昭和37年(1962年)
JASRAC No.059-0294-1
なみだ船
作詞:星野哲郎
作曲:船村  徹
歌唱:北島三郎
制作:滝野細道

(一)
涙の〜〜〜ォ 終わりのひと滴
ゴムのかっぱに しみとおる
どうせおいらは ヤン衆かもめ
泣くな怨むな 北海の
海に芽を吹く 恋の花

(二)
クルクル〜〜〜ゥ 帆綱を巻きあげて
暁(あけ)の千島を 忍び立ち
あてにゃすまいぞ ヤン衆かもめ
舵であやつる 舟のよに
女心は ままならぬ

(三)
惚れたら〜〜〜ァ 遠慮はできまいに
いやというなら ぜひもない
夢をみるなよ ヤン衆かもめ
にしん枕に 北海の
月に哀しや なみだ船

童謡・唱歌・懐メロ 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡 昭和戦後の歌謡曲・演歌
*08/JUL/25

細道が渋谷の恋文横丁や百軒店でクダを巻いていたころ、居酒屋飲み屋街には<流し>のギター弾きが結構いて、カラオケのない時代3曲100円で歌をしんみり聴いたり、一緒に伴奏付きで歌ったりしたものでした。月給1万円足らずのときの3曲100円はかなりのお値段。その中に本名大野穣(みのる)=後の北島三郎がいたそうですが、残念ながら筆者の記憶にはありません。デビューして有名となって同僚は<何回か聞いた>といいましたが、この曲のリリースが昭和37年ですから少し時代がズレていたのでしょう。しかし、何となく実際に会ったような親近感が増してきて、応援をしたものです。北島三郎のデビュー曲「ブンガチャ節」は、私たちが酔っ払って歌っていた渋谷界隈の猥歌のリメーク版でしたが、発売まもなく放送禁止となってしまいました。歌自体は猥褻でも何でもなかったのですが、元歌を知っていた人が多かったので・・・作詞星野哲郎、採譜船村徹でしたが、同メンバーの2曲目のこの曲が20万枚のヒットとなったのでした。因みに【ヤン衆】というのは、北海道でニシン漁などの最盛期に雇われ、ニシンなどの漁場が移るにつれて移動していく<渡り漁師>のことです。