創作「盗作騒動」

創作「盗作騒動」赤色エレジー

赤色エレジー

作詞:あがた森魚 作曲:八洲秀章

愛は愛とて何になる 男一郎まこととて
幸子の幸はどこにある 男一郎ままよとて
昭和余年は春も宵 桜吹雪けば情も舞う
  (間奏)
さみしかったわどうしたの お母さまの夢みたね
おふとんもひとつほしいよね いえいえこうしていられたら
   (間奏)
あなたの口からさよならは 言えないことと思ってた
裸電球舞踏会 踊りし日々は走馬灯
   (間奏)
幸子の幸はどこにある

愛は愛とて何になる 男一郎まこととて
幸子の幸はどこにある 男一郎 ままよとて
  *    *
幸子と一郎の物語
  *    *
お涙ちょうだいありがとう

 大阪万博の少し後でしたか、菅原洋一や倍賞千恵子などが歌っていた「あざみの歌」に酷似した曲が流れました。この「赤色エレジー」でした。「いや全然似ていないよ」という意見もありましたが、採譜して見ますと最初の4フレーズは2音違うだけで、メロディーも一箇所8分の1音譜分だけ違っているに過ぎませんでした。しかし、全く同じようなメロデイーでありながら、曲調は陰鬱な頽廃的なムードを醸していて、あざみの歌に感じていた透明な叙情性は全く感じられません。どうしたことかとよく聞いてみると、最初が非常にフラットになっていて、「あざみの歌」の♪山に山の・・・♪の<は>の部分で「赤色エレジー」の♪愛愛とて・・・♪の<は>にあたる部分が「赤色エレジー」の方が上がり切らず、やるせないメロディーが吶々として呟くように上がって行くこと、また、「あざみの歌」の♪憂いあり・・・♪の<〜>の部分で「赤色エレジー」の♪何になる・・・♪の<〜>にあたる部分が「赤色エレジー」の方が下がらずむしろ半音上がっていて、倦怠的に下がってくることによるもののようでした。曲の後半部分は、全体の音符の高低は一致していませんが、メロディーの相違は矢張り2音符分でリズムと曲の流れは一致しています。しかし私は、たった4音変えただけで、あの原作<赤色エレジー>の倦怠的、退廃的ムードを巧みに表したことに驚嘆したものでした。
 最初は<詞/曲:あがた森魚>となってリリースされていたようですが、そのうち<作詞:あがた森魚、作曲:八洲秀章>となりました。この間なにがあったのでしょうか?一説に、当時八洲秀章はビクター・レコードの重鎮で専属作曲家・指揮者でもあったので、色々慮ったビクター・レコードが間に立って<作詞:あがた森魚、作曲:八洲秀章>とすることにした、というものがありました。しかし私には、なーんだ、そうだったのか、それで納得、では済まされないものがあります。八洲秀章伝の「高原の旅愁」でも触れましたが、八洲秀章の曲の特徴として@透明な叙情性に溢れていて頽廃的なものは無い。A自分の作曲の中で相互に似た曲は無い、B演歌調の曲はノリが悪く作家自身不本意だと思っていたフシがある、ということがあります。 以上を敷衍して考えますと浮かび上がってくることがありますが、
山縣森雄氏(あがた森魚本名)に聞いてみるわけにもいきませんので、以下は完全なる推測となります。
【フォーク歌手あがた森魚は、ガロで林静一の漫画<赤色エレジー>を愛読していて、<これだ!>と思い、まず詞を作ってみた。詞は漫画のム−ドを良く表しているものができた。しかし、肝心の曲の方をどうするか、が問題だった。曲は、大正デモクラシーのころの「船頭小唄」
(枯れすすき)のようなデカダンスでやるせないのがよいようだ。どうも、平板に上昇していき、なだらかに下ってくるのが、そういったムードを表せそうだ。で、それをもとに作曲してみたところ、イメージに合ったとても良いものができた。早速自身のライブに使い、段々認められるようになってきた。ビクター・レコードからレコード化の話が出た時、自分の思いがついに届いたと思った。しかし、あがた森魚作曲「赤色エレジー」が有名になるにつれ不協和音が生じてきた。それは、自分では意識していなかったが、八洲秀章の「あざみの歌」に似ているのではないかという世間の声である。ある時は、<パクリ>ではないかという風評すら入ってくる。聞き比べてみると確かに似ているが、別々に聴けばさほどとも思われない。だが、分析してみると、最初のフレーズと最終のフレーズが、確かに似てしまったものだった。知人友人に聞いても、<そうかなあ?>から<うん、確かに>。ビクター・レコードからは、<八洲先生に相談したほうが・・・>。さあ、どうしよう。捨てるには惜しい。黙って演奏活動を続けるのは怖い。世間は面白おかしく騒ぐだろう。そうだ!これは八洲先生に直接頼んで、できたら添削してもらって、作曲者になって頂こう。おそるおそる大作曲家の元を訪れたあがた森魚は経緯を説明し、頼み込んだ。<そうですか?知りませんでしたねえ>ちょっとピアノで弾いてみた八洲秀章は、<ほほう、確かに似てますねえ。でも私は、このように私の他の曲に似ている曲を作ったり、こういう退廃ムードの曲は作りませんよ。それにこういう曲を作ったと思われるのもね・・・。私はよろしいすからこれは、貴方の作曲でいいでしょう>。あがた森魚は頑張った。<でも、ほかの人にはこれからずっと盗作だなどと言われてしまうでしょう。どうか、ひとつ助けると思って>しばらく、う〜ん、と考えた八洲秀章は、<いいでしょう。若い人の将来に役立つことなら私もよしとしなくては。私の曲とはかけ離れたものですが、原曲をモチーフにして手を入れて見ましょう>。帰ってきた曲は主メロディーはもとのものとほとんど同じだったが、きれいに編曲されていたのだった。】
 ・・・というような物語が背景になければ、私は八洲秀章がこの曲を単純に<<作曲:八洲秀章>>としたとは信じられないのです。それにしても一回発売した歌の作曲者を変える、あがた森魚の勇気には感心します。

 これは・・・私の創作なので引用しないで下さい。(^_^;

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