昭和19年(1944年)
JASRAC No.013-0535-2
屋久島の自然林の中の一光景。倒れて朽ちた大杉の上に杉の子が芽を出している。朽木を養分として千年以上かけて再び大木の屋久杉となります。




ヤクスギランド

(C)Hosomichi

お山の杉の子
作詞:吉田テフ子(ちょうこ)
補作詞:サトウ・ハチロー
作曲:佐々木すぐる
制作:滝野細道
(一)
昔 昔 その昔
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の はげやまは
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お日さまにこにこ 声かけた 声かけた

 
 (四)
 ラジオ体操 ほがらかに
 子供は元気で 伸びていく
 昔々の はげ山は はげ山は
 今では立派な 杉山だ
 誰でも感心 するような
 強く大きく たくましい
 椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ

 
(二)
(ひい)、二(ふう)、三(みい)、四(よう)
(いい)、六(むう)、七(な)
八日 九日 十日たち
によっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日
(こんにち)
これを眺めた 椎の木は
あっははの あっははと大笑い 大笑い

 
 (五)
 大きな杉は 何になる
 お舟の帆柱
(ほばしら) はしご段
 トントン大工さん たてる家 建てる家
 本箱 お机 下駄 足駄
(あしだ)
 おいしいおべんと 食べるはし
 鉛筆ふで入れ そのほかに
 たのしや まだまだ役に立つ 役に立つ


 
(三)
こんなちび助 なんになる
びっくり仰天 杉の子は
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
大きくなったら みなのため
お役に立って 見せまする 見せまする

 (六)
 さあさあ負けるな 杉の木に
 すくすくのびよう みなのびよう
 スポーツ忘れず がんばって がんばって
 すべてに立派な 人となり
 正しい生活 ひとすじに
 明るい楽しい このお国
 わが日の本を つくりましょう つくりましょう

童謡・唱歌  八洲秀章&抒情歌 懐かしのメロディー 昭和戦後の歌謡曲・演歌   *2009/FEB/27

この「お山の杉の子」は昭和19年作という事もあり、内容も一見して<我ら少国民>向けの戦意高揚の官製童謡と思っていました。「もずが枯木で」のような反戦的な歌を作っていたサトウ・ハチローも、昭和19年当時は殆どの国民同様大変な翼賛作詞家となっていて、その彼が補作をしていることからこの童謡の性質が知れる、と。しかし、上掲の歌詞すら戦後サトー・ハチローにより改作されたものであり、元歌の4,5,6番は軍歌そのものであったことがわかりました。元歌はこち
調査結果】吉田テフ子(よしだ・ちょうこ 大正9年(1920年)〜昭和48年(1973年))は徳島県宍喰(ししくら)町の資産家の家に生まれ、徳島女子師範学校を卒業後尋常小学校の教師をしていたが、昭和19年に<日本少国民文化協会>が募集した<少国民歌>で「お山の杉の子」が第1席となり(一説にはサトー・ハチローが佐々木すぐるに詞を見せたところ、佐々木すぐるが気に入ったと)、一気に全国に名前が知られた。吉田テフ子が作詞したのはこの一曲のみである。生涯独身を貫き戸畑市の市会議員を務めたりして、昭和48年に没した。

  吉田テフ子(西日本新聞より)