昭和28年(1953年)       JASRAC No.080-0138-3

毬藻が眠る早朝の阿寒湖畔  Photo by Hosomichi

毬藻の歌   
 
作詞:いわせひろし(C)
作曲:八洲秀章(C)

  歌唱:安藤まり子
  MIDI制作:滝野細道
    
(一)
水面(みずも)をわたる 風さみし
阿寒の山の 湖に
浮かぶマリモよ なに思う
マリモよマリモ 緑のマリモ 
  (三)
  アイヌの村に 今もなお
  悲しくのこる ロマンスを
  歌うマリモの 影さみし
  マリモよマリモ 緑のマリモ

(二)
晴れれば浮かぶ 水の上
曇れば沈む 水の底
恋は悲しと 嘆きあう
マリモよマリモ 涙のマリモ
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   *2006/SEP/01 開設曲 

一番の歌詞の【水面】は通常<みなも、すいめん>と読み、<みずも>とは読みません。
特に<水面を渡る風=みなもをわたるかぜ>は成句に近いものとなっています。『広辞苑』
参照。しかし、作詞者がそのようなことを知らないはずがなく、ルビを振ってでも<みずも>
としたい意思が伺われます。造語の一種でしょうし、原作は尊重されねばなりません。同じ
ようなことが寺山修二が作詞した五木ひろし歌の「浜昼顔」の<たとえばせとのあかとんぼ
>にも起こりました。漢字にすると<例えば背戸の赤蜻蛉>となりますが、寺山は<背戸
>を<せと>、と読ませようとルビを振ったため、歌だけ聴いた人は<例えば瀬戸の赤蜻
蛉>と聞いてしまいました。美空ひばりはこの歌を歌うとき敢えて<せど>と歌っています。
<背戸の赤蜻蛉>も成句に近いものとなっていますし<ど>が濁っているのを寺山が嫌っ
たのでしょう。
いわせ(岩瀬)ひろし:昭和28年日本コロムビアが全国歌謡コンクールで歌詞募集したとき
この「毬藻の歌」が入選しレコード化され大ヒットしました。以後歌謡曲にはあまりヒットはあ
りませんでしたが、「少年猿飛佐助」のテーマなど音楽関係に携わっています。
安藤まり子(あんどう まりこ、本名:安藤摩璃子、昭和4年(1929年)2月2日〜現在、北海
道北見市出身)は武蔵野音楽学校(現音大)を卒業後コロムビアの専属歌手となりましたが
デビュー曲「花の素顔」以外のヒット曲はありませんでした。コロムビアではコンクールの入
選曲を発売するに当たって、毬藻の阿寒湖から美幌峠の反対側の北見市出身であり、本名
にも摩周湖の<摩>を含んだ<まり子>の安藤まり子を抜擢したことは想像に難くありませ
ん。そこに当時大ヒットメーカーであった八洲秀章を迎えて、大ヒットとなりました。将来を嘱
望されましたが、若山彰との結婚を機に引退をしてしまい、「マリモの歌」といえば九条真理
子といわれるようになっていきました。昭和晩年になって二葉あき子、並木路子らとともにコ
ロムビア五人会を結成し歌手復帰しました。
上記の経緯でも分かりますが、この「毬藻の歌」は一部で誤解されているようなNHKラジオ
歌謡の歌ではありません。