津軽海峡・冬景色
歌詞:阿久 悠 作曲:三木たかし 歌:石川さゆり MIDI制作:滝野細道
(一)
上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけを 聞いている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鷗(かもめ)見つめ
泣いていました
ああ 津軽海峡冬景色
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(二)
ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色
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さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ 津軽海峡冬景色
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*10/SEP/09 |
石川さゆり【いしかわさゆり、本名:石川絹代、昭和33年(1958年生)1月30日~、熊本県出身】は山口百恵、森昌子、桜田淳子など<花の中三トリオ>と同時期のデビューでしたが、その3人の影に隠れ、なかなかヒット曲に恵まれませんでした。しかし昭和50年のこの「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクし、続く「能登半島」も大ヒットで一躍演歌歌手のトップに踊り出ました。以後も昭和のうちに「波止場しぐれ」(昭和60年)、「天城越え」(昭和61年)、「夫婦善哉」(昭和62年)などのビッグヒットをリリースしています。特に「天城越え」のイメージは強烈で、平成に入ってもヒット曲を出し、人気を保っています。
阿久 悠【あくゆう、本名:深田公之、昭和12年(1937年)2月7日~平成19年(2007年)8月1日、淡路島・洲本市出身】は、昭和後期から平成を代表する作詞家、生涯の作詞曲数は5,000曲といわれています。一方で小説作家としても才能を示し、横溝正史ミステリ大賞、菊池寛賞などを受賞しています。石川さゆりをはじめ、ピンク・レディー、沢田研二、岩崎宏美など多くのアーチストに詞を提供し、数多くのヒット曲を出し続けました。ペンネームの阿久悠は<悪友>のもじりと言われています。
三木たかし【みきたかし、本名:渡邊匡(わたなべただし)、昭和20年(1945年)1月12日~平成21年(2009年)5月11日東京都出身】は歌手黛ジュンの実兄で、最初は歌手を目指していましたが、師匠船村徹の勧めで作曲家に転じ、妹の黛ジュンに提供した「夕月」が68万枚の大ヒット、そしてこの「津軽海峡・冬景色」で一流作曲家としての地位を固めました。代表曲は「禁じられた恋」(森山良子)、「もしも明日が・・・」(わらべ)などのミリオンヒットや、テレサ・テンの「つぐない」、「愛人」、「時の流れに身を任せ」、平成になっても数多くのヒットを飛ばしています。