【てるてるぼうず】
この「てるてる坊主」は、ルソーの「むすんでひらいて」など外国伝来の曲を利用した童謡・文部省唱歌として作られたものでなく、「カチューシャの唄」や「ゴンドラの歌」など、流行歌を作曲していた中山晋平が手掛けた初めての童謡といわれます。1918年(大正7年)に鈴木三重吉による<赤い鳥運動>がおこり、作詞の北原白秋、野口雨情、西条八十、三木露風など、作曲の弘田龍太郎、成田為三、本居長世、草川信、などにより、続々と童謡が作られることになっていき、それに触発されて大正10年(1921年)に浅原鏡村が雑誌に発表した唯一のものでした。当倶楽部の童謡もこのあたりのものが多く、大体著作権消滅曲となっています。15年ほど大隆盛を誇った童謡も1932年(昭和8年)を境に(同年5月15日、五・一五事件勃発)、戦雲急を告げる世相を反映してか、急速に衰退していきます。以後終戦の時まで、海沼実、河村光陽といった人たちが僅かに童謡の息を繋いでいただけでした。
細道もこの「てるてる坊主」は何の抵抗も無く歌っておりましたが、TVのクイズ番組で、「この童謡の最後には<そなたの首をちょんと切るぞ>という歌詞がある」と聴いて聴衆がどよめいていましたが、そのようなことは何とも思っていない時代の歌だと理解していなければなりませんね。そういえば<坊主>というのは<和尚><僧侶>などの蔑称のようになっていて、<○○坊主>とか少年を尊大に呼びつけたりする時など、碌なことに使われません。本当は一坊の主のことで尊称のはずですが、<貴様><女○>などのように、時代と共に消えていくのかも知れませんね。
浅原鏡村(本名;浅原六朗、明治28年(1895年)〜昭和52年(1977年))は中山晋平と同じ信州の安曇野池田町出身で、100余編余の小説を書いた作家でした。殆どの童謡作家の著作権が消滅する中で、82歳と、当時の人としては長寿でしたので、著作権が残存している稀有な作家です。
JASRAC正題「てるてる坊主」
大正10年(1921年)頃 JASRAC No.054−0050−3
てるてるぼうず
作詞:浅原鏡村(有)
作曲:中山晋平(無)
制作:滝野細道
(一)
てるてるぼうず てるぼうず
あした天気に しておくれ
いつかの夢の 空のよに
晴れたら金の 鈴あげよ
(二)
てるてるぼうず てるぼうず
あした天気に しておくれ
わたしのねがいを きいたなら
あまいお酒を たんとのましょ
(三)
てるてるぼうず てるぼうず
あした天気に しておくれ
それでもくもって ないてたら
そなたの首を チョンと切るぞ