昭和51年(1976年)     JASRAC No.052-2283-4
津軽海峡・冬景色
青函連絡船・羊蹄丸/提供:海の素材屋
歌詞:阿久 悠  作曲:三木たかし   歌:石川さゆり  MIDI制作:滝野細道
(一)
上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを 聞いている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鷗(かもめ)見つめ
泣いていました
ああ 津軽海峡冬景色
  (二)
  ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
  見知らぬ人が 指をさす
  息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
  はるかにかすみ 見えるだけ
  さよならあなた 私は帰ります
  風の音が胸をゆする
  泣けとばかりに
  ああ 津軽海峡冬景色
  *
  さよならあなた 私は帰ります
  風の音が胸をゆする
  泣けとばかりに
  ああ 津軽海峡冬景色

八洲秀章&抒情歌  童謡・唱歌  懐メロ   *10/SEP/09  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ
石川さゆり【いしかわさゆり、本名:石川絹代、昭和33年(1958年生)1月30日~、熊本県出身】は山口百恵、森昌子、桜田淳子など<花の中三トリオ>と同時期のデビューでしたが、その3人の影に隠れ、なかなかヒット曲に恵まれませんでした。しかし昭和50年のこの「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクし、続く「能登半島」も大ヒットで一躍演歌歌手のトップに踊り出ました。以後も昭和のうちに「波止場しぐれ」(昭和60年)、「天城越え」(昭和61年)、「夫婦善哉」(昭和62年)などのビッグヒットをリリースしています。特に「天城越え」のイメージは強烈で、平成に入ってもヒット曲を出し、人気を保っています。
阿久 悠【あくゆう、本名:深田公之、昭和12年(1937年)2月7日~平成19年(2007年)8月1日、淡路島・洲本市出身】は、昭和後期から平成を代表する作詞家、生涯の作詞曲数は5,000曲といわれています。一方で小説作家としても才能を示し、横溝正史ミステリ大賞、菊池寛賞などを受賞しています。石川さゆりをはじめ、ピンク・レディー、沢田研二、岩崎宏美など多くのアーチストに詞を提供し、数多くのヒット曲を出し続けました。ペンネームの阿久悠は<悪友>のもじりと言われています。
三木たかし【みきたかし、本名:渡邊匡(わたなべただし)、昭和20年(1945年)1月12日~平成21年(2009年)5月11日東京都出身】は歌手黛ジュンの実兄で、最初は歌手を目指していましたが、師匠船村徹の勧めで作曲家に転じ、妹の黛ジュンに提供した「夕月」が68万枚の大ヒット、そしてこの「津軽海峡・冬景色」で一流作曲家としての地位を固めました。代表曲は「禁じられた恋」(森山良子)、「もしも明日が・・・」(わらべ)などのミリオンヒットや、テレサ・テンの「つぐない」、「愛人」、「時の流れに身を任せ」、平成になっても数多くのヒットを飛ばしています。