【ジャガタラお春】
寛永16年(1639年)のこと、時の幕府の鎖国政策の一つ混血児追放令のため、長崎市内にいた混血児たちはバタビア(現インドネシア)に追放されました。その中にブルーの目をした透き通るような白い肌の少女がいました。お春です。お春は長崎で日本人の母から生まれ長崎で育った生粋の日本の心を持った女の子だったので、平戸から出帆するとき、どうしても祖国を離れたくないと頑張りましたが、掟には抗し難く泣く泣く追放されて行きました。以後も、お春の望郷の思いは止みがたく、切々たる手紙がジャガタラから届くようになり、「手紙は届くのに何故自分は故郷に帰れないのか」という少女の手紙は人々の心を打ちましたが、時の権力にはどうすることも出来ませんでした。その一文『あら 日本恋しや、ゆかしや、みたや、みたや・・・・・』が有名な<ジャガタラ文>と呼ばれるものです。ジャガタラ(現ジャカルタ)お春。「長崎物語」はお春の唄です。
JASRAC Code
No.069−0040−9
長崎物語
(一)
赤い花なら 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
阿蘭陀屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる ジャガタラお春
未練な出船の ああ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る
(二)
坂の長崎 石畳
南京煙火に 日が暮れて
そぞろ恋しい 出船の沖に
母の精霊(しょうろ)が ああ流れ行く
ララ流れ行く
(三)
平戸離れて 幾百里
つづる文さえ つくものを
なぜに帰らぬ ジャガタラお春
サンタクルスの ああ鐘が鳴る
ララ鐘が鳴る