細道が渋谷の恋文横丁や百軒店でクダを巻いていたころ、居酒屋飲み屋街には<流し>のギター弾きが結構いて、カラオケのない時代3曲100円で歌をしんみり聴いたり、一緒に伴奏付きで歌ったりしたものでした。月給1万円足らずのときの3曲100円はかなりのお値段。その中に本名大野穣(みのる)=後の北島三郎がいたそうですが、残念ながら筆者の記憶にはありません。デビューして有名となって同僚は<何回か聞いた>といいましたが、この曲のリリースが昭和37年ですから少し時代がズレていたのでしょう。しかし、何となく実際に会ったような親近感が増してきて、応援をしたものです。北島三郎のデビュー曲「ブンガチャ節」は、私たちが酔っ払って歌っていた渋谷界隈の猥歌のリメーク版でしたが、発売まもなく放送禁止となってしまいました。歌自体は猥褻でも何でもなかったのですが、元歌を知っていた人が多かったので・・・作詞星野哲郎、採譜船村徹でしたが、同メンバーの2曲目のこの曲が20万枚のヒットとなったのでした。因みに【ヤン衆】というのは、北海道でニシン漁などの最盛期に雇われ、ニシンなどの漁場が移るにつれて移動していく<渡り漁師>のことです。 |