますが、Aのほうは叙事的かつ二次元的でフラットな感じです。これは大変な違いだと思います。細道としては@の方を取りたい。加藤省吾は「みかんの花咲く丘」の作詞で有名ですが、あの歌詞の中心は「やさしいかあさん思わるる」というところに集約されます。「みかん・・・」は戦後の暗さを吹き飛ばした明るい唄ということになっていますが、一番の歌詞から<想い出の・・>、二番では<お船はどこへ・・><島の陰・・・汽笛がボウと・・>と母との離別を思わせる言葉が続きます。それが海沼実の明るいメロディーと相俟って名曲となっているのでしょう。したがって、この加藤省吾が「かわいい魚屋さん」でフラットな情景描写のみを書くわけが無く、「お部屋じゃ子供のお母さん」を@のように解釈することによって、子供のかわいらしさも増し、母子の愛情も感じられる歌となっていると思われます。
最近NHKの<みんなの童謡「かわいい魚屋さん」>という放送を見て、疑問が一挙に氷解しました。一番の歌詞の背後に流れる画像は、手前の部屋で男の子と女の子が<魚屋さんごっこ>の飯事かなんかしている映像があって、奥の部屋ではお母さんが後ろ向きになって繕い物でもしているという、@とAを足したようなものでした。二番、三番は男の子がハッピにネジリ鉢巻をしたお魚屋さんの扮装をした映像です。ははん、結局のところNHKもどうしたら良いか決めかねていたんだな、と・・・・・思いました。
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